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2008年1月 4日 (金)

じんけん04年6月号

 (財)滋賀県人権センター発行『じんけん』2004年6月号

イラクでの日本人人質事件と命の重み

 今回から二年間、偶数月の号を執筆させていただきます松井高(たかし)と言います。国際化を取り巻く内外の動きの中で、私(たち)が何を感じ、何を考え、何をしようと思ったか或いは何をしたかをお伝えしながら、様々な問題について皆さんと一緒に考えることができればと思っています。

 さて、今年に入ってからも国際化に関する動きが数多くありましたが、最近のニュースで最も話題となったのはイラクでの日本人人質事件でした。四月八日には高遠菜穂子さん、今井紀明さん、郡山総一郎さんの三人(同月十五日に解放)、次いで四月十四日には安田純平さん、渡辺修孝さんの二人(同月十七日に解放)がイラク国内で拘束されました。

 ここでは拘束された方の一人、高遠菜穂子さんのことを例にして、私がどのようなことを感じたか、考えたかをお伝えしたいと思います。地域での国際化をテーマにしている私たちの活動(日本ブラジルゆーあいネット)からは多少外れますが、それでもあえてここで取り上げたいと思ったのは、それが「命」という最も大切なテーマだからです。

 高遠さんは皆さんもご存知のように、イラクでストリート・チルドレンと呼ばれる子どもたちに関わっておられました。

 ストリート・チルドレンはその言葉からイメージされるものだけではなく、ゴミ捨て場で暮らしていたり、交差点で物を売っていたり、農牧や、ガードマン、レンガ、手工芸品、靴磨き、ベビーシッター、家事手伝いに従事したりしている子どもたちも含んでいますが、高遠さんはそれらの子どものうち、身寄りがないなどのために一日中路上生活をしている子どもたちと接していたそうです。

もうずいぶん前のことになりますが、私が当時関わっていたNGO団体では一九九三年七月にリオ・デ・ジャネイロで起こった、警官によるストリート・チルドレン八名の虐殺(カンデラリア事件)のことが大きく取り上げられていました。ブラジルにはストリート・チルドレンが相当多くいる(現在ブラジル国内のストリート・チルドレンは推定で約七百七十万人とも言われています)という話も聞き、私は子どもたちの様子を少しでも知りたいと、十年前初めてブラジルへ出かけました。

 サン・パウロ市内中心部にはセー広場(Praça da Sé)という所があり、ここにはストリート・チルドレンが数多く集まってきます。「セー広場には行かない方がいい。一週間前にも新聞記者が子どもたちに襲われたよ」という地元の人の忠告もありましたが、実際に自分の目で見てみたいという想いが私にはありました。

 他の人から危ない所と聞いて描いていたイメージとは反対に、私には普通の広場とそれほど変わりがないように思えました。

 違うのは、日中でも路上で寝ている子どもたちの姿をあちこちで見かけたことです。何人もの子どもが寄り添うようにして寝そべっている光景も多く見かけました。屋根のある場所で暮らすという私たちにとっては当たり前のことでも、彼らにとっては日常のことではないのです。また昼間からシンナー(のようなもの)を吸っている子どもたちが多くいるにも関わらず、すぐそばにいる警官が全く気にもかけていない状態だったことに驚かされました。

 そういった子どもたちが臓器提供のために売買されることもあると聞いています。ブラジル映画「セントラル・ステーション(Central do Brasil)」でも、駅の警備員が、母親を亡くし孤児となったストリート・チルドレンと知り合いだった代筆屋のおばさんからその子を買い取るという場面がありました。家族がいないということは、子どもが行方不明になってもそれを訴える人すらいず、その実態が表面化することがないためです。

 また犯罪組織の手下として使われることもあります。ブラジル映画「シティ・オブ・ゴッド(Cidade de Deus)」では貧民街で暮らす人たちの生々しい現実が描かれ、麻薬の運び屋として子どもが利用される場面もありました。ただ、貧困が犯罪を生み出すとよく言われますが、実際に犯罪に走る子どもはごく少数で、大半は貧しくても誠実に生きていこうとしています。

 そのため、生活手段も食べ物もない状態でやむなくゴミ捨て場で暮らす子どもたちも数多くいます。ゴミ清掃車が到着する度にその場へ押しかけ、ゴミの中から食べられそうな物を探しては、その日その日を過ごしているのです。悪臭で立ち込める劣悪な環境の中、ゴミの山が崩れ、不幸にもその下敷きになって亡くなる子どももいるそうです。

ストリート・チルドレンとなるのは一般的に七歳から十一歳ぐらいの時です。理由は様々でしょうが、貧困に加え、両親の不在、離婚や、家庭内暴力などに起因することも多いようです。また、路上生活を始めてからは何も悪いことをしていなくても周りの人たちから泥棒や犯罪者扱いをされ、社会からの差別や偏見に直面することとなります。

イラクでは戦闘が始まる前にはストリート・チルドレンはほとんどいなかったそうなのでブラジルの状況とは大きく異なりますが、現在その数は三千人以上と推定され、戦闘による家族との離別や孤児院などにいた子どもが行き場を失ってストリート・チルドレンになっていると言われています。

そのような状況の違いはあるにせよ、ブラジルの子どもたちがそうであるように、住居も家族もなく、劣悪な環境で生きる彼らが自分たちの未来に希望を持つことができず自暴自棄になりがちなことは共通しています。イラクでもシンナーやドラッグにはまる子どもたちが増え、社会からますます孤立するという悪循環に陥り、また非常事態の中、市民からも見放されがちになっているそうです。

そんな時自分たちのために必死に力を貸してくれる高遠さんは、子どもたちにとってはまるで救世主のように映ったことでしょう。子どもたちが最も求めていたものは、わが身を省みず純粋に自分たちの力になってくれる、そんな愛情に違いないからです。

その活動のさなか高遠さんは今井さん、郡山さんと共に拘束され、解放後、日本へ帰ることとなりました。

日本では「日本人人質解放」の知らせに皆が喜び、誰もがほっと胸をなでおろしました。けれども冷静に考えれば、「日本人が助かった」といって喜ぶという気持ちはどこかおかしくないでしょうか?例えばこれが同じ日本の住人であっても、外国籍の人だったとしたら私たちはどのような印象を持ったでしょうか?

今回の人質事件を通して「命の重さ」を実感したという人は数多くいると思います。けれどももう少し目を凝らすと「命の重さ」は国籍などによって違って見られているという現実に直面します。

イラク国民の命や生活を守るということが今回の戦闘を始めることとなった「正義」だと思いますが、戦闘とは何の関係もない市民が数多く巻き添えになってしまうという事実を私たちは見てきました。

戦闘に巻き込まれてここ一年で亡くなった市民の数は推計で約八千人から一万人。『誤射・乱射止まらず』と題した四月十五日付の毎日新聞は、あるイラク人遺族の声を取り上げました。

《バグダッド西部の住宅街アルベヤー地区の病院職員、サーマル・アブドラアザム・デュアドさん(三十八)は両手で涙をぬぐって語り始めた。…(中略)…

兄の機械工、アブデルワハームさん(当時三十九歳)が帰宅せず行方不明になったのは、昨年七月のことだった。…(中略)…

十月、市内の病院に保管されていた兄の遺体写真二枚を見つけた。体には十数発の弾が撃ち込まれていた。七月十三日に市内の高速道路を走行中、検問所にいた米兵五人から銃撃を受け死亡したことが分かった。
 サーマルさんはNGO(非政府組織)『ヒューマンライツ・オーガニゼーション』の協力を得て、銃撃時、米兵に付き添っていたイラク人通訳の「目撃証言書」を入手した。それによると、銃撃は車が七十~八十メートルも離れた時点から始まった。証言は「まだ遠距離だったのに、なぜ不審車と考えたか分からない」「兵士は銃撃の際、笑っていた」と強い疑問を示していた。米兵が車を調べても爆発物などの不審物は出てこなかったという。
 「当然だ。兄は普通の職人だったから」。サーマルさんは「事件後、米兵は車のナンバープレートを持ち去り、兄の衣服から身分証を抜き取った。事件を隠そうとしたんだ。しかも、遺体を百メートルも引きずって捨てたのだ」と怒りに震え、再び涙に暮れた。
 兄には残された妻と男女児四人がいる。NGOの粘り強い折衝から、米軍は今年に入って非を認め、三月、遺族に対し二千五百ドル(約二十七万円)の賠償金を支払った。だが、サーマルさんは「何の慰みにもならない。兄の遺族は私たち親族が面倒を見る」と話す。…(後略)…》

誤射によって殺害されてもわずか二十七万円のイラク人の命。そして無事に保護され安全な地に戻ることができた高遠さんらの命と、逃げる場所もなく今なお死と隣り合わせで生きている子どもたちの命。先進国あるいは日本人であるというおごりが私たちの心のどこかにあって、世界中のすべての人の命は等しく尊いという事実を見えにくくしてしまってはいないでしょうか?

五人全員が無事帰国すると並行し、日本では自己責任を問う声が高まりました。退避勧告が出ていたにもかかわらず、民間人がその地に足を踏み入れること自体が無責任な行動だと。しかしながら、外務省のホームページ(http://www.anzen.mofa.go.jp/)を見ると退避勧告が出ている国・地域はイラクに限らず、世界中に数多くあることが分かります。

 もちろん、危険を冒さずにいるという選択肢が間違っているわけではありません。けれども、すべての人が自分の身の安全が何よりも大切と考えるならば私たちの世界は殺伐としたものとなるのではないでしょうか。

例えば震災時に瓦礫の山の中で誰かが助けを求めている時、あるいは燃え盛る火の中に子どもが取り残されている時、わが身を省みず救助を行った人が二次災害に巻き込まれたとして、誰がその人のことを「軽率で自己責任をわきまえなかった」といって責めることができるでしょうか?

命を守る活動は、理由の如何を問わずそれ自体が尊いものなのです。

また、なぜイラクの子どもたちが命の危機にあるかということは私たちにも容易に想像できることだと思います。高畑勲監督の映画『火垂るの墓』では、戦火に巻き込まれ運命を翻弄される子どもの姿が描かれました。四歳の節子と十四歳の清太は空襲で母を失い、その後叔母の家に身を寄せますが、冷たい仕打ちに家を飛び出てしまいます。けれども幼い二人に生きる術はありませんでした。餓死した妹の遺骨を持ったまま駅の柱にもたれながら亡くなる清太の姿は、今でも私たちの心の中に焼きついているはずです。

戦火の中で増え続けるストリート・チルドレン。その子たちの心の痛みを自分の心の痛みとして感じ、また自分を必要とした子どもがいたからこそ、高遠さんは危険を承知でイラクへ入られたのです。

 「NGO活動に国境はない」と言われます。必要としている人たちのことを考え、必要なことを行う。そこには「日本人」という枠を越えたヒューマニズムがあります。国籍や民族などに関係なく、様々な人たちが置かれている状況を考え、その一人ひとりの命や生活を大切にする、その視点こそが今の私たちに求められているものではないでしょうか?

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