カテゴリー「1 新聞記事」の10件の記事

2008年2月 9日 (土)

改正入管法成立:16歳以上の外国人、指紋提供義務付け(転載)

毎日新聞 06年5月17日

改正入管法成立:16歳以上の外国人、指紋提供義務付け

 入国する16歳以上の外国人に対し、指紋や顔画像の提供を義務付ける改正出入国
管理・難民認定法が17日午前の参院本会議で、与党などの賛成多数で可決、成立し
た。
 指紋情報はデータベース化され、在留管理や犯罪捜査にも利用する。また法相がテ
ロリストと認定した人物を退去させる規定も新設された。改正法のうち、指紋採取や
テロリスト認定に関する部分は、来年11月までに施行される。
 政府は「その間に諸外国の理解が得られるよう十分説明したい」としている。【森
本英彦】
 

日本語講師に語学講座 県教委が外国籍児の指導力向上へ(転載)

中日新聞(滋賀版) 06年5月2日
http://www.chunichi.co.jp/00/sga/20060502/lcl_____sga_____000.shtml

日本語講師に語学講座 県教委が外国籍児の指導力向上へ

 県教育委員会は、小中学校で外国籍児童生徒らに日本語を指導する非常勤講
師らを対象に、今年からポルトガル語とスペイン語の語学講座を設ける。児童
らの母国語を身につけてもらうことで意思疎通をスムーズにし、現場での指導
力向上につなげたい考え。一日に文部科学省による県教委が実施する事業への
予算化が決まった。 (本安幸則)

 県教委によると、県内の小中学校で日本語指導が必要な外国籍児童生徒の数は推計
七百九十人。母国語別でみるとポルトガル語が最多で、スペイン語が続いている。

 県教委では、同一校に日本語理解が不十分な児童生徒が二-四人いる場合は週二
回、五人以上いる場合には週三回、本年度は現時点で非常勤講師五十二人を小中学校
六十二校に派遣する措置をとっている。ただ、日本語指導が専門の非常勤講師らが児
童らの母語語に精通しているとは限らず、指導にあたっては講師らの自助努力に頼っ
ているのが現状だった。

 そのため県教委は、文科省の「地域が抱える教育課題に対応した指導者養成育成事
業」の一環として予算申請していた。

 講師らへの語学特訓は、夏休みの時期に計四日間、京都外国語大学教授から指導を
受ける。午前の三時間はポルトガル語、午後の三時間はスペイン語を学ぶというスケ
ジュール。非常勤講師らと同様、小中学校で児童らの日本語指導にあたっている加配
教員にも参加。語学講座のほかに実践交流会などを開催、習得した語学を生かし授業
の充実を図ってもらう。

 県教委は「児童らの母国語を学んでもらうことで、講師らの自信にもつながる」と
している。また県内の全中学生に配布している県立高校の学校案内集「夢の設計図」
のスペイン語、ポルトガル語への翻訳も計画しており、「外国籍の生徒らの学習意欲
を高め、学び続ける夢を描いてもらいたい」と強調している。

2008年2月 8日 (金)

県教委が母国語話す協力者募る 外国籍児童生徒の支援に(転載)

06年4月21日 中日新聞・滋賀版

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sga/20060421/lcl_____sga_____001.shtml

県教委が母国語話す協力者募る
外国籍児童生徒の支援に

 県教育委員会は本年度から、母国語を話すことができる指導協力者を小中学校に派
遣する。増加する外国籍児童生徒の支援する「ほっとサポーター事業」で現在、指導
協力者を募っている。ただ、指導協力者の応募はまだ数人程度にとどまっており、
「一人でも多く登録してほしい」と協力を呼び掛けている。 (本安 幸則)

 県内で、日本語指導が必要な外国籍児童生徒は推計790人。母国語別でみるとポ
ルトガル語が最多の510人で、次いでスペイン語が196人、中国語39人。この
ほかタガログ語、モンゴル語、クメール語などと幅広い。

 県教委ではこれまで、同じ外国籍の児童が2人以上在籍する学校には日本語指導の
ために加配教員や非常勤講師を派遣していた。しかし、在籍者が1人だけの学校など
への対応はできておらず、児童生徒や保護者、受け入れ側の学校に戸惑いもあった。

 今回の事業では、これまで講師の派遣措置がなかった学校や母国語での支援が緊急
に必要になった学校に、サポーターを週1回程度派遣する。児童生徒と交流を図って
学校生活での様子を把握するとともに、担任らとのコミュニケーションを取り持つ。
また保護者にも学校の連絡事項などを伝え、それぞれの不安を解消するのが狙いだ。

 5月中旬から学校にサポーターを派遣する予定で、児童らと母国語でコミュニケー
ションがとれる社会人や学生らを募集している。対象はポルトガル、スペイン、中国
などの各言語。県教委は「日本語が理解できない児童生徒にとって母国語の存在は大
きい。ぜひ大学の留学生にも応募してほしい」と話している。問い合わせは、県教委
学校教育課=電077(528)4576=へ。

「外国籍の子ども」教育と人権で 支援団体が滋賀県教委と初協議(転載)

2006年3月28日(京都新聞・滋賀面)

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006032800245&genre=F1&area=S00

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「外国籍の子ども」教育と人権で
支援団体が滋賀県教委と初協議

「外国にルーツを持つ子どもの教育と人権を守るネットワーク」と県教委の初協議
(県庁)
 滋賀県内で外国籍の子どもが急増するなか、支援団体でつくる連絡協議会「外国に
ルーツを持つ子どもの教育と人権を守るネットワーク」が28日、県教委と初めて協
議し、不就学問題や高校進学へ向けた進路指導のあり方などについて意見交換した。

 大津市の県庁であった協議には、同ネットのメンバー6人と県教委学校教育課の担
当者3人が出席した。

 外国籍の子どもに義務教育が適用されず、不就学が多い現状について、同ネット
ワークは「門をたたけば受け入れるという姿勢ではなく、子どもの学ぶ権利を保障す
る観点で対応してほしい」と、県教委に実態調査を行うように求めた。

 また、県内の外国籍生徒の高校進学率向上につなげるため、全県立高校の案内集
「夢の設計図」をポルトガル語やスペイン語などでも作成し、中学1年生に配布する
よう要望した。

 同課の担当者は、文部科学省が新年度に全国2カ所で実態調査を行うことを明らか
にし、「優先順位が高いはずの滋賀で実施するよう国に申請している。対象に選ばれ
なくても、県が独自に調査に乗り出したい」と述べた。協議後、同課の担当者は高校
案内集の他言語版について「必要性は認識しており、発行時期や作成方法を検討した
い」と話した。

 同ネットと県教委は今後も定期的に協議を続ける。

ニッケイ新聞メルマガ 移民特集

ニッケイ新聞メルマガ版 170号  05年10月15日 より(転載)
◎ニッケイ新聞社ホームページ http://www.nikkeyshimbun.com.br/


■移民がみた『ハルとナツ』=現実はドラマ以上!?      10月12日(水)

 現実はドラマよりもっとドラマティック――。NHK開局80周年記念番組『ハ
ルとナツ~届かなかった手紙~』が2日から6日の5日間にわたって放映された。
2008年の移民百周年を目前に控えた現在、日本で初めて、ブラジル移民につい
て大きく取り上げたドラマとして注目を集めている。取材した十数人からは、「苦労
したところばかり見せている気がする」「この話そっくりだった」「あんな綺麗な小
屋なんてなかった」などいろいろな声が寄せられた。現実の移民たちもドラマ以上
の困難を乗り越えたすえ、現実に「今はやっぱりブラジルがいい」との心境に達し
たものも多い。この大地に根をはった一般移住者が観たドラマの感想とは―。自身
の経験と重ね合わせて、渡伯から入植、現在のブラジル生活までを振り返った。


『姉さんは三、四年で帰るゆうてたのに捨てられた』

◇平井博子さん
(65歳、二世、バストス出身、聖市在住)

 「このドラマそのまんまでびっくりしたよ」。二世の平井博子さん(65)は両親
の体験をドラマのストーリーに重ねあわせて驚く。 
 父が一九三〇年に、母はその五年後にバストスに入植した。「母は妹を残してブラ
ジルに来た。三、四年で帰るつもりだったけど子どももできて、お金が残らなくて
帰れんかった」。
 母は女学校に通っていたため、田舎の生活にもなかなか適応できず、毎日「帰り
たい」と泣いていたそう。十年後、サンパウロに移り住み魚屋などをしていた。
 ドラマを見て、あらためて思った。「やっぱり母の言う通り、移民は苦労したんだ
ね。夜逃げする人も多かったって。私は五歳でサンパウロに来たからあまり実感は
無かったけど…」。
 何年か経ち、平井さんが日本にいる母の妹を訪れた時は「姉さんは三、四年で帰
るゆうてたのに捨てられた、って言ってた。だから私が訪問するのもあまりいい気
はしんかったみたいね」とドラマの設定と同じような当時を振り返り、「日本にいる
日本人がどういう感想を持つかが気になる」と話した。


『我々、苦労するために生まれてきたようなもんです』

◇細樅良盛(ほそもみ・よしもり)さん
(83歳、1959年渡伯、鹿児島県出身、サンベルナルド・ド・カンポ市在住)

 サンベルナルド・ド・カンポ市郊外の山奥にある家で熱心にドラマを鑑賞する細
樅良盛さん(83)。一九五九年、あめりか丸で渡伯し、ブラガンサ・パウリスタに
四人の子どもを連れて入植した。「ブラジルで一生暮らそう」という決意でバタタ(じ
ゃがいも)の栽培をした。
 「自分の経験と重なるところがあって、どうもこれ観てたら涙が先に出る」。ハル
の兄が亡くなる場面を観て「私もこっちへ来てたった三ヵ月で子どもを一人、欠水
病で亡くしてしまった。このドラマと同じように医者がいないし言葉がわからない
し困った」と当時を思い出す。
 「ブラジル国内で皆、最低十回は移動してるよ」。バタタ栽培は思ったより上手く
いかず、現在住んでいる市で二十五年間トマト栽培をした。「これまたドラマと一緒
で雹にやられたこともあった。五分間降り続いた後、これを腰が抜けたというのか、
と実感するくらい呆然としたよ」と話し、「でもこんなの人並みだったさ。我々、苦
労するために生まれてきたようなもんです」ときっぱり。
 また、ハルの父がしきりに「私は日本人だ、日本人の誇りを持っている」と主張
する場面では、「ヨは日本人という誇りを持っている。今でも持っている」と語気を
強め「今の日本は個を主張しすぎだよ。個人一人では生きていけない。個人の集合
が国だ。世の中のためになるような人間にならないとだめだ」と一喝した。
 「このドラマは苦労したとこばかり見せている気がするけど、育てた作物が実っ
た時とか、物事を成し遂げた喜びもたくさんあるんですよ。大きな木の根を掘る場
面では開拓の嬉しさを思い出した。私もやったよ」と当時を振り返り、「こんな風に
吉と凶の繰り返しで今の日系社会ができたんだよ」。


『(母を)日本に残った兄に会わせてあげたかった』

◇守屋保尾さん
(80歳、1926年渡伯、長野県出身、聖市在住)

 「母はいつも瞼に息子を描きながらブラジルで働いてた。病気でもどんな姿でも
日本に残った兄に会わせてあげたかった。母さん、と言って抱きしめてあげて欲し
かった」と涙ぐむ守屋保尾さん(80)は、一歳のとき、兄弟四人を日本に残し両
親と姉とアリアンサ移住地に入植した。
 「母は何とかしなきゃいけないって、農業もやったことないのに苦労してた。カ
フェも採れるようになったと思ったら霜にやけて、採れたと思ったらカフェの値段
下がって。いいことなんてなかったわよ」。働いても日本に帰れる状況ではなく、結
局は聖市に出てきたという。
 戦後、日本にいる兄弟から届いた葉書に、「悪夢から覚めた日本は」という記述が
あったことに驚いたと言う守屋さん。敗戦の知らせを聞いた日は父と一緒に泣いた。
「父は軍人だったからショックで仕事ができないほどでした。このドラマに出てく
るハルの父の気持ちもよーくわかりますよ。負けてるってわかってても口に出すの
が辛かった。日本人の意地で負けたと子供には言いたくなかったのでしょう」。
 その後、父は帰国し、五十年ぶりに息子たちに会えた。「兄弟はブラジルまで自分
らを捨てていかんでも東京で頑張ってたら、家族が離ればなれにならんかった、っ
て両親を恨んでた。でも、ブラジルでどんな苦労したかわからん」と当時を思い出
す。
 父が息子たちと再会したときは、「母を連れてこれんで申し訳ない」と詫びていた
という。「私が母を会わせてあげたかった。何とかして日本に帰してあげたかった」。


『日本にずっと帰りたかったけど、家族のあったかさはブラジルにある』

◇猪野ミツエさん
(80歳、和歌山県出身、1953年渡伯、聖市在住)

 「苦労もいっぱいしたけど、今が一番幸せ。孫にかこまれて、日本よりブラジル
がいいって思う」。ドラマの結末はハルが「今はやっぱりブラジルがいい」という心
境になり、ナツもブラジルへ来て一緒に住むというところで終わる。
 猪野ミツエさん(80)は一九五三年、十年経ったら帰国するつもりで二人の子
どもを連れて来た。マット・グロッソ・ド・スール州のドウラードスに入植し、カ
フェ栽培をしていた。「もう子どもいたし泣いてる暇なかった。自分はどうでもいい
から何としても子どもは学校へ行かせてあげたかった」と話し、「ナツも一人で強く、
日本人という誇りを持って生きていったんだということをブラジルにいたからこそ
ひしひしと伝わってきた」と言う。
 二十九年ぶりに帰国した際には「日本にいる日本人より、私らの方が日本への愛
着を感じた。愛国心って言うんでしょうか」。
 また、「ハルとナツが神戸港で引き裂かれる場面、あんな手が触れられるまで近く
にいけるわけないよ、ありえない」と笑い、「私らは着るものもろくになかった。言
葉にも苦労した。このドラマみたいに綺麗な小屋なんてなかったよ。ドラマだから
仕方ないけど」と自身の入植当時との違いを話した。
 「今は日本へ遊びに行くのはいいけど住むのは…。日本にずっと帰りたかったけ
ど、家族のあったかさはブラジルにある。孫ができてからは報われたと思った」と
考えの変化を話した。


『とうとう日本にいる兄弟に会わずに亡くなったよ』

◇玉井須美子さん
(79歳、愛知県出身、1933年渡伯、聖市在住)

 「このドラマはハルとナツが出会えるだけ幸せなんです。最後にはナツがブラジ
ルに来るし。兄弟が会えずに亡くなる人も多いんですよ」。一九三三年に両親と兄、
姉と渡伯した玉井須美子さん(79)は思いを話す。
 両親は、日本で絹織物を製造していたが店が破産して渡伯することを決意したと
いう。「農業なんてやってなかったから苦労したのよ。でも両親の苦労のおかげで幸
せなんですよ、今はこんなにいい生活ができるとは思わんかった。感謝しています」
と笑う。
 両親を日本へ帰してあげようとしたが、「みんな大きな夢持ってきてるからね。錦
を飾って帰国するという誇りを持ってたから帰らなかった。とうとう日本にいる兄
弟に会わずに亡くなったよ」。
 終戦の時、玉井さんは二十歳だった。「正直、ほっとした。父はアメリカに勝てる
わけないって言ってた認識派だった」。四十年ぶりに同船者が父を訪ねてきた時は、
「その人は勝ち組だったから父とは話が合わずに、気まずかったよ。四十年ぶりに
会ったのにねぇ」。

浜松の南米系学校 全国で初の法人認可(転載)

中日新聞(静岡版)
http://www.chunichi.co.jp/00/siz/20050820/lcl_____siz_____000.shtml

浜松の南米系学校 全国で初の法人認可

 静岡県は十九日、浜松市卸本町のペルー、ブラジル人らの学校「ムンド・デ・
アレグリア」を学校法人として認可した。南米系外国人学校としては全国初。同
校理事長兼校長の松本雅美さん(41)が同日、県庁で認可証を受け取った。

 同校は二〇〇三年二月に開設。昨年十二月、県から各種学校として認可され、
浜松市から年間百四十五万円の財政援助を受けられるようになった。これで社会
的な認知度が上がり、スズキなどからの寄付金もあって財務状況が改善。七月の
私立学校審議会で学校法人化が承認されていた。

 松本校長は「子どもたちの進学にとっても、学校法人化は大きい。より多くの
子どもたちを受け入れられるようになりたい」と話した。

 「ムンド・デ・アレグリア」はスペイン語で「喜びの世界」の意味。三歳から
六歳の幼児課程に二十一人、小学課程に四十四人、中高課程に十六人の計八十一
人が在籍。国籍はペルー五十二人、ブラジル二十人、アルゼンチン五人、ボリビ
ア四人。ペルーのカリキュラムに沿った教育をしている。

目立つ子どもの不就学 可児市が外国人の実態調査(転載)

中日新聞(岐阜版) 05年5月20日
http://www.chunichi.co.jp/00/gif/20050520/lcl_____gif_____000.shtml

目立つ子どもの不就学 可児市が外国人の実態調査

 可児市は、ブラジル人をはじめとする市内の外国人児童・生徒三百七十人を対象にした実態調査の結果をまとめた。学校に通っていない「不就学」の子どもが二十五人に及ぶほか、全体の三割が「日本生まれ」で、外国人が従来の出稼ぎのための短期来日より、定住を選ぶ傾向にあることが浮き彫りになった。(田中 篤至)

 同市では二〇〇三年度、厚生労働省の研究班が全国でも初めてとなる外国人児童・生徒の全員を対象にした調査を実施。昨年度は市が独自に継続調査を行い、不就学の理由などを細かく調べたほか、就学前の保育園・幼稚園に通う子どもたちのデータを集めた。

 対象となった六-十四歳の不就学児童・生徒のうち、二十人は十三・十四歳が占めた。市の調査員を務めた大阪大学大学院生の小島祥美さんは「日本語をいくら学習しても、通知表の評価が低く、中学生がやる気をなくすケースが多かった」と話す。一方、小学生の場合、親の経済的・家庭的理由で断念するケースが多いという。

 また、対象者のうち日本生まれは全体の28・1%で、低年齢になればなるほど割合が高くなった。小島さんは「ローンで家を購入するなど、定住を考える世帯が増えつつある」としている。可児市では市民全体の約6%にあたる約六千人が外国人登録を行い、うちブラジル人が約四千五百人を占める(四月一日現在)。市は本年度から語学教育などを行うプレスクールを同市土田に設置。さらに市役所の外国人登録窓口などで学校教育の相談を受けられるようにし、不就学児童を減らす施策に取り組んでいる。

備える大地震 外国人被災者支援 言葉の壁、情報入らず

毎日新聞 05年5月5日 

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20050505ddm012040143000c.html

備える大地震:
外国人被災者支援 言葉の壁、情報入らず

 若い中国人女性が、乳飲み子を抱えてぼうぜんと座り込んでいた。昨年10月24日、新潟県中越地震から一夜明けた川口町の避難所。ボランティアスタッフが中国語で声をかけると、混乱の中で母国語を聞いた女性は、張り詰めていた糸が切れたかのように声を上げて泣き、スタッフにすがりついた。

 避難所で中国語を理解できる人はいない。中国人女性は繰り返し襲って来る余震におびえ、パニック状態に陥っていた。被災地をバイクで走り回った長岡市国際交流協会センター長の羽賀友信さん(54)は、中国語が話せるスタッフを呼び、現状説明とアドバイスをした。

 「地震はまた起きるの」「この水は飲めるの」。避難所では中国語のほか、ポルトガル語や韓国語など何カ国もの言語が飛び交う。「言葉の壁」は、恐怖と不安を増幅させていた。

   ■   ■

 95年の阪神大震災をきっかけに設立されたNPO「多文化共生センター」(大阪市)。理事を務める田村太郎さん(33)らは当時、7カ国語の通訳を集めて外国人被災者の相談に乗り、日本語から翻訳したニュースレターを配布するなどした。

 田村さんは経験を基に、「被災者は混乱していて『何が必要か』と聞かれても答えられない。リストを示し、必要なモノを探り出すことが重要だ」と話す。中越地震でも発生3日後には長岡市に駆け付け、同市国際交流協会やボランティアらと一緒に活動した。

 活動は組織的だ。あるグループは毎日夜、避難所に外国人を訪ね、必要なモノや情報を聞き出す。別のグループが日中に物資を調達。もう一つのグループは日本語の情報を翻訳し、避難所を回るグループに託した。数日のうちには、円滑に支援を進める仕組みが完成した。

   ■   ■

 外国人支援の取り組みは広がりつつあるが、課題も多い。

 横浜市国際交流協会は、避難所の掲示に使える「災害時に役立つ外国語の表示シート集」を作成した。「この水は飲むことができます」「一時使用住宅の入居者を募集します」など79種類の情報を、英語や中国語など9カ国語で表示できる。

 同協会は「シート集は次善の策。事前に地震時の対応を説明できれば理想だが、市内に住む外国人は約6万8000人に上り、不可能だ」と説明する。

 名古屋市では、コミュニティーFM「愛知国際放送」が5カ国語で週1回ずつ、地震対策情報を放送する。しかし、外国人の認知度は分からない。

 田村さんは「外国人には国籍ごとのコミュニティーがあり、独自の連絡網を持っている。行政がすべてを担うのは無理で、コミュニティーごとにリーダーを養成し、災害時のまとめ役になってもらうのが良いのでは」と提言する。【篠原成行】(原則として木曜朝刊に掲載)

…………………………………………………………………………………………

 ◇メモ

 今年2月に長岡市で開かれた「新潟県中越大震災復興フォーラム」で発表された同市在住の外国人に対するアンケート結果によると、約20%が「発生当時、必要な情報を得られなかった」と回答。38%が発生当夜を自家用車の中で過ごし、日本人より割合が高いとみられている。約50%が「母国語によるニュースの放送」を希望し、「必要な情報は何か」という問いには、約23%が「余震の可能性や予報の情報」と答えた。

居住外国人、登録制度「見直しを」 集住都市会議、議論踏まえ国に提言へ /静岡

毎日新聞(静岡版) 04年8月4日
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/shizuoka/archive/news/2004/08/04/20040804ddlk22040050000c.html

居住外国人、登録制度「見直しを」 集住都市会議、議論踏まえ国に提言へ /静岡

 南米系外国人が多く暮らす浜松市や磐田市など全国16市町でつくる「外国人集住都市会議」のコミュニティー部会がこのほど磐田市役所で開かれた。今回の参加は三重県四日市市など7市町からだったが、外国人登録制度の不備や国による調整機関の必要性が指摘された。同会議はこうした議論を踏まえ、近く国への提言をする予定だ。

 会合では、浜松市や群馬県大泉町の担当者から、外国人登録法と登録制度の見直しを求める意見が相次いだ。現行制度では、外国人は入国後に居住する市町村で外国人登録を義務づけられているが、転出する際には届け出義務がない。そのため、行政側は地域に外国人がどれくらい暮らしているか正確に把握できず、徴税や福祉政策で支障が生じているという。

 浜松市の担当者は「外国人の定住化が進む中、日本人と異なる制度で外国人の居住実態を把握することで弊害が生じている。住民基本台帳制度と外国人登録制度の一元化も視野に入れて考えるべきだ」と提案した。

 また、国レベルの調整機関設置の要望が出された。浜松市からは「外国人に関する省庁間の政策を調整する組織の内閣府への設置」、豊田市からは「日本経団連が提案している『多文化共生庁』のような外国人に関する政策を立案する独立した部局の設置」などを求める意見が出され、国へ提言することにした。

 同会議は、外国人との地域共生の課題を話し合うために4年前に浜松市が発起人となって発足。今年の総会は10月29日、愛知県豊田市で全国16市町の首長と日本経団連の奥田碩会長らが出席して開かれる。【工藤昭久】

毎日新聞 2004年8月4日

外国人子女「日本語習熟度別に授業」(太田市)

朝日新聞(群馬版) 03年12月12日
http://mytown.asahi.com/gunma/news02.asp?kiji=3255

外国人子女「日本語習熟度別に授業」

 太田市教委は、市内30校の公立小中校へ通学する外国人子女の希望者を
対象に、日本語の習熟度別にコース分けした新システムの少人数授業を来年
度から始める。教員と日本語指導助手らが6チームに分かれ、1日数校を巡
回して教える。1人週4時間から最大15時間まで受けられ、個人差に対応
したきめ細かい指導をめざすという。

 市には、外国人子女の日本語指導などのため特別に増員された教員(特配)
が18人配置されている。ほかに市費で雇う日本語指導助手13人とバイリ
ンガル指導助手1人がいる。日本語指導助手の内訳はポルトガル語9人、ス
ペイン語2人など。

 新システムでは、希望者を日本語の習熟度別に3コースに分ける。例とし
て、「初級」は特配とバイリンガル指導助手、「中級」は特配と日本語指導
助手、「上級」は特配がそれぞれ担当する。授業は小学校が日本語と算数、
中学校が日本語、英語、数学の3教科。「上級」を設けることで個人の能力
に応じた内容の濃い指導も期待できるという。

 例えば、5人1チームの先生が、1、2時間目をA小で3クラスに分かれ
て日本語と算数を教える。休み時間にB小に移動して3、4時間目を指導、
午後からはC中で日本語を教える。

 これまでの方式だと、例えば市立鳥之郷小の場合、日本語指導及び算数の
授業は週1時間から最大で7時間だった。新システムでは、日本語指導と算
数が週5時間ずつ受けられるほか、個別指導ができる余裕も生まれるという。

 市教委によると、9月1日現在、市内の公立小中学校に外国人子女は25
7人在籍。ポルトガル語が母語のブラジル人が最も多く計161人、次いで
スペイン語が母語のペルー人が計41人。

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