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2008年2月 7日 (木)

06年4月号 長浜と広島での幼児殺害事件を考える

長浜と広島での幼児殺害事件を考える

-国際化と私たちの人権意識-

 ここ最近、幼い子どもを巻き添えにした事件が多発しています。私も二児の親ですが、ご家族や身内の方の心中を察すると胸が痛むばかりです。

 そんな中、加害者が外国籍者であるという事件も起きました。一つは今年二月一七日に長浜市で二人の幼稚園児の命が失われた事件、もう一つは昨年一一月二二日に広島市で小学一年生の女児の命が失われた事件です。今回は、この二つの事件を通して私が感じたことを述べてみたいと思います。

一〇〇人のうち九八人は日本人による犯罪

 この事件のことを取り上げる前に、どうしても触れておかないといけない事柄があります。「外国人の犯罪」というカテゴリーでくくられている犯罪の動向についてです。このようなカテゴリーを作ること自体、人権上問題のあることですが、ここではとりあえず法務省が公表している白書統計の数値を追ってみたいと思います。

『平成一六年版・犯罪白書』( http://hakusyo1. moj.go.jp/ )によれば、平成一五年中の「一般刑法犯(刑法犯全体から交通関係業過を除いたもの)の検挙人員」は三七九、九一〇人ですが、そのうち「来日外国人による一般刑法犯の検挙人員」は八、七二五人で率にして全体の約二・三%です。すなわち一〇〇人の犯人が検挙されるとすればそのうち九八人は「日本人」であるということをまず初めに述べておきたいと思います。

一般刑法犯の検挙人員の比較

平成一二年

平成一五年

検挙人員総数

三〇九、六四九

三七九、九一〇

うち「来日外国人」

六、三二九

八、七二五

外国人登録者数の比較

平成一二年末

平成一五年末

一、六八六、四四四人

一、九一五、〇三〇人

ちなみに、外国人登録者数( http://www.moj.go. jp/PRESS/050617-1/050617-1-1.pdf )は急増しており、平成一二年末には一、六八六、四四四人であったのが、平成一五年末には一、九一五、〇三〇人へと約一・一四倍にもなっています。すなわち「外国人」全体の数が急増している以上、それにつれて犯罪者数が増加するのも特に不思議な現象ではないと言えます。別の見方をすれば、全体の人口がほぼ横ばいであるにもかかわらず犯罪が急増している私たち「日本人」の方が問題はさらに深刻だと言えるのではないでしょうか。

さて、次に検挙件数の推移を見てみると、ある特徴に気がつきます。「来日外国人による事件の主要罪名」のうち、「入管法違反」が非常に大きな割合を占めていることです。平成一五年の「来日外国人による一般刑法犯の検挙件数」は二七、二五八件ですが、「来日外国人による事件の主要罪名別検挙件数」のうち「入管法違反」は一〇、五五〇件をも占めています。平成一二年中の「入管法違反」は五、八六二件でしたから、三年で一・八倍にもなっています。つまり、「来日外国人」による犯罪数の増加は、「入管法違反」によって底上げされているという側面のあることが分かります。

入管法違反による検挙件数の比較

平成一二年

平成一五年

「来日外国人」

五、八六二

一〇、五五〇

 入管法違反はそもそも日本人には犯しようのない罪です。そして通常の刑法犯では被害者がいるわけですが、この犯罪には被害者がいません。

私の妻は日系人ですが、非日系人である妻の母は現在ブラジルで暮らしています。ところが自分の親を日本に呼び寄せたいと思っても、現在の法律では妻の母が日本で暮らすための在留資格(いわゆるビザ)がありません。そこで例えば、短期滞在(いわゆる観光ビザ)という在留資格で親を日本へ呼び寄せ、その期限が切れてしまうとすると、いわゆる「不法滞在」になってしまうわけです。法を犯すことを肯定はできませんが、法を適正なものにすれば犯罪者の数も減るということを私たちは理解しておく必要があると思います。

 数々の入管政策の矛盾を抱えながらも、「不法滞在者」への取り締まりは年々厳しくなってきています。「入管法違反」で検挙される「外国人」が急増すれば、「外国人犯罪」が数値の上で急増するのも当然の成り行きです。

現在の日本の治安状況を冷静に見れば、むしろ深刻なのは日本社会全体での犯罪の増加と検挙率の低さにあると言えます。

 上記に述べたことを踏まえた上で、表題の二つの事件について私なりの考えを述べてみたいと思います。

広島市での女児殺害について

 昨年一一月二二日、広島市に住む小学一年生の女児の命が失われました。同情の余地のない凶悪な犯罪であったことは間違いありません。しかし、報道のあり方について私自身は大きな疑問を抱きました。

 一つには、多くの新聞社やテレビ番組が「ペルー人」であることをことさら強調していたことです。「日系ペルー人を逮捕」「ペルー人被告に整理手続き」などの大見出しが連日のように並んでいました。もし皆さんが海外で暮らすことになり、「日本人が女児を殺害」「日本人を逮捕」「犯人は日本人」などと連日耳にすればどのように感じるか、周りの人たちがあなたのことをどのような目で見るようになるか想像してみてください。

 言うまでもなく、女児殺害は加害者が個人的に犯した罪であって、ペルー人コミュニティーが関与したことではありません。「ペルー人」であることを強調することは、日本社会の中でペルー人の住民に対する不信の念を増大させるばかりか、外国籍住民(「日本人」らしくない住民)全体への警戒感を煽ることにもつながりかねません。

 我が家もこの事件の余波を受けました。事件が起こった数日後、私が子どもを保育園へ迎えに行った時、「○○君(うちの子ども)のお母さん、外人なん?」と私に尋ねてくる子がいたのです(私の妻は日系及びフランス系三世のブラジル人です)。何年も一緒に同じ保育園に通っている子でもあったので、そんな言葉をその子から聞くとは思ってもみませんでした。今後うちの子がこのように周りから言われることもあるのかとショックを受けたことも確かですが、それよりも、無垢な子どもたちに人を色眼鏡で見るように仕向ける大人社会がとても悲しく思えました。

 上の子が初めて「外国人」という言葉を耳にしたのも保育園でした。「パパ、外国人って何?」という突然の質問に私は言葉を失いました。うちの上の子は容姿が「一般的な日本人」と少し異なっていますが、そのことで保育園の他の子から何か言われたことはそれまで一度もありませんでした。けれどもその日、学校教育の一環として実習に来ていた中学生から「外国人、外国人」と言われたそうです。うちの子が「何で」と聞き返すと、その子は「髪の毛の色が違うから外国人」と答えたといいます。

小さい子どもたちは、誰が「日本人」で誰が「外国人」という区別なしに日々過ごしています。一人ひとりは「○○くん」であり「○○ちゃん」なのです。そこには国籍も何も関係ありません。「日本人」とか「外国人」とかいう概念は私たち大人社会が勝手につくっているだけのことなのですが、その区別が偏見や差別を生み出しています。

「外国人犯罪」が取り上げられる度に、私の周りの外国籍の人たちはこう言っています。「ああ、これでまた外国人のイメージが悪くなる。」

「日本人」と「外国人」という概念を持ち出せば持ち出すほど、「日本人」と「外国人」との距離が遠ざかり、「外国人」が日本社会でますます疎外感を持つようになるような気がします。

長浜市での園児殺害について

 栃木県今市市での女児殺害(犯人未逮捕)など幼い子どもをねらった犯罪が続く中、またもや残忍な事件が発生しました。

 二月一七日、滋賀県長浜市で二人の幼稚園男女児が刃物で殺害された事件です。「殺すのは、周りにいる子なら誰でも良かった」というあまりにも身勝手な動機によって失われた二つの幼い命。子どもや家族のことを考えると、加害者が厳しい刑を受けることは当然のことです。

しかし今回の事件についても、あまりにも無神経な報道が目立ちました。広島の事件の時のように「中国人が~」という見出しこそ(少なくとも私は)見ませんでしたが、外国籍の人が関係する事件になると、なぜか大手の放送局や新聞社までもが三流大衆娯楽誌並みに人権感覚が薄れてしまうようです。例えば、郷里や生家まで訪ねて近隣・親族の声や朽ち果てた生家の映像や写真を堂々と流し、生い立ちを次々と明かしていくといったこと。中国の貧しい暮らしの中で育ったというようなネガティブなイメージがマスコミを通じて一方的に流されました。

また、日本語がうまくできなかったことがあたかも事件発端の直接的な動機であったかのような報道も見受けられました。ここで書く必要がないほど当たり前のことですが、日本語ができるかできないかは犯罪の動機になるわけがありません。あくまでも個人のモラルの問題であって、そのような同情論が出れば、被害者家族・関係者の思いが軽視されるばかりか、日本語でのコミュニケーションが困難な人たちすべてが犯罪予備軍のように見られる風潮をも助長しかねません。

さらに、広島の事件の時でもそうでしたが、一個人の特殊な事柄であるにも関わらず、あたかも中国人全体や外国籍の人たち全体の問題であるかのように一般化して語ろうとする傾向です。

今回のことで憤慨したのは某新聞社(大阪本社)の記事でした。二月一八日付の朝刊三面は『園児二人殺害』という大枠での記事の中に『日系外国人の入国条件を強化』という記事を入れ込むという、意図的としか思えない編集でした。これではまるで、「中国籍の人による犯罪も起きたことだし、日系人の入国も厳しくした方がいい」ということを主張しているかのようです。

一方、今回の事件の有無に関係なく、日本で暮らす外国籍の人たちが日々様々な課題に直面している現状に変わりはありません。

国際結婚の場合、同じ母語を話す同僚と一緒に就労する外国籍の人たちと比べ、友達や家族などとの関係も疎遠になりがちです。特にアジア系の女性は家事や育児を一手に引き受ける(押し付けられる)ことが多く、本人が社交的な性格でなかったり、同居する家族の理解が得られなかったりする場合には、外部の人たちとの接触もほとんど閉ざされ、問題を一人で抱え込んでしまう傾向があるように思います。

また滋賀県の場合、外国籍者の半数以上が南米国籍の人のため、南米国籍の人たち(特にブラジル人)に対しては不十分ながらも相談窓口や通訳態勢がとられているのですが、その他の外国籍の人たちに対してはほとんど何ら策が講じられていません。マイノリティーの中のマイノリティーの人にとっては、困りごとや悩みを抱えても、そのことを一緒に考えてもらえる場所すらなかなか見出せない実態もあるようです。

さらに、日本人と結婚したアジア系の女性に対してはまだまだ偏見が多いことも問題の一つとしてあります。(中国を含め)アジア系の人たちは、地域の人たちから「日本人と結婚できて良かったね」ということをしばしば言われるそうです。そこには、アジアの人たちは生活が苦しいからお金のために日本人と結婚している、といった偏見があります。仮に一部の人たちにそういったことがあったとしても、それを言えば相手がどのように感じるか、自分がもしそう言われたらどう感じるか、私たちの想像力はそこまで冷え切ってしまっているのでしょうか。

 外国籍の人たちが直面している生活問題を考える時、よく「外国人問題」という表現が使われます。けれども問題は外国籍の人個人にあるのではなく、日本社会の中にこそあるのだと私には思えてなりません。

松井 高 

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