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2008年2月 7日 (木)

05年4月号 在日ブラジル人と一五年の動き

在日ブラジル人と一五年の動き

 今年は一九九〇年の入管法改正から一五年になります。そこで今回は、これまで一五年間のブラジル人の生活について、駆け足ながらまとめてみたいと思います。

入管法改正と急増する来日ブラジル人

(一九九〇~一九九二年頃)

当時の状況】…バブル好景気の中にあった日本企業、とりわけ三K(きつい、きたない、きけん)と呼ばれる製造部門では慢性的な労働力不足に悩まされていました。そこで経済界から政府に対して強い要望があり、日系人に限り合法的に単純労働が行える道が示されます。それが一九九〇年(平成二年)の出入国管理及び難民認定法(入管法)の改正です。以降日系二世・三世とその家族に対しては「定住者」もしくは「日本人の配偶者等」という活動制限のない在留資格が付与され、その結果来日ブラジル人の数は急増します。一九八九年末には一四五二八人だった在日ブラジル人数は、翌年一九九〇年末には五六四二九人、一九九一年末には一一九三三三人とわずか二年で一〇万人以上もの増加(資料①参照)、この移住は「出稼ぎ現象」と呼ばれました。

生活の変化】…移住が民間主導で行われたことにより、ほとんどの来日者はブローカー(仲介業者)に対して多額の借金を背負っての出発となりました。労働契約という蓑をかぶった人身売買とも言え、就職斡旋に係る報酬として相当額の金銭のやりとりが業者間で日常茶飯事に行われていたと思われます。本国で聞いていた契約内容とは違う就労場所や仕事内容で働かされたり、時間給も同業他社から比べて相当低い額であったりしましたが、来日者はブローカーから借りた多額の借金のために転職することもままならない状態でした。現に、ブローカーや企業が逃亡目的で本人のパスポートを取り上げることも少なくありませんでした。

 さて、ライフスタイルとして一番影響を受けたのは一家の大黒柱が出稼ぎに行く家庭でした。来日の際の家族との別れは痛々しいものだったようです。妻子を残しての単身生活、父親のいない母子での生活などはその典型とも言え、このことは後々様々な問題を引き起こすことともなります。

 単身赴任者に限らず、当時のほとんどのブラジル人は「お金を貯めて一~二年で帰国する」と言っていました。時間外・休日問わず働き続ける、物はできるだけ買わず一日でも早く本国へ帰れるよう貯金する、そのためであれば多少のことは何でも我慢する、そういった傾向が強くありました。そのため、来日者は当初から労働問題や、医療問題、住宅問題などに直面していましたが、そのことが表立って出てくることは少なかったように思います。また多少の不条理はあってもそれなりの所得があったため、お金を払って問題を解決するということも多かったのでしょう。

 

家族の呼び寄せと子育て家庭の増加

(一九九三~一九九八年頃)

当時の状況】…日本の景気は下向きになりつつありましたが、三Kの仕事を行っていたブラジル人の生活を直撃するには至っていませんでした。バブル期から比べると給料は徐々に減っていったとはいえ、まだまだ多くの労働力需要があり、求職に困るということはほとんどありませんでした。そのため、「一〇円でも時給が高い職場があればどこへでも転職する」という人が多く、転居を重ねることもごく普通のことでした。

生活の変化】…家族や親戚の呼び寄せに関しては一九九一年頃からでもすでに傾向として見られました。好景気の中にあっては、家族や親戚のために片道航空券を立て替えることぐらいはたやすいことだったでしょう。

しかしながら、家族との日本滞在を数年というやや中期的な見通しで考え出したのは九三年頃以降だと思います。当初の見通しのようにあまり貯金ができなかったり、ブラジルでの物価高が進行したために当初の予定が狂ったり、貯金をして一旦は帰国したけれども事業がうまくいかずに再び来日したり、など理由は様々でしょうが、この頃になると日本での滞在がやや中期的になっていき、二~三年の滞在予定で子育てをする家庭が増えていきます。

 生活課題に関しては九〇年当初とそれほど大きな違いはなかったと思いますが、子育て家庭の増加に伴い、教育問題が大きな課題として現れてきたと言えます。「言葉の壁」とか「カルチャーショック」という言葉がよく教育関係者の間では使われていましたが、子どもにとっては「居場所のなさ」と「不安定な精神状態」の問題が大きかったと思います。出稼ぎ現象の中で、ブラジルにいた子どもは母親だけで育てられたり、あるいは親戚や祖父母にあずけられたりすることも少なくありませんでした。また来日後も日本の学校で友だちができない、また家に帰っても両親は残業で遅くにしか帰ってこない、その居場所のなさが子どもにとって一番つらいことだったと思います。また当時でも「日本はお金を貯めるためだけの国だから、一日でも早くブラジルへ帰る」と言っていた人が圧倒的に多い中で、ブラジルへ帰ることが決まった子どもは周りの子に自慢げに話し、日本に残った子どもたちは取り残されたような孤独感に襲われる、そんな雰囲気がありました。それに加え、両親の仕事の関係などで転居が特に激しい時期だったため、友だちができたかと思えば転居、そんな中で子どもたちが情緒不安に陥りやすい環境であったと思います。

 また徐々に長引く日本での滞在は、今まで独身だった人同士を結び付けることもしましたが、その反対に家族離散を招くこともありました。単身赴任者がその寂しさから他の女性と付き合いだし、ブラジルにいる家族と音信不通になってしまうことも少なくなく、日本で発行されているポルトガル語新聞にはいつも「尋ね人」のコーナーに多くの人の名が連なるという状況でした。

不景気の直撃と生活課題の噴出

(一九九九~二〇〇二年)

当時の状況】…一九九九年頃から日本の不景気が深刻化し、ブラジル人に対する求人情報や時間給も急激に下がっていきました。また一九九九年に施行されることとなった男女雇用機会均等法と労働基準法の改正は、ブラジル人のライフスタイルを大きく変えました。深夜労働が女性に開放されることによって、多くの企業がより安い賃金で深夜労働を行う女性へとシフトを変えていったためです。ブラジル人女性の間で夜勤や二交代・三交代の勤務形態が広がり、反対に職を失った男性が急増していきます。

 また二〇〇一年には企業は大規模な生産調整へ入ります。さらに同年九月にはアメリカで貿易センタービル破壊テロ事件が発生し、賃金の安いブラジル人女性ですら失業することが多くなりました。二〇〇一年の年末から翌年の初めまでは、ここ一五年で最も失業したブラジル人の多かった時期だと思います。

 

生活の変化】…不景気が進行する中で今まで潜在的にあった問題が表面化してきました。賃金の未払いだとか、家賃、医療費、教育費などが払えないといった問題です。特にブラジル人学校に子どもを通わせていた家庭では、そこでの学費(一人につき月四~五万円)が高額なために子どもを学費の安い日本の学校へ転校させるといったことが起こり、経済の影響が子どもの生活を大きく変える結果も引き起こしました。

 また、それまでは一年に一度里帰りするという人も多かったのですが、不景気の中でその費用を捻出するのが難しくなったこと、また再来日しても復職することが難しくなったことなどから、里帰りをする頻度が急激に減っていきました。さらに、少しでも時給の高い職場を求めて転職していたそれまでの生活は一変し、多少条件は悪くても現在の職場で解雇されないように我慢するといった意識へと変わっていきました。アイルトン・セナが亡くなったから喪に服して仕事を欠勤するというかつての状況ではなくなったのです。欠勤すると容赦なく首を切られるという怖さから、体調が悪くても出勤するなど仕事で無理をしがちにもなっていきました。

この頃になると「二~三年でブラジルに帰る」と考える人よりも、「いつかブラジルに帰るけれどもいつになるかは分からない」と考える人が増え、その長期滞在を見越して「永住者」の在留資格を取る人も増加しました。

また日本で出産をする人も増えていきます。九〇年代前半に来日した二〇代前半の女性が出産の時期に入ったことと、一〇代での出産も増えてきたこと、その他一人目は本国で出産した人も、一度出産経験を持つと「多少言葉が分からなくても日本でも大丈夫」という自信が出てきたことも要因の一つかと思います。

しかし日本で子育てや出産をする傾向は、子どもが日本の文化の影響をより強く受けることをも意味していました。同じ外国籍の子どもといえども例えば一〇歳頃に来日した子どもと彼らとでは大きな意識の違いが生じてきました。

ここ数年の出入国の動き

 

二〇〇三年とその五年前、一九九八年の年齢別登録者数(ブラジル人)を見比べると、ある事実に気がつきます。一つは、一五歳から一九歳を除きすべての年齢層で人口が増えているということ、これは日本での滞在が長期化していることを裏付けるものと思われます。そしてもう一つは人口のピーク年齢が五年前と何ら変わっていないということです(資料②参照)。この要因は、一九九八年と二〇〇三年のデータをクロスするとよく分かります(資料③)。例えば九八年末に仮に五五~五九歳の人口が五千人としてその後の五年間で出国者ゼロ・入国者ゼロであれば、〇三年末の六〇~六四歳人口は五千人になります。つまりこの方法によると、資料③のA‐Cがプラスであれば五年間で出国者よりも入国者が多かった、マイナスであれば入国者よりも出国者が多かったということを表します。

この結果によると現在のブラジル人人口を押し上げているのは新たに来日している一五~二九歳の年齢層の人たち、特に二〇~二四歳の入国者であることが分かります。また五五歳以上ではすべてマイナスとなっており、この年齢以上の人に出国者(本国への帰国者)が多いことが分かります。滞在の長期化が進んでいるとはいえ必ずしも永住化とは言えず、ブラジル人は未だ心の中に二重(日本とブラジル)の生活空間を持っているということでしょう。

最後に

これまでの一五年間、ブラジル人の生活は日本の社会情勢から激しく影響を受けてきました。これからの数年でも、技術革新による製造ラインの無人化、製造拠点の海外への流出、第3次出入国管理基本計画の行方など社会情勢は再び大きく変わりそうです。そんな中、経団連(日本経済団体連合会)は昨年四月、「外国人受け入れ問題に関する提言」をまとめ、「外国人受け入れ問題本部の設置、外国人庁(仮称)の創設検討」などを通じ、「国と地方自治体が一体となった整合性ある施策の推進」を提案しました。

外国籍住民の視点に立ち、必要な施策を総合的に迅速に行っていくことが国にも地方にもますます求められてきています。

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