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2008年1月 5日 (土)

04年10月号 ブラジルへの里帰り

ブラジルへの里帰り

 今年の夏は、家族四人全員でブラジルのフォルタレーザへ行くこととなりました。妻の帰郷は7年ぶりのことです。

子どもといえども二歳以上ですと航空運賃は大人とほぼ同額ですし、ましてバカンスシーズンとあって大変な出費となりましたが、子どもたちにお母さんの郷里を見せるためにも何とかして家族全員で出かけたいと思っていました。

 行きの日本からドイツ、帰りのイギリスから日本への航空券は日本で購入しましたが、その先のドイツ→ポルトガル→ブラジル→ポルトガル→イギリスの航空券は、海外にある旅行代理店を通じて入手しました。

 やっとのことで航空券の手配ができ、子供の日本人パスポートを作ってブラジル領事館へ出かけたのは出発予定の約二ヶ月前のこと。ところが、母親がブラジル人の場合、子どもたちはブラジル人パスポートでないとブラジルへの入国ができないといいます。しかもブラジルでは公務員が長期ストライキに入っていて、パスポートの発行には恐らく三ヶ月ぐらいはかかる、というのです。そう言えばブラジルでは数年前、公立学校の先生が長期ストライキに入り、数ヶ月に渡って休校になったことがありました。さすがブラジル、ストの規模も違います。

 幸運にも出発予定のちょうど一週間前に子どもたちのパスポートが自宅へ届きましたが、今度は私の観光ビザ取得のための日数がありません。そんなわけで、前途の予定もよく決まらぬまま出発日を迎えてしまいました。

 日本からドイツのフランクフルト(ソウルまで二時間半、ソウルから十一時間)へ、続いてその日のうちにポルトガルのリスボン(三時間)へ行く予定をしていましたが、ここでもまたハプニングがありました。フランクフルトからのポルトガル航空の便が欠航になっていたのです。替わりの便は翌日になるといいます。結局夜十時出発のルフトハンザ航空でリスボンへ向かうこととなりましたが、

捨てる神あれば拾う神あり。私たちと同じように途方に暮れていたポルトガル人家族と一緒に楽しい時を過ごすことができました(航空会社がお詫びとして一人につき十五ユーロ、約二千円を食事代として補助してくれたのもラッキーでした)。

 リスボンに到着した翌日、真っ先に出かけたのはブラジル領事館。目的はもちろんブラジル行きの観光ビザを取得するためです。事情を話すと、こちらはまだ航空券の予約もしていなかった(一旦は予約していたのですがブラジルに行けない時のことも考え、私と子どものポルトガル―ブラジル分はキャンセルしてしまいました)のですが、ビザ発行の手続きをすぐにしていただけることとなりました。規則は規則でも、事情に合わせて臨機応変に対応してくれるのがラテン系の人たちの良さでもあります。

その足で今度は現地の旅行代理店へ。あいにく妻と同じ便(ブラジルのヴァリグ航空)は満席でしたが、行き帰りともに同じ日でポルトガル航空のチケットを手に入れることができました。

さて、リスボンは古い町並みですが観光が主産業というだけあって街全体がテーマパーク化したような所です。何よりもありがたかったのは物価が安かったこと。特に交通費が安く、市内を縦横に走る四つの地下鉄を乗り継いでも片道〇・六五ユーロ(約八十二円)。郊外へ向け一時間ほど電車に乗ったときも一・三ユーロ(約百七十七円)、路面電車に一時間くらい乗っても一ユーロ(約百三十六円)でした。タクシーはやや高いものの、それでも市内であれば三~七ユーロ(約四百八~九百五十円)くらいで大抵どこへでも行けました。 

食べ物はイワシやタラ、タコなどはありましたが、概して果物や野菜は品薄といった感じでした。スーパーマーケットでも果物や野菜の値段は高く、庶民には手が届きにくいもののようにも思えました。飲み物も炭酸飲料が主で、大きなお世話だと思いますがポルトガルの人たちの栄養バランスが心配です。

七月はちょうどバカンスシーズンで、ポルトガルへはヨーロッパ各地から旅行者が訪れるそうです。ヨーロッパ諸国の中でもかなりの経済格差があり、所得の高い国の人たちが滞在費の安い国へと休日を過ごしに出かける傾向があります。例えば、私たちが後に訪れたイギリスのロンドンは東京かそれ以上に物価が高いようで、ロンドン市内の空港間を結ぶバスでも約二千五百円、タクシーも一時間ほど長距離を走れば一万円くらいかかってしまいます。シティーホテルのような宿泊施設でもツインで一泊二万円くらい。私たちがリスボンで泊まった三ツ星ホテルは四人で一泊五十五ユーロ(約七千五百円)でしたから、その違いは歴然です。

経済的に豊かな国からは簡単に近隣諸国へ旅行に行けるのに、その逆は難しいことを考えれば何ともいえない気持ちになります。

また、ポルトガルの中でも貧富の差があるのでしょう。道端で女性が三~四歳くらいの子とともに物乞いをしているのを見て寂しくなりました。

とはいえ、私たちはポルトガルでの滞在を満喫し、動物園や科学館、宮殿や遺跡、教会、ショッピング街や映画館などに出かけました。ポルトガルの夜は長く、午後九時でもまだ空は明るいため、ついつい夕食の時間が遅くなってしまいます。ショッピングセンターも毎日二十四時頃まで開いているため、日本人でもここへ来ればラテン的な生活になってしまいそうです。

興味深かったのは、市中心部にある映画館では飲食物の持ち込みが一切禁止だったこと、また映画の途中で突然トイレ休憩の時間が入ったことです。路面電車もほとんどがかなりの年季ものでしたが、古き伝統を守ろうとするのもポルトガル人気質でしょうか。

いよいよブラジル行きの日が来ました。私と子どもは別の飛行機で妻の後を追いかけます。私たちの座席の前には女の子が座っていて、退屈したのか私にいろいろ話しかけてきました。ところがフランス語なので何を言っているのかさっぱり分かりません。分かったのはその子の名まえと年齢が六歳ということくらいでした。ここで役立ったのは子どもの暇つぶしのために持ってきていた折り紙。うちの子もその子とすっかり打ち解け、折り紙に夢中になっていました。

一緒に座っていたお姉ちゃんやお母さんは数年前までブラジルで暮らしていたとのこと。ポルトガル語での会話が楽しめたおかげで、フォルタレーザまでの八時間もあっという間に過ぎました。お姉ちゃんは小さい時から日本に興味があるらしく、「絶対に一度日本へ行ってみたい」と言っていました。ここでも子どもの暇つぶし用に持ってきた桃太郎の絵本が役立ち、侍の絵や鬼の絵などが面白かったみたいなので記念にプレゼントしました。外国の人たちと話をしていると、不思議なことに「日本には固有の文化が数多くあるのだなあ」と改めて気づかされます。

 フォルタレーザは海岸に高層ホテルが立ち並ぶ観光地です。観光の目玉はその美しいビーチ。日本には白砂青松(白い砂と青い松)という言葉がありますが、フォルタレーザは(風で吹き飛ぶようなサラサラの)白砂と青いヤシの木の世界でトロピカルな雰囲気満点です。

 さて、我が家の子どももおばあちゃんや親戚と初めて会うことができました。二ヶ国語話せるというのは便利なことで、すぐにいとことも仲良くなり、その後はこぞってやんちゃのやり放題です。

 ブラジルの物価はポルトガルよりもさらに安く、市内であればバスをどれだけ乗り継いでも一・五レアル(約五十四円)。往復四時間ほどかかる所へ日帰りのバス旅行に出かけた時も一人につき四十レアル(約千四百四十円)だけで済みました。タクシーもポルトガルと比べ二~三割安。簡単な食事であれば十レアル(約三百六十円)、ファーストフードであれば五レアル(約百八十円)くらいです。

 また新鮮な果物や野菜、肉、魚介類などがどこでも安くで手に入ります。飲み物も炭酸飲料や水以外に天然果汁のジュース(マンゴ、グアバ、パッッションフルーツなど)やヤシの実ジュースなど種類も豊富で値段も一レアル(約三十六円)から二レアル(約七十二円)くらいでした。

一つ困ったのは、私はいつも現地のATMで普通預金のキャッシュカードを使っていたのですが、一回で千レアル(約三万六千円)引き出した時に口座の取り扱いが中止になってしまったことです。不正を防止するために普通預金といえども一日の取り扱い限度額が千レアルになっているということでした。洗濯やアイロンがけ、料理や掃除などをする家政婦さんの月給が約二百六十レアル(約九千三百円)といいます。ブラジルの人からすれば千レアルは相当高額なお金なのでしょう。

私たちにとっては物価がかなり安いとはいえ、現地では給料も安いのですから生活は決して楽とは言えません。妻の親戚の家を訪ねた時、小学生ぐらいの子どもがいたのですが、「せっかくの長期休暇なのに、ずっと家ばっかりでどこにも連れて行ってもらってない」と泣きそうな顔で話していました。お母さんはどこかに連れて行ってあげたいけれど時間もないし金銭的余裕もない、といった感じでした。働いても働いても食べていくのが精一杯というのがほとんどの家族の現実なようです。日系の人たちが最初はブローカーから借金でもしないと来日できないと言っていたことが、その地に行ってみると実感としてよく分かります。

 ブラジルを後にし、ポルトガルへ戻る日が来ました。ここで再びハプニングです。妻が手続きをした二時間くらい後になってから私と子ども二人は出国手続きをすることになったのですが、そこで呼び止められてしまいました。「ブラジルの法律では両親が同伴、もしくは両親の同意書がなければ子どもを国外へ連れて行くことはできない」といいます。妻の飛行機はもう離陸してしまった後です。

 法律どおりではブラジルからしばらくは出られません。これこれこういう事情なので何とかお願いしますと話すと、幸いなことに離陸したと思っていた妻の飛行機がまだ出発していないことが分かりました。係員の人が妻を探しにいってくださり、無事に出国することができました。

 それにしても、ポルトガルにせよブラジルにせよ、飛行機はいつも遅れて出発します。欠航になっていたのもポルトガル航空ですし、妻と私たちを合わせてラテン系の飛行機を述べ四回利用したのですが、出発時間はすべて一時間から二時間遅れでした。出発予定時刻の頃になってようやく機長やスチュワーデスらが搭乗するといった具合です。こんなのらりくらりは「百害あって一利なし」と思っていましたが、今回ばかりは出発時刻の大幅な遅れのおかげで私たちは救われました。

 ポルトガルに着くと、少し驚いたことがもう一つありました。ブラジル入国時には子どもらのブラジル人パスポートを提示したのでポルトガルへ再び帰ってきたときにも同じようにブラジル人パスポートを提示したのですが、「これではなしに日本人のパスポートを提示してください」と言われたことです。パスポートを見る限りでは子どもらの出入国記録の一貫性がありません。何ともおかしな話です。

 ヨーロッパの航空券でもう一つ驚いたことがありました。それは片道航空券が往復航空券の五倍くらい高い料金になっていることです。そのため私たちはフランクフルトからリスボンへは往復航空券を購入し、復路を使わずに捨ててしまいました。

 その謎は、私たちがイギリスへ渡ったとき分かりました。特にイギリスでは出入国管理が厳しかったためもあると思いますが、私たちは長い間空港から出られずにいました。特に妻には入国手続きの係員が、イギリスでの滞在先や滞在先の友人との関係、日本での現住所やそこでの居住年数など、相当しつこく質問をしていました。どうやらヨーロッパでは越境入国が後を絶たず、片道航空券しか持っていない人はことごとく疑われるようです。

 今回の旅は私たちにいろいろと楽しい思い出を作ってくれた一方、イギリス、ポルトガル、ブラジルの三カ国を回ったことで、経済格差や国家と世界の関係をも考えさせられることともなりました。途中、スイスやポルトガル、フランスに住むブラジル人に出会い、一国の人たちがこれほど多くの国で生活をしているのだとグローバル化を感じさせられましたが、国家の壁はまだまだ厚いようです。同じ人間がどこの国にでも自由に行け、自由に活動できる社会はいつか来るのでしょうか。

松井 高 brazil@nifty.com

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