カテゴリー「1(財)滋賀県人権センター発行『じんけん』」の22件の記事

2008年9月15日 (月)

05年2月号 時間三〇〇円で働く外国籍労働者

時間三〇〇円で働く外国籍労働者

「内職を探している人がいるのだけれど……」知り合いの人から、ある中国人が仕事を探しているという話を聞きました。職場で毎日フルタイムで働いているそうですが、収入が少なく、少しでもお金をつくりたいというのです。

「内職をして毎日数時間働いても一ヶ月で一万円ぐらいの収入にしかならないし、普段の仕事を持っているのなら体を壊すよ」と答えたところ、その人は研修生として働きに来ているということで、正社員同様に働いても一ヶ月の収入はわずか八万円、さらに、そのうち三万円は会社によって強制的に貯金させられているというのです。週あたり四〇時間働いても受け取りはたったの五万円。これでは一時間の労働の対価は三〇〇円にも届きません。しかし驚いたことに、これは違法ではないのです。

研修生として来日する彼らには「研修」という在留資格(ビザ)が与えられ、一年間という期限付き(更新なし)で企業内研修を行うことが許されています。研修といっても他の労働者とさほど変わりない仕事を行うことが多いのですが、その名が語るように就業を目的としたものではないため、最低賃金法の適用対象外となっているのです。

外国人研修制度は外国人技能実習制度とならび、国際協力や国際貢献の一翼を担う国の制度として一九九三年から実施されています。この制度を推進、指導しているのは国際研修協力機構(http://www.jitco.or.jp/)という外郭団体ですが、そこでの制度説明によりますと一年以内と定められた研修期間中、研修生の受入れ機関は「生活実費としての研修手当」を支払うこととなっています。けれどもその金額について明確な規定がないため、結果的に受入れ企業が給与と比べて相当低い手当額しか払わない傾向が強いのです。

制度の本来の目的は「諸外国の青壮年労働者を日本に受け入れ、1年以内の期間に、我が国の産業・職業上の技術・技能・知識の修得を支援すること」にあるのですが、安価な労働力を確保する目的で同制度を利用する企業が多いこともあり、研修生の数はここ数年で急増しています。

法務省が発表している外国人登録者統計(http://www.moj. go.jp/PRESS/040611-1/ 040611-1.html)によりますと、「研修」の在留資格を持った外国人登録者数は平成一一年末に二六、六三〇人だったのが平成一五年末には四四、四六四人と、ここ四年だけでも約一・七倍に膨れ上がっています(研修生の内訳は約九八%がアジア人で、その約七割が中国人)。

「派遣会社が南米人を解雇して中国人などにシフトしてきている」という話を私は何年も前から聞いていました。実際、私の友人が「自分の住んでいる(愛知県の)県営住宅では、今はブラジル人よりも中国人の数の方が多くなっている」と言っていたとおり、その場へ出かけてみて中国人の多さにびっくりしたこともあります。また、派遣会社の人が「ブラジル人では儲からないから、これからは中国人だ」と言っているのを聞いたこともありました。

企業がより安い人件費に価値を置けば置くほど、そこでの倫理観の低下も見られるようになってきています。

今年一〇月一九日付の毎日新聞は、国の研修・技能実習制度に基づき、外国人研修生が企業で働くための受け入れ責任を担う事業協同組合「栃木情報センター」が、公式ホームページ(http://www.toic.net/)上で「安価な労働力」を強調して企業に活用を呼びかけていた、と報じました。同組合のホームページでは「安価な労働力コスト、安定した若手労働力と身分保障された人材確保が可能」「月々一二万円からという低コスト」「国家間の賃金格差の分、比較的低コストの労働力を確保することができます」などと掲載されていたといいます。

ほとんどの企業では支出に占める人件費の割合が高く、経費削減の一環として人件費を見直さざるをえない状況になることもあるかもしれません。しかしながら実際に職務にあたるのは生身の人間です。安ければ安いほど良いという価値観は、人権を無視することにもつながりかねません。たとえ外国籍労働者であろうとも、最低限の生活保障を考えることは企業責任でもあるといえますが、その責任を果たさない事業所は後を絶ちません。

二〇〇三年五月二六日付けの毎日新聞は次のように報じました。

「造船大手の川崎造船(神戸市)の関連会社など二社が、国の外国人研修・技能実習制度で受け入れ、香川県坂出市の工場などで働くフィリピン人実習生に対し、雇用契約書で示した給与の半額以下しか支払っていなかったことが二五日、分かった。両者合わせたこれまでの未払い額は、少なくとも総額二億円程度とみられる。」

フィリピン都市部での平均月収は約一万円。実習生だったフィリピン人男性は、「家族を養わないといけない。娘も学校に通わさないといけないし、彼女の病気を治すお金が必要だった」として来日を決意したといいます。「日本は世界でも有名な工業国で、日本人も平和的で友好的。仕事も頑張ろうと思った」。ところが、その想いは日本への失望へと変わります。

「研修の一年が終わり、実習生になる二年目に入る前に、男性ら実習生は一堂に集められ、ある書類にサインさせられた。会社の担当者は『(書類を)読んではいけない。質問してはいけない。こちらから説明はしない』と話し、サインを要求。書類はすべて日本語。彼らはサインをするしかなかった。その書類は基本給を十五万円とする雇用契約書だった。しかし彼らの給与明細に実際に記載されている数字は時給三〇〇円、残業手当時給五五〇円、深夜手当六〇〇円。明らかに契約書とは違う賃金体系で、時給額は香川県の最低賃金時給(約七六〇円)の半分以下だった。」

最低賃金を遵守しない行為や、逃亡を防止する目的で給与の一部を会社が強制的に貯金させるといった行為が常態化しているという指摘すらあるにも関わらず、現在の制度が抜本的に改善されないのはなぜでしょうか。

坂出市の事件に関連し、六月一三日付の記事は次のように報じています。

「同制度は発展途上国の経済発展を担う『人づくり』に協力するという目的の下、九三年から本格的に運用された。しかし、関係者によると、中小企業団体などから『安い外国人労働力で人手不足を解消させたい』との強い要請があったという。バブル期から日本の三K職場では若者離れが進み、その穴を埋めていたのは不法就労者。『不法就労者は排除したいが、代わりをどうすべきか』。国が頭を痛めながら、企業とともに編み出した“妥協の産物”だったという。……中略……

こうした不正の背景には、同制度の不備がある。まず研修・実習生の待遇の問題だ・来日1年目は研修生として扱われ、『非労働者扱い』。実習生となる二年目からは、雇用契約を結んだ『労働者』扱いとなり、労働基準法などで一応守られる。しかし研修生には給与の規定はなく、企業側が判断した生活実費が支払われるだけ。不当に安い手当が支給されても罰則もない。

また企業側の違法行為が発覚した場合、通常は、入国管理局が「受け入れ不適切」と判断すると、非のない彼らは帰国させられることとなる。

坂出市のケースでは森山真弓法相が一一日に実習継続を検討する旨の異例の国会答弁をしたが、その前の六日には、高松入国管理局の帰国指導が出されていた。実習生らが安易に内部告発できないのも、『表面化すれば結局、帰国しなければならない』という恐怖感が根強いためだ。彼らは技能習得半ばで帰国しても、働き口はほとんどない。」

記事は「入管(法務省)が帰国指導をしても、厚労省は口出しできない。問題が起きた際、実習生らを『保護する』という視点は完全に抜け落ちている」と結んでいます。

日本の国際化はこれまで産業界の要請に基づいてすすめられてきたように思えます。 かつてのバブル景気の時期一九九〇年には「出入国管理及び難民認定法」が改正され、南米などの日系人が「定住者」という在留資格などを有して製造業等の担い手として、とりわけ三K(きつい、きたない、きけん)と呼ばれる職場で合法的に働くことが可能となりました。この時も、産業界から国に対して強い働きかけがあったと言われています。企業にとってみれば、固定給や賞与・社会保険料を負担する必要もなく、忙しい時は何時間でも残業をし、休日でも出勤してくれる日系人の存在は好都合のものだったに違いありません。

日本社会が不景気に突入し「リストラ」という言葉が巷で頻繁に聞かれるようになると、真っ先に解雇対象となったのも南米人などの外国籍労働者でした。大半の事業所では日系人との間に雇用期間を定めた雇用契約書を作成しておらず、会社都合での解雇を簡単に行えたためです。ほとんどの人は退職金もなく、雇用保険未加入なために失業手当も受けられず身一つで放り出されました。また景気の悪化につれて年々時間給の相場も下がっていきました。

一九九九年四月に男女雇用機会均等法の改正と同時に労働基準法が改められ、女性労働者に対する時間外・休日・深夜労働の規制が廃止されると、雇用の分野における男女の均等取扱いと女性の職域の拡大という名のもと、それまで深夜勤務にあたっていた男性外国籍労働者は、より人件費の安い女性外国籍労働者に切り替えられていきました。

そういった流れの延長線上で外国人研修・技能実習制度も国によって創設され、今やニューカマーの主な層は南米系からアジア系へと移ってきています。

 国際化の度合いが国策によって左右されることは、現在の国家間の格差を考えればある程度仕方がないとしても、日本の現在の政策は余りにも経済効果という側面に偏りすぎ、人権への配慮ということがおろそかになっているのではないかと思います。例えば被害者救済という視点。「表面化すれば結局、帰国しなければならない」、その恐怖心をとり内部告発をすすめるためにも、被害者には「特定活動」の在留資格(特別滞在許可)を与え、合法的に日本で滞在できるよう身分を保障すべきだと思いますが、それができないところに現在の施策の限界があります。これは現在の政策の方針を大きく転換させない限り根本的には解決できないことだからです。

 国立社会保障・人口問題研究所(http://www.ipss.go.jp/)が発表した「日本の将来推計人口(平成一四年一月推計)」低位推計によりますと二〇五〇年には現在の人口よりも約三千五百万人程度少ない約九千二百万人にまで減少します。日本人の少子化がこのまま進行し、現在の人口を維持するためにその分をすべて外国籍者に頼るとすれば、毎年約七七万人(この数字は滋賀県の総人口の半数以上にものぼります)もの新たな外国籍住民を必要とします。ところが制度の上でも住民意識の上でも私たちの国際化への対応は遅々としてすすんでいません。

 在日外国籍住民への医療・教育・社会保障などの整備、難民を含め外国人の積極的な受け入れや国内の非正規滞在者への人道的措置、食糧危機・経済格差・環境破壊問題など世界的視野で物事を考えられるような教育への転換など、いずれにおいても日本が開かれた国になっているとは言い難い状況です。

 また研修制度・技能実習制度の問題点もつきつめれば私たちの「内と外」の思想、内には優しく外には冷たいといった考え方にも行きつくかもしれません。「外国人やし仕方ないわな」とか単に「外国人てかわいそうやなあ」と同情するだけで終わっていないでしょうか。この原稿を書いている今、インドネシアのスマトラ沖大地震による津波により死者数は一四万五千人に達しています(一月三日現在)。外での出来事をいつも自分自身の問題として考えられる、そういう人間になりたいものです。

07年10月号 不就学をなくすために

不就学をなくすために

 

外国籍の子どもの不就学、すなわち日本国籍を有しないために教育の義務規定が適用されず、小中学校の就学年齢にありながらいずれの学校へも通っていない状況については、これまで『じんけん(二〇〇七年二月号)』などで述べてきました。

 不就学の状況については、近年まで一部の自治体を除き、その実態がほとんど把握されてきませんでした。そこで文部科学省は「不就学外国人児童生徒支援事業」を創設、平成一七年度から一八年度にかけて一二自治体へ「外国人の子どもの不就学の実態調査を委嘱」し、昨年度には滋賀県も同事業を受託することとなりました。私たちNPOは教育委員会などと連携をとりながら企画立案、調査票や翻訳資料の作成、湖南市における年末年始の戸別訪問調査などに関わってきたわけですが、それらの調査結果が文部科学省からようやく公表されました。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/003/001/012.htm

 その結果、一二自治体の不就学者数合計一一二人のうち滋賀県が過半数以上(五七人)を占め、滋賀県内における状況が特に深刻であることが浮き彫りとなりました。

私たちNPOは県内のネットワークを広げる中で、就学年齢にある子どもたちが工場で働いていたり、家事手伝いや、きょうだいの世話をしたりしている状況について以前から断片的に把握し、そのことを関係機関に訴えてきたのですが、この状況は現在も何ら変わっていません。

 そこで今号では、どのような経過で不就学が生じるのかについて触れながら、状況改善に向けた具体的方策について述べてみます。

(1)初来日以降、不就学となるケース

 日本で暮らす外国籍住民は居住地の役場で外国人登録を行うこととなっています。就学年齢の子どもがいる場合、外国人登録の後すぐに教育委員会へ行ってもらうよう案内することを原則としている自治体が多いようですが、外国人登録窓口の担当者がそのことを伝え忘れたり、登録者がすぐに教育委員会を訪ねなかったり、登録窓口から教育委員会へ就学年齢の子どものデータが送付されなかったり、教育委員会へデータが送付されてもその後しかるべきフォローがされず、子どもの学習環境が把握されないまま放置されたりということが起きています。

就学状況を把握するために、外国人登録証に就学先の記載を求めてはどうかという意見も外国人集住都市会議などで出されていますが、入国管理は必要最低限に、行政サービスは最大限に、という観点からすると、この提言は必ずしも歓迎すべきものではないと私自身は考えています。むしろ、外国人登録窓口と教育委員会との情報伝達にもれがないような工夫、例えば就学年齢の子どもの場合には外国人登録を行う前に教育委員会の受付を済ませてくるなどの方法を行えばいいのではないかと思います。さらに言えば、子どもが転入(入学)を行う際には、外国人登録は必ずしも必要ではないのです。

 

(2)再来日以降、不就学となるケース

 外国籍の人たちが一時帰国する場合、通常、入国管理局で再入国許可の申請を行います。ところが、再入国許可によって帰国した場合、居住実態がなくても外国人登録は役場でそのままとなっているため、再来日したことを関係機関が知ることは難しく、再来日後、不就学が生じてもそのことを把握することが困難だという問題があります。入国管理局は一人ひとりの出入国事実を把握できる立場にあるのですが、先に述べたように、出入国管理と地域行政とは切り離すことが望ましいため、一時帰国に伴う出入国事実について役場が把握できるような工夫をすることが必要だと思います。例えば、帰国前・帰国後に役場で所定の手続きを行えば税の減免を受けられるようにするといったことです。一時帰国であっても外国人登録は役場にそのまま残っているため、長期間に渡って帰国していた場合、再来日の際に過去に遡って税徴収がなされます。そのため、一~二年間も帰国していれば、再来日後に数十万円の国民健康保険税の請求がされるような場合があります。そこで現在でも役場によって、あるいはケースバイケースで一時帰国の間の税の減免措置が講じられています。一時帰国者にとって、税の減免措置によるメリットは非常に大きいため、ルール化さえできれば一時帰国・再入国の状況を役場が把握し、再入国後の子どもへの対応もとりやすくなるのではないでしょうか。

  

(3)日本国内での転居以降、不就学となるケース

 基本的には、(1)や(2)で述べたと同様、転居先の役場がしかるべき対応をとれば子どもの就学状況についての把握が可能です。しかし、転出したことを役場に届け出ていない場合も少なからずあります。その場合、子どもの外国人登録は旧住所のままとなるので、子どもの就学状況について転出先の関係機関が把握することは非常に困難です。この問題を軽減するためには、保護者の勤め先の協力が不可欠です。外国籍者を雇用する場合は本人やその家族が外国人登録を先に済ませるよう、企業が責任を持って行うこと。このことを徹底することで外国人登録の住所地と実際の居住地とのずれを減らすことができます。なぜなら、新しい勤め先が見つからないうちに転居をすることはあまり考えられないためです。

 また、転居に際しては別の問題点もあります。それは、旧住所地で通っていた地域の小中学校や外国人学校に対して本人や家族がネガティブな印象を持っていた場合、転居をきっかけに不就学となることも考えられるからです。このことについては、(4)や(5)の項目で述べます。

(4)日本で地域の小中学校へ通った後、同じ居住地でありながら不就学となるケース

 これは不登校の状態と似通っています。異なるのは、不登校の場合、学籍はそのまま残り続けるのですが、不就学の場合、学籍そのものがなくなってしまうことです。そのような状態に至るには様々な要因があります。

一つには、授業内容がほとんど理解できないために、本人が学習へのモチベーションを失ってしまうこと。この問題を軽減するには、地域の学校へ入る前の基礎的な日本語学習、転入(入学)後のカリキュラムにおける日本語学習や母語(母国語)を介しての学習サポート、放課後や休暇中の学習サポート、学校と本人やその家族とのコミュニケーション促進などを効果的に行っていけるよう取り組みを行う必要があります。

 もう一つは、いじめにあったり、対人関係がうまくいかなかったりすることで、子ども自身が学校の中での居場所を失ってしまうこと。外国籍の子どもへの支援と言うと本人への学習支援が真っ先に頭に浮かびそうですが、子どもにとって学校の中での孤独感、居場所のなさほどつらいものはありません。これまで教育相談を行ってきた私自身の経験から言っても、対人関係のもつれが不登校や不就学の直接のきっかけとなるケースが多いと言えます。人権教育や国際理解教育の充実、子ども同士のコミュニケーションが促進できるようなカリキュラムづくりも必要ではないでしょうか。

 さらに、中学二~三年生ぐらいの年齢の子どもの場合は、就労がきっかけで不登校や不就学へと至ってしまうこと。中学年齢の子どもを就労させる会社の摘発強化や、その年齢での就労が違法であることの啓発を外国籍住民へ行っていくことも必要ですが、それと同時に、子ども自身の居場所づくりが不可欠です。学校を欠席がちとなっている外国籍の子どもに対するサポートがあまりにも不足しているように思えます。

 また、「ブラジル人学校へ転入する」などと言って学籍を外した後、実際にはそこへ通わず不就学となってしまうケースも見受けられます。そもそも、外国人学校は「各種学校」を除けば、日本の法律で「学校」として認められていません。さらに本国の政府からも認可されていなければ、たとえそこを卒業しても、本国ですら学校を卒業したこととして認められません。そのため、地域の小中学校によっては、学籍をその学校に置きつつ、外国人学校への通学を認めているところもあります。そうすることにより、日本でも本国でも正式に学歴・卒業資格として通用し、進学も容易となるからです。また、地域の小中学校へ学籍を置くことによって、学校を通じての家庭訪問なども可能となり、その後の子どもの教育環境の把握も容易となります。

 

(5)日本で外国人学校へ通った後、不就学となるケース

 これについても、内容については(4)と同様のことが起こっています。日本での生活が長期化している子どもたちにとっては、母国語の理解も難しくなりつつあるでしょうし、必ずしも対人関係がうまくいくとは限りません。しかし外国人学校の場合、子ども同士、子どもと教員、保護者同士、保護者と学校などのコミュニケーションがとりやすいため、自助努力で問題を解決できる環境にあると言えます。むしろ、学校をやめてしまう主たる原因は、経済的理由によるものです。外国人学校は現行法では(各種学校を除けば)私塾扱いなので、公的援助は一切ありません。ゆえに保護者の学費負担は重く、月謝は子ども一人につき四~五万円前後となっています。そのため、親が解雇されることなどをきっかけに学費を支払うことが難しくなり、そのまま不就学となってしまうケースも想定されます。

子どもの教育環境を把握するためには、外国人学校へ通っている子どもの状況について、公的機関が定期的に情報を得る必要があります。外国人学校の関係者の中には、自分たちが子どもの個人情報を公開することに抵抗感を持つ人もいますが、すべての子どもに学習機会を保障するためには、関係機関の情報交換は不可欠です。守られるべきことは子どもの最善の利益なのですから。

 

07年8月号 外国籍住民への行政サービスについて

外国籍住民への行政サービスについて

 私は現在、草津市、栗東市、守山市でポルトガル語による行政相談を行っています。行政相談と言っても、主たる仕事はポルトガル語の通訳や翻訳なので、私自身は専門相談員ではありません。しかし私に限らず、このような行政相談を行う人たちには、何をすべきか、自ら考えて行動しなければならないことが多くあります。

 例えば、「生活が苦しいので税金を減額してもらうことはできませんか?」という相談があったとします。単に通訳だと割り切って税務課で言葉通りに伝えると、「税金は前年度の所得に基づいて課税されるので、減額することはできません」という回答になります。けれども、税務課へ向かう前に「役に立てないかもしれませんが、どうして経済的に困っているのか話していただけませんか?」と話を切り出してみると、相談者の生活の様子が分かり、その人のニーズに即した対応ができることもあります。

 例えば、「最近会社から解雇されてしまった。妻は働いているが、小学生の子どもと就学前の子どもを養わないといけないし、本国の家族への仕送りや、高い家賃も払わないといけないので税金を払うだけの余裕がない」という話を聞いたとしましょう。

 まず、住民税の減額は原則的にできないのですが、住民税が何に基づいて決まるかと言えば、前年度の所得(国民健康保険税の場合は「給与所得控除後の給与の額」)です。そのため、相談者が年末調整や確定申告の際に正しい申告をしたかどうかを確認することが必要となります。外国籍の人たちの場合、税金のシステムについての知識も乏しいため、扶養や社会保険料(国民健康保険税など)などの申告漏れが多いのです。本国へ仕送りをしているという話から、本国で暮らしている家族が被扶養者となっているかを確認する必要があります。また、仕送り先の同居家族しか被扶養者に入れることができないと考えている人もいますが、仕送りの受取人が別居している親戚などの生計を支えているような場合(例えば、本国の父に仕送りし、父が別居している収入のない叔父・叔母のために送金をしている場合)、叔父・叔母も被扶養者として申告することが可能です。確定(修正)申告のためには、必要な書類を本国から取り寄せたり若干の手間はかかりますが、被扶養者を正しく申告することで、月々の給与から控除される所得税が減額となったり、所得税の還付を(五年前までさかのぼって)受けられたり、住民税や保育料が減額となったり、家計を助ける上でのメリットは非常に大きいと言えます。

 子育ての費用に関しては、児童手当の申請ができているかどうか確認する必要があります。と言うのも、児童手当の受給年齢が小学六年生の三月まで延期されていることを知らない人もいるためです。こういった情報は広報に掲載されたり、郵送で通知されたりするのですが、日本語で書かれた文書では何が書かれているか分からず、未申請のままとなっていることもあるのです。さらに、低所得世帯(住民税非課税世帯など)に限定はされますが、就学援助費を受けることもできます。

 失業時の税金の減額ということは余程のことがないと難しいですが、再就職するまでの間の税金の支払いを猶予や、月々の支払額を減額して支払いを順送りにするという方法はあります。というのも、現在失業しているのであればその年の収入が減り、次年度に税額が減額されるという見通しも持てるからです。また、再就職先については、ハローワークで外国人向けの相談(通訳)日を設けているので、参考までに連絡先を渡した方が良いかもしれません。

 また、家賃の負担が重たいということであれば、県営住宅と市(町)営の住宅についても情報提供する必要がありそうです。現状は狭き門となっていますが、家庭の状況と運(?)次第では入居できる可能性もないとは言えないからです。

 その他、一時的な借り入れについては少額ですが、社会福祉協議会などで(無利子での)小口貸付制度などもありますし、歳末助け合い募金による年末一時金などが受け取れる場合もあります。

 そのように、行政通訳といえども施策などについての様々な知識が要求されるのですが、一人の相談員だけでこれらの相談の応対をしている場合、その相談員が交代した途端に相談機能が低下してしまう恐れがあります。また、相談員に知恵を貸してくれる担当職員が仮にいたとしても、人事異動で担当職員が次々と変わってしまい、相談窓口としてのノウハウが蓄積されないという問題があるのです。

 それを解決するためには、役場内に総合相談窓口を創設することが必要だと私自身は思っています。大きな病院の中には、何科を受診したらいいか分からない人のために総合的な診療を初めに行い、そこでの診療をもとに必要な診療科へ案内するという流れを作っておられるところもありますが、役場内においても総合相談から個別窓口の相談へという流れを備えておくべきだと感じています。この仕事を始めるまで私自身もよく知らなかったのですが、役場内には実は数多くの専門相談員が関わっています。嘱託としてどこかの部署に配属されている場合もありますし、社会福祉協議会など半公半民のような団体が専門職の人(弁護士や税理士など)を招いて相談日を設けているような場合もあります。

 けれども、外国籍の人に限らず、日本人でも自分の求める部署や相談機関へなかなかたどりつけないことがあるのです。役場は住民へのサービスを提供する最大機関の一つです。だとすれば、相談者の視点に立った組織作りは急務ではないでしょうか。

 

問題解決を図ろうとする姿勢

 市役所へ相談に来るということは時としてとても勇気のいることだと思います。簡単に解決できることであれば、平日わざわざ市役所へ足を運ぶことはないでしょう。けれども、同じ相談を受けながら、いつまでも問題が未解決のままになっているということもよくあります。

 例えば早朝保育について考えてみましょう。

 「七時一五分から保育園で子どもを見ていただくことはできませんか?」

 南米の方たちのほとんどは工場で働いているのですが、工場の就業時間は早く、日勤の場合、通常午前八時までにはそれぞれの持ち場についていなければなりません。職場で服を着替える必要があったり、外国籍の人たちの多く(特に女性)は自家用車を持っていないので移動手段は自転車や送迎バスなどになったりしてしまいます。自宅や職場の近くに保育園があるとも限りません。逆算すれば、七時一五分頃でないと仕事に間に合わないということになるのですが、この一五分がどうにもならないことが多いのです。

「七時半からしか受け入れができないことになっています。」

「では、どうしたらいいのですか?」

「でも、他の皆さんでも七時半からということになっていますから。」

 そんなやりとりが毎年毎年繰り返されます。就労する両親を支援するのが保育園の役割であるにもかかわらず、この一五分のために就労を断念せざるをえないことも起こるのです。近年、夕方から夜にかけての保育時間は延長されてきているようですが、両親ともに工場労働者という日本人家庭は少ないのか、早朝保育だけは時間の繰り上げがなかなかすすまないようです。同じ質問を受けて、いつまでも「それはできません」と繰り返し言い続ける私たちもつらい気持ちになります。

 また、実態よりも書面優先ということも実務レベルではよく起こっています。

 例えば、「夫と別居しているし、離婚もしたいのだけれど、離婚する費用もないし、子どもが小さいのであまり働くこともできない」というような相談の場合です。

 役場の中では母子家庭に対する支援はかなり手厚くなっています(児童扶養手当、医療費扶助、公営住宅への優先入居など)。ところが、生活の困窮状況が分かる場合であっても、書面上では離婚していないために、いずれの制度も利用できないということが起こっています。日本人同士であれば役場へ離婚届を提出するだけで離婚が成立しますが、ブラジルなど原則的に離婚を認めていない国では、弁護士を介してしか離婚手続きは行えないようになっています。日本で離婚手続きを行おうとすれば、多額の費用をブラジル人弁護士へ支払わなくてはならず、手付けだけでも三十万円以上は必要と言われています。そもそも多額の離婚費用の支払いに快く応じてくれるような夫であれば、離婚することもないかもしれません。

 役場の窓口の人は「正式に離婚しないと母子家庭にはならないので、母子の福祉制度を利用することはできません」と言います。けれども、残された妻や子どもへの救済措置がないというのはあまりにも不条理です。いつまでも同じ相談を受け、いつまでも同じ回答を繰り返すよりも、相談者のニーズに応えられるように、制度を見直すことはできないものだろうか、と考えてしまいます。

多様化する住民ニーズへの対応

 

 「子どもが高熱を出していて病院へ連れて行きたい。通訳をお願いできませんか?」

 我が家にはこんな電話が時々かかってきます。役場の相談窓口では、医療に関する相談はほとんどありません。けれども、それはニーズが少ないということを表しているわけではありません。外国籍の人たちにとって、病院は間違いなくコミュニケーションが最も難しい場所の一つです。日本人ですらお医者さんが言っていることが分かりにくいぐらいですから、外国籍の人たちにとってはなおさらです。

 ところが、滋賀県在住の外国籍者の半数は南米の人であるにもかかわらず、その主要言語であるポルトガル語やスペイン語での医療現場の応対は一向にすすんでいません。誰でも、いつでも、どこでも安心できる医療システムの確立が目指されているにもかかわらず、病院での通訳配置、医療電話相談、医療通訳の派遣制度、救急時の外国語マニュアル、薬剤についての翻訳など、他府県で取り組まれている事業のいずれも滋賀県では行われていません。医療は時として命にも関わる大きな問題で、何らかの行政施策がなければ課題解決は難しいことです。にもかかわらず、ほとんどの役場にはそれに対応する部署すらありません。

行政相談を行っていると、そういった問題も時として持ち込まれます。「それは、こちらの相談業務で扱っている内容ではありません」と言うことは簡単です。けれども、相談者からすれば「では、どこに相談すればいいのでしょうか?」ということになってしまいます。

 幅広い住民ニーズに耳を傾け、必要な情報を収集・提供したり、課題解決に向けた新たな措置を図ったりする行政サービスを期待したいものです。

終わりに

  相談事業を通じて思っていること、感じていることなどを述べてきましたが、組織を作るのが人である以上、最終的には私自身も含めて、そこで働く一人ひとりの姿勢が問われているのだと思っています。

 「できません」「分かりません」と言うことは簡単です。けれども、身勝手な相談でもない限り、相談者の人と一緒になって課題解決の方法を探ろうという気持ちだけは持ち続けたいものです。

外国籍の人たちへの行政サービスを考える際には、日本人と同様のサービス提供を行えているか、日本人と同様にサービスへアクセスできるよう配慮がなされているか、という二つのポイントが重要となります。けれでも、難しいことを学ぶまでもなく、大切なことはひと言で表すことができます。

それは「思いやり」です。

自分が同じような立場だったらどう思うだろうか、どう感じるだろうか、想像力を働かすことで一人ひとりがすべき行動は見えてくるのではないでしょうか。

2008年3月18日 (火)

07年6月号 ブラジルのインディオ

ブラジルのインディオ

インディオの起源は今から約四万年前に遡ります。氷河期だった当時、世界の大陸の大部分は雪と氷で覆われていました。アジアで生活をしていた人類は食べ物を求めての大移動を余儀なくされ、東シベリアへ、さらには氷で覆われて陸続きとなっていたベーリング海峡をアラスカへと渡り、北米や南米の温かな気候の地に適合していったと考えられています。
ジャングルの密林の中では同じ種族であっても部族間の接触がほとんどなかったために、長い年月とともに各々の言語や文化は独自性をさらに強め、ポルトガル人がブラジルを「発見」した西暦一五〇〇年には、ブラジル全土で約一〇〇〇部族、三〇〇万から五〇〇万もの先住民が暮らしていたと思われます。
インディオという言葉は、インドの人という意味です。探検者たちがブラジルを
インドと勘違いし、インドの人を表すインディオという名称を勝手につけてしまったのであって、彼らにとっては迷惑な言葉に違いありません。そのため、この言
葉を使うのは好ましいことではないのですが、すでにブラジル社会でも定着した言葉となっているので、ここではインディオとはヨーロッパ人にアメリカ大陸が「見」される以前に、その地に住んでいた先住民及びその子孫のことだということにしておきましょう。

 様変わりするインディオ社会

 平和に暮らしていたインディオの生活はポルトガル人の侵略によって様変わりします。ある者たちは虐殺され、ある者たちは強制的に労働に従事させられ、また白人(インディオは非インディオの人たちを白人と呼んでいます)との混血もすすんでいきました。概して言えば、沿岸部や開拓地域ほど白人との関係は濃厚なものとなり、人口密度の低い地域や奥地ほど白人社会からの影響を回避してきたと言えます。
 その結果、インディオ社会は、白人との接触がいまだにないインディオ(集落の跡などから現在少なくとも約五四部族が確認されている)、白人と断続的にしか接触を持っていないインディオ、白人との接触が比較的多く、自分たちの生活様式を守りつつも、都市部などで生産される品々を生活の中に取り入れているインディオ、白人との接触が日常的で、都市部などで生活基盤を持つインディオの四つに類別されるようになりました。
 ブラジルで暮らすインディオの総数は現在約七五万人ですが、半数以上のインディオはすでにインディオ集落から離れて暮らしており、旧来の生活様式を保っているのは残りの約三五万人のみです。サン・パウロ州などを含め、今でもブラジル全土でインディオが生活していますが、大半の部族はアマゾン地域に集中しています。いまだにアマゾン地域のことはよく分かっておらず、私たちが知らない部族がさらに多くあると言われています。

 インディオの文化

 さて、インディオというと、皆が似たり寄ったりの生活をしていると思われがちですが、実際はその部族によって、宗教、言語、定住性、住居、食べ物、農業、衣服、踊り、祭り、儀式、婚姻など、その文化や価値観は多様性に富んでいます。例えば言語に関しては、二〇〇年程前までトゥピ語がブラジル全土で最も多く使われていた(ポルトガル人がトゥピ語の使用を禁じる法律を作ったため、その後はポルトガル語の普及がすすんだ)ものであるため有名ですが、それ以外にも約一七〇もの異なる言語が現在も存在しています。そのため、幾つかの言語を知っていないと部族間のコミュニケーンをとることすら難しいという状況が起こってきます。居住場所についても、定住性の強いインディオ部族もあれば頻繁に集落を移動する部族もありますし、中には馬を主たる移動手段に使っている部族もあります。住居についても、一家族ごとに一つの家を作る部族もあれば、大きな家を一つだけ作り、そこで六五~八五人もの人たちが共同生活している部族もあります。婚姻についても一夫多妻制の部族もあればその逆もあり、女性が男性に求婚するのが常となっている部族もあります。
 しかし、インディオすべてに共通して言える特徴もあります。それは自然との調和を何よりも大切にし、そこで得られたものは皆で平等に分配し、富の蓄えを目的に自然のものを浪費することは決してないということです。インディオは自然に対する豊かな知識を有し、畏敬の念を持ちながら暮らしています。
 住居、カヌー、弓、矢、陶器、かご、ハンモック、飾りなど生活に必要なものはすべて自然の中にあるものから作り出します。これは子どもも同様で、遊びに使われるものはすべて自然の中にあるものばかりです。ゴムの木やツタからボールを作り、大きめの葉っぱから折り紙を作り、楽器や人形、コマ、ペテッカ、編み物などあらゆるものが自然から作り出されます。
 インディオの生活は子どもたちにとって最高の遊び環境で、遊ぶ材料には事欠きません。木の枝などに何かをぶら下げてはジャンプ遊びをし、石をわらと羽根でくるんだペテッカ(トゥピ語で「叩く」という意味)を手のひらで叩いて遊び、ツタを使ってあやとりをし、かくれんぼ、鬼ごっこ、竹馬、こままわし、なわとび、綱引き、川での水遊びなどをしながら日々を過ごします。
 そして、遊ぶときはいつも他の子どもたちと一緒です。すべての子どもが同じ遊びを知っていて、誰かが新しい遊びを始めると、すぐに他の子どもたちに伝えていきます。おもちゃについても同様で、誰かが新しいおもちゃを手にすると、他の子たちも同じものを手にし始めます。けれども、おもちゃを作るのは大抵、両親です。刃物を使って丁寧におもちゃを作ってくれる大人の姿を見ているので、子どもたちはおもちゃを大切に扱い、少々壊れることがあってもそれを修理していつまでも使い続けます。
 また、子どもたちは遊びながら学び、学びながら遊びます。例えば、子どもたちの大好きなものに狩り遊びというものがあります。子どもたちが二チームに分かれて、一チームは狩人に、別のチームは獲物になります。最初に獲物のチームが林の中に入って隠れ、しばらくたってから狩人のチームが獲物を探しに出かけます。獲物が全員見つかったらチームの役割交代です。また、一人がひょうたんを引っ張り走り回ると、他の子たちは小さな弓の矢でひょうたんの的あてを始めます。子どもたちは川遊びが大好きですが、水遊びは筋力を鍛えるのに最適です。さらにこんな遊びもあります。
 二人一組でチームを作り、一人がパートナーを肩車します。対戦するチームも同様に肩車し、水の中で相手チームの肩車されている子どもをつき落とした方が勝ちという遊びです。これは日本でもおなじみの遊びですね。
 大人の仕事に子どもたちが一緒についていくこともよくあります。男の子は小さな弓と矢を持って父親と一緒に狩りに出かけます。女の子は小さな器を頭にのせて母親と一緒に水汲みへ出かけます。子どもたちは途中で退屈になって遊び出すこともありますが、そのことが大人から咎められることはありません。インディオ社会では高齢者は語り手、若者は家族の養い手、子どもは世界の中心と言われています。ある探険家の話によると、村の火事を引き起こした子どもですら叱られることはなかったといいます。大人は辛抱強く、良いことと悪いことを子どもたちへ教えていき、子どもたちは集会など大人たちのどんな活動にも一緒に参加でき、大人のすることを見て、真似ることで社会性を身につけていきます。
 大人もまた、仕事以外の時間は子どもと一緒に過ごし、友だちとおしゃべりをし、飾り物を作ったり、踊ったり歌ったりしながら過ごします。白人にとっては、働くことはお金を得るための手段です。けれどもインディオにとっての財産は富を蓄えることではなく、豊かな人間性を磨くことです。うそをつかず、けんかをせず、言い争いをせず、周りとの調和を何よりも大切にする心がインディオ社会では尊ばれています。

 インディオの祭りに丸太かつぎ競争というものがあります。幾つかのチームに分かれてリレーを行うのですが、インディオは勝ち負けにはこだわりません。そのため、いつも相手チームと同じペースで走り、全員が同時にゴールします。インディオ社会ではお互いの協力、調和こそが何よりも大切にされるのです。

 インディオ社会の危機

 インディオにとって大地は誰の所有物でもありません。大地は偉大なる母であり、インディオは大地の子だといいます。母である大地が彼らに食物を与え、命を与え、生活に必要なものすべてを与えてくれる、また、大地は死者のすみかであり、すべての魂が宿る所だといいます。大地は生きとし生けるものすべてにとっての場だというインディオの考え方と、富を築くために土地を自分たちの所有物にしようとする白人との間には、今まで絶えず闘いが起こってきました。
 しかしながら、インディオは年の経過とともに、より狭い土地での生活を余儀なくされ、一五〇〇年当初にブラジル全土で約三〇〇万人から五〇〇万人いたインディオは現在約三五万人、同じく約一〇〇〇あった部族は現在約二〇〇部族へと落ち込み、ほとんどの部族が消滅することとなってしまいました。
 インディオの生活は現在も様々な要因によって脅かされています。主なものとしては森林伐採、鉱山採掘、砂金採集、道路建設、水力発電所建設、異常気象による影響、白人によってもたらされる(自然界には存在しない)病気などです。森林が伐採され大型の道路建設が進み、採掘によって川は汚され、そこに生息していた動植物が姿を消し、かつての楽園が破壊され、また今も破壊されつつあります。苦しくなる生活の中で、中には(騙された)インディオ自らがお金のために環境を破壊する行為に加担してしまうこともあるそうです。土地が荒廃し、狩りの獲物が森から姿を消し、自然の中に豊かにあった食物が減り、最近では飢えに苦しむインディオ部族すら出てきています。
 そのような中、人権意識の高まりとともに、インディオ社会も次第に政治への参加の度合いを強めてきました。その願いが明文化されたものの一つが一九八八年に制定されたブラジル憲法です。同憲法は「インディオのすべての土地は五年以内に境界確定すること」と謳いました。インディオの居住地は一九六一年のシングー国立公園以降「インディオ保護区」として境界確定されるようになりました。インディオの生活の場が脅かされないよう措置が図られ、医師、学者、調査員、報道記者など一部の人に対してしか同区への立ち入りが許可されないようになっています。
 しかし、憲法制定から二〇年近くたった今も、インディオ保護区として指定された場所は限られています。インディオの暮らす土地への不法な森林伐採や密猟などが相次ぐだけではなく、鉱脈の調査、道路建設、新たな水力発電所の建設などが連邦政府によって許可され、人権を擁護すべき機関そのものが人権の侵害に加担しているようなこともあるようです。
 かつてはお互いにほとんど接触がなかったインディオ部族同士も最近は連携を強めて協会などを立ち上げ、インディオ社会から国会議員が輩出するに至っています。けれども、道のりはまだまだこれからです。
 そしてまた、経済的観点においても、あるいは環境的観点においても、私たち日本人もインディオの生活と無縁ではありません。私たちの生活私たちがどう暮らすかによって、インディオの生活が豊かになるのか貧しくなるかが決まってくるのです。

(参考文献)
Daniel Munduruku. Histórias de Índio. São Paulo,
Companhia das Letrinhas, 1996

Daniel Munduruku. Coisas de Índio. São Paulo, Callis, 2003

Maurício de Sousa. Manual do Índio do Papa-Capim. São Paulo, Globo, 2002

2008年3月17日 (月)

07年4月号 「多文化共生」について考える

「多文化共生」について考える  

 滋賀県内にはブラジル人学校が少なくとも六つあります。少なくともと言うのは小規模校が自然発生的に生まれているため、私たちが把握していない学校もあるように思えるからなのですが、これらは一般の私塾と同様に何らの財政支援もないため、どこも満足な設備を持っているとは言えません。
 そんな中、あるブラジル人学校の先生が次のようなことを話されました。「学校の中では体を動かすようなスペースがないので学校外の場所でそういった活動をすることになるが、近くの公園は使ったらダメと言われる」「近くにある自動販売機で飲み物を買うのもダメと言われる」。理由は分からないけれども、近隣の人からそんなことを言われるというのです。

  「多文化共生」という言葉

 最近よく「多文化共生」という言葉を耳にするようになりました。この言葉は一九九五年の阪神淡路大震災の際の外国籍者への支援活動の中から生まれた言葉のようですが、今では役所や人権教育機関などでも使われるようになり、社会的に認知される言葉となりつつあります。 この言葉はしばしば「社会」という言葉と結びつき、「多文化共生社会を築きましょう」などと使われますが、これはどのような社会を意味するのでしょうか?
 「共生」とは単に、同じ地域に暮らすという意味ではありません。そうだとすれば、日本ではすでに多様な文化的背景を持った人たちが暮らしているわけですし、「共生社会」はすでに実現していることとなってしまいます。また、「共生」を「共に生きる」というように解釈しても、その意味は、いまひとつよく分かりません。
 そもそも「多文化共生」は造語であって辞書に載っている言葉ではありません。「多文化共生」に似た言葉で多文化主義というのはありますが、これに関しては広辞苑に次のように書かれています。「一つの国・社会に複数の民族・人種などが存在するとき、それらの異なった文化の共存を積極的に認めようとする立場」。だとすると、「多文化共生」についても、むしろ私たちの暮らしの中での関係のあり方を問う言葉だと言えそうです。
 「共生」という単語を調べてみると、実はこれは生物学で使われている言葉だということが分かります。広辞苑には「異種の生物が行動的・生理的な結びつきをもち、一所に生活している状態」とあります。その例としてよく引き合いに出されるのが、ヤドカリとイソギンチャクの関係です。また、「ヤドカリとイソギンチャク」の関係は小学四年生の教科書(東京書籍)でも題材として取り上げられているということを最近知りました。教科書では「共生」という言葉は使われていませんが、「共生」の意味について非常によく分かると思うので少し引用させていただきます。
 「ヤドカリのなかまで、さんご礁に多いソメンヤドカリは、貝がらにイソギンチャクを付けて歩き回っています。観察してみると、ソメンヤドカリは、たいてい二つから四つのベニヒモイソギンチャクを、貝がらの上に付けています。」……「イソギンチャクのしょく手は、何かがふれるとはりがとび出す仕組みになっています。そのはりで、魚やエビをしびれさせて、えさにするのです。タコや魚はこのことをよく知っていて、イソギンチャクに近づこうとはしません。それで、ヤドカリは、イソギンチャクを自分の貝がらにつけることで、敵から身を守ることができるのです。」……「ヤドカリに付いていないベニヒモイソギンチャクは、ほとんど動きません。ですから、えさになる魚やエビが近くにやってくるのを待つしかありません。しかし、ヤドカリに付いていれば、いろいろな場所に移動することができるので、その結果、えさをとる機会が増えます。また、ヤドカリに付いていると、ヤドカリの食べ残しをもらうこともできるのです。」……「ヤドカリとイソギンチャクは、このように、たがいに助け合って生きているのです。」
 つまり、様々な文化的背景を持った人たちがお互いに尊重し合い、助け合っていく、そのような関係を「多文化共生」といい、その考え方に基づいた社会が「多文化共生社会」だと言えそうです。 「日本人」「外国人」という見方  「皆が仲良く暮らせられればいいのに。」そんな簡単なことであっても、なぜか私たちには難しいことのようです。その原因となるのが「偏見」や「先入観」といったものだからです。
 例えば、ちょうど今から一年程前、長浜で幼稚園児が殺害される事件がありましたが、加害者はたまたま中国籍の人でした。その事件直後、いつものように私が息子を保育園へ迎えに行ったときのことです。同じクラスの女の子が突然、「たけしくん(私の息子の名まえ)のお母さん、外国人なん?」と尋ねてきました。こんな幼い年齢の子どもから「外国人」という言葉を聞いたのは初めてでした。【加害者は中国人】→【中国人は外国人】→【たけしくんのお母さんも外国人】という流れの話がその女の子の家であり、それを聞いていた女の子が言葉の意味もよく分からずに使ったのでしょうが、「日本人」と「外国人」という二者択一的なイメージを植えつけている大人社会が悲しく思えました。
 上の子が保育園に通っていたときも、同じようなことがありました。ある時、うちの子どもが「パパ、ぼくは外国人なん?」と突然尋ねてきたのです。
 「何で?」と尋ねると、「(実習に来ていた中学生の子が)おまえ、外国人やな」と言ってきたそうです。うちの子はそれまで「外国人」という言葉を聞いたことがなかったので「なんでぼくが外国人なん?」と聞き返したところ、「髪の毛の色が違うから外国人や」と言われたというのです。
 けれどもこういった体験は、国際結婚をした家庭ではよくあることのようです。ある家族の人からこんな話を聞いたこともあります。「公園で子どもを遊ばせていたら、その公園に来ていた別の子どもと、うちの子との間にけんかが起こった。でも、相手の子がうちの子を見た途端『なんや、外国人なんか?』と言ってけんかをやめてしまった」。
 人権学習の中では、「外人」という呼び方は差別的な意味があるから「外国人」と呼びましょう、ということが言われています。けれども、私には「外人」も「外国人」も大差がないように思えます。「外国人」という言い方であっても、当事者あるいは当事者家族は時と場合によって、自分たちだけ疎外されているように感じるものだからです。
 保育園で上の子が「外国人」と呼ばれたことがあった時には、私と妻はすぐに保育園へ行き、「今後もし同じようなことを見かけたら、『外国人ではなしに、この子の名まえは〔たけし〕くんだよ』と言ってほしい」と先生にお願いしました。うちの子どもが「自分は周りの子どもたちとは違うんだ」という疎外感を持つことのないようにというだけではなく、「日本人」と「外国人」と人を二つに分けて考えること自体が周りの子どもたちにとっても良くないと思ったためです。
 「日本人」「外国人」という見方ではなしに、一人ひとりが違った名まえや性格を持っているようにすべての人をみてほしい、そんな風に私たちは願っているのです。
 しかし、「日本人」と「外国人」という画一的な見方は教育現場でも広がっているように思います。 ある学校の先生が「うちの学校には外国人の子どもがいないから国際理解教育が難しい」と言っていたのを聞いたことがあります。
 クラスの中に外国籍の子どもがいると、その子の国のことや文化などをその子に発表してもらう授業を行ったりすることもあるようですが、こういった授業はややもすると「日本人」と「外国人」という二者択一的な見方を助長しかねません。

ちがいが尊重される社会へ  

 共生の例として先にあげたヤドカリとイソギンチャクの話を「日本人」と「外国人」とに置き換えてみて、「日本人と外国人がお互いに助け合っていきましょうね」などというと非常に理解しやすいかもしれませんが、「ヤドカリとイソギンチャク」と「日本人と外国人」の関係とは根本的に違います。
 例えば、国際結婚をして生まれた子どもは「日本人」か「外国人」かどちらでしょうか?また、両親が「外国人」であったとしても、生まれてきた子どもが日本で育ち成人になるとすれば、その子は「外国人」として生きるべきなのか、帰化をして「日本人」として生きるべきなのか?
 こうして、多くの子どもたちが自分のアイデンティティについて思い悩むこととなります。  うちの子どもは日本とブラジルとの二重国籍者です。父である私が日本人であるために日本の法律によって子どもが日本の国籍を取得し、母である私の妻がブラジル人であるためにブラジルの法律によって子どもがブラジルの国籍を取得したため、好むと好まざるに関わらず結果的に二重国籍となったのです。まさに「ヤドカリ」であると同時に「イソギンチャク」でもあるような存在です。
 そのため、例えば日本からブラジルへ行く際には、子どもは日本を出国する際には日本のパスポートを持って「日本人」として、ブラジルへ入国する際にはブラジルのパスポートを持って「ブラジル人」としてその地を踏むというおかしな現象も出てきています。
 つまり、はっきりと両者が異質なものである「ヤドカリ」「イソギンチャク」との関係と、「日本人」「外国人」との関係とは同一に語られるべきものではなく、「多文化共生社会」という考え方の中でも「日本人」と「外国人」とが対比的に捉えられるべきものではありません。 考えてみると、「多文化共生」という表現を用いる時、Aという文化とBという文化は異質なものだということが前提としてあります。けれども、私たちの文化は複雑に織り成され、同じ国や同じ民族であってもそこでの価値観は多岐に渡っています。十人十色という言葉がありますが、「あゆみちゃん」、「パウロくん」、「ただしくん」、「ローザちゃん」、それぞれが固有の名まえを持っているのと同様、私たちは六五億人六五億色です。その一人ひとりが違った個性を持っているし、それをわざわざ「Aという文化を持っている人」「Bという文化を持っている人」というように分けて考える必要もないと思うのです。
 むしろ問題なのは、今の社会が多様なちがいを受け入れているかどうかです。一方が他方に考え方を押し付けているようなことは起こっていないでしょうか? 
 「ここではこうしないとダメ」といった考えは、結局、私たちの暮らしを息苦しくさせるだけのものです。心の面でも制度の面でも、多様なちがいに対応できる社会になってほしいものです。

2008年2月 9日 (土)

07年2月号 不就学外国人児童生徒支援事業の取り組み

不就学外国人児童生徒支援事業の取り組み

 この原稿を書いている年末年始(一二月二九日~三一日・一月四日~七日)、私たちインターナショナル滋賀は湖南市で「不就学外国人児童生徒(子ども)実態調査」を行っています。

 訪問する子どもの総数は七四人(対象宅は六六戸)。電話番号などは事前にほとんど分からないため、何度訪問しても留守だったり、戸別訪問が深夜まで及んだりと、活動はなかなか思うようにはかどっていませんが、今回はこの調査をすることとなったいきさつについて述べたいと思います。

不就学に関する現状

 外国籍の子どもたちの不就学に関しては、二〇〇五年六月号と二〇〇五年八月号の『じんけん』でも触れていますので詳細はそちらをご覧いただくとして、ここでは現状について簡単に触れるだけとします。

 日本国憲法第二六条には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」とあります。しかし、日本国民ではない外国籍の子どもたちの場合、この義務規定は適用されず、日本政府も「我が国に在住する外国籍又は無国籍の児童には就学義務はないが希望すれば、同様の機会が与えられている」という見解を示しているのみです。

 その結果、本人や家族が希望しなければ小中学校就学年齢にありながら学習機会を失ってしまう事態、すなわち「不就学」が生じているのです。

 これに対して私たちは、国籍に関係なくすべての子どもたちに学習機会を提供すべきだという立場をとっています。

 二〇〇六年一二月三〇日付の中日新聞は、岐阜県内の人材派遣会社二社が、一三~一五歳の日系ブラジル人男女一二人を工場で働かせていたとして、労働基準監督署から労働基準法違反として是正勧告を受けたと報じました。子どもたちは「学校の日本語の授業が理解できなくてつまらない。家計を助けたかった」と言っていたといいます。

 児童労働は遠い海外での出来事ではなくて、まさに私たちの身の周りで起こっていることなのです。滋賀県においても不就学の状況に関しては、二〇〇五年四月六日付の毎日新聞・滋賀版(『日系三世のブラジル人少女、中学中退-工場で働き家計を援助』)や二〇〇五年一一月一四日付の京都新聞・滋賀版(『見えない進路 生活費助ける中学生 授業ほとんど分からず』)が記事を報じています。

 「学校全体が嫌い。外国人に『アホ、ボケ』とか言うねん。」「目の色や髪の毛をからかう生徒の声に心を痛めた」「中学校に、心を許せる日本人の友達はいない」「『外国人は帰れ』と言われることもある」、そんな状況の中、子どもたちは時に仕事でくたびれて帰ってくる両親に代わって掃除や洗濯、夕食の支度を行い、「お金が必要。お母さんを助けなくちゃいけないの」などと、家計を助けるために働き始めるようになると記事は述べています。

 保護者が悪いとか学校が悪いとかいうことではなく、子どもたちが今の社会の犠牲になっている現実があり、だからこそ私たちは、不就学の状況を放置しておくことは子どもたちに対する重大な人権侵害だと考えているのです。

 

事業受託にいたるまで

 不就学の状況は中学年齢の子どもだけに限ったことではありません。「たとえ日本政府がどのような見解を持とうとも、子どもたちの現実をしっかり見て、しかるべき対策を一刻も早く講じてほしい」、不就学実態調査を滋賀県で行ってほしいという私たちの願いはそのようなところからきています。

 しかし「予算がない」といった理由や、県へ話にいけば「それは市町で取り組むべき課題」、市町へ行けば「それは県で取り組むべき課題」などといった理由で、私たちの願いはこれまで叶えられることはありませんでした。

 そのような中、外国籍の人たちの労働、医療、教育などの生活課題の改善に向け、私たちは県内のネットワークづくりの必要性を痛感し、二〇〇二年一二月にインターナショナル滋賀の準備委員会を発足、二〇〇四年四月に任意団体として正式にスタートしました。

 不就学に関する現状についても当初から県内各地での情報交換を行い、二〇〇五年五月には長浜市で大学の研究協力という形で調査に参加。ブラジル人が集住しているアパートなどを一戸ずつ訪問し、一四歳でありながら平日はずっと家で家事を行っているという子どもの保護者から、「日本の学校に入れるのが怖い。周囲のブラジル人から、日本の学校に行くとひどい目にあうと聞いている。だから娘を学校には通わせていない」などといった声を聞いていました(詳細は『じんけん』二〇〇五年八月号)。

 これらの情報交換や独自調査などを踏まえ、二〇〇五年六月には近江八幡市で、「外国籍の子どもの教育環境」と題して人権研修会を開催。「外国人の子どもの教育環境に関する実態調査」として本格的な戸別訪問調査を行われた岐阜県可児市から講師の方をお招きし、戸別訪問調査の必要性や調査を通じて見えてきた子どもたちの現状などについて、さらに認識を深めることができました。

一方、文部科学省は平成一七年(二〇〇五年)度に「不就学外国人児童生徒支援事業」を新規創設。「①就学実態の把握及び不就学の要因分析、②就学を支援するための取組を実施する」ことを目的とした施策を開始し、初年度には、群馬県太田市、長野県飯田市、静岡県掛川市、静岡県浜松市、静岡県富士市、岐阜県美濃加茂市、愛知県岡崎市、三重県四日市市、大阪市、神戸市、大阪府豊中市、兵庫県姫路市の一二自治体が選定されました。

この時滋賀県では残念ながら受託自治体がありませんでしたが、同年八月五日に行われた私たちインターナショナル滋賀と県教育委員会との話し合いの場の中で、次年度は事業を受託できるよう県として前向きに取り組む方向性が示されました。

 私たちNPOは不就学に関する情報交換を進めるとともに、教育に関する新たなネットワーク組織「外国にルーツを持つ子どもの教育と人権ネットワーク滋賀(以下、略して「がるきょんネット」という)」を二〇〇六年二月一六日に結成(※現在の構成団体はインターナショナル滋賀、近江八幡外国籍市民ネットワーク、クルーベ・クルミン、GRUPO IPE、子どもくらぶ「たんぽポ」、NIBRA在日外国人教育を考える会滋賀、ハムケモイジャ、ワールド・アミーゴ・クラブ)。教育課題に対して協同して取り組むことや、外国籍の子どもの就学状況等について各市町教育委員会への聞き取り調査を行うことなどを決定しました。

 二〇〇六年三月二八日には、がるきょんネットとして初めて滋賀県教育委員会と会合。外国にルーツをもつ子どもの教育状況改善へ向けた抜本的な取り組みについての意見交換の一つとして、不就学状況の調査について協働で取り組むことの重要性を認識しあうことができました。

事業受託から戸別訪問調査まで

 六月には不就学外国人児童生徒支援事業を滋賀県が新規受託(同年、その他の新規受託自治体は愛知県豊田市のみ)。文部科学省の同事業の要綱では実施主体は市町村教育委員会となっていましたが、「外国籍住民が集住している地域に限定せず県全体として問題への取り組みを行ってほしい」という私たちの願いに応える形で、県教育委員会が文科省と折衝され、滋賀県に関しては唯一、県レベルでの事業受託が認められることとなりました。

 またそれに先駆け、五月二六日の私たちと県教育委員会との話し合いの中で、不就学調査や小中学校へ入る前の初期的な日本語学習などを行っておられる「ばら教室KANI」など先駆的な取り組みをしておられる岐阜県可児市への視察の話が持ち上がり、六月二六日には県教育委員会、県国際課、県国際協会、そして私たち合同で可児市へ出かけ、研修機会を持つことができました。

 八月四日に行った県教育委員会とがるきょんネットとの会議では、今回の調査は就学支援に向けた取り組みの一環として行うものだという共通認識を再確認した後、①何らかの学校に在籍しているかどうか、②在籍しているとすればどこの市町の学校に在籍しているか、③それはどのような種類の学校か(例:日本の公立学校、外国人学校など)の三つの質問に絞った調査票を多言語で作成し、県内全域の各市町教育委員会を通じて予備調査を行うことが決まりました。

 八月の第二週には各市町教育委員会へ同調査票の配布が終了し、九月の第二週には各市町教育委員会から県教育委員会への報告をしていただくこととなっていましたが、各市町での予備調査が思うように進まなかったため、次に県教育委員会と私たちとの間で話し合いの場を設けられたのは一〇月二〇日と、大幅に当初予定よりずれ込んでしまいました。

 その会議開催への準備に平行して、文部科学省から送付された「不就学外国人児童生徒(子ども)実態調査項目」に基づき、①外国人登録から子どもの氏名、国籍、生年月日、住所などを拾い出すための「個人登録票(1枚目)」、②個人登録票(1枚目)に基づいて戸別訪問調査を行い、訪問日時、居住実態などを記入する「個人登録票(2枚目)」、③戸別訪問によって聞き取りを行い、その内容を記入する「質問票(全部で4頁)」の三種類の記入用紙を作成しました。

 この時点では、各市町から寄せられた報告をベースに県内全域での戸別訪問調査の可能性も検討していました。しかし、九月一日時点での小中学校就学年齢の外国人登録者数一五八五人(在日韓国・朝鮮人児童生徒を除く)のうち「学区内に住所があるが公立学校に在籍していない人数」はその約四割にあたる六三〇人、また、再調査が必要な子どもの総数は二一八人、調査区域は一三市町にまたがるという結果が出たため、県内全域での調査を断念し、地域を絞って戸別訪問調査を行うこととなりました。

 いざ戸別訪問調査を行おうとなると、個人の情報公開や、事前の資料作成、調査の趣旨理解と協力体制の確保など、地元教育委員会の全面的なバックアップなしには行えません。これに関しては県教育委員会が市町教育委員会と個別に交渉され、最終的に湖南市で集中的に戸別訪問調査を行うことが決まりました。

 また実際の戸別訪問に関しては、インターナショナル滋賀が窓口となってスタッフの取りまとめを行うこととなり、一二月六日には県教育委員会、湖南市教育委員会との打ち合わせ会議を行いました。

その会議を受けてタイムスケジュールなどを検討していましたが、調査の対象宅の大半である南米国籍の人たちに関しては、残業時間が長いために毎日の帰宅時間が遅かったり勤務形態も不規則だったりという傾向があることを考え、年末年始を中心に戸別訪問調査を行うことを県・湖南市教育委員会に打診することとしました。

年末でお互いに忙しい中で急遽このような計画を考えましたが、年末年始の調査時の拠点確保(湖南市役所庁舎内の会議室開放)、同期間内における職員の出勤、迅速な決裁など多くの便宜を図っていただくことができ、一二月二七日には最終の打ち合わせを三者(県・市教育委員会と私たち)で持つことができました。

現在行っている調査の中では、中学校就学年齢に限らず、小学校就学年齢であっても全く就学していない子どものいることが分かりました。また、調査を通じて、保護者の方々の就労状況や、ブラジル人学校(※法的には「学校」とはみなされていません)が果たしている役割の重要性についても再認識させられました。調査結果については、機会があればここでもいつか書かせていただきますが、子どもたちの教育状況の改善が一刻も早く、全県的に行われることを望んでやみません。
 
  松井 高
 

07年2月号 不就学外国人児童生徒支援事業の取り組み

不就学外国人児童生徒支援事業の取り組み

 この原稿を書いている年末年始(一二月二九日~三一日・一月四日~七日)、私たちインターナショナル滋賀は湖南市で「不就学外国人児童生徒(子ども)実態調査」を行っています。

 訪問する子どもの総数は七四人(対象宅は六六戸)。電話番号などは事前にほとんど分からないため、何度訪問しても留守だったり、戸別訪問が深夜まで及んだりと、活動はなかなか思うようにはかどっていませんが、今回はこの調査をすることとなったいきさつについて述べたいと思います。

不就学に関する現状

 外国籍の子どもたちの不就学に関しては、二〇〇五年六月号と二〇〇五年八月号の『じんけん』でも触れていますので詳細はそちらをご覧いただくとして、ここでは現状について簡単に触れるだけとします。

 日本国憲法第二六条には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」とあります。しかし、日本国民ではない外国籍の子どもたちの場合、この義務規定は適用されず、日本政府も「我が国に在住する外国籍又は無国籍の児童には就学義務はないが希望すれば、同様の機会が与えられている」という見解を示しているのみです。

 その結果、本人や家族が希望しなければ小中学校就学年齢にありながら学習機会を失ってしまう事態、すなわち「不就学」が生じているのです。

 これに対して私たちは、国籍に関係なくすべての子どもたちに学習機会を提供すべきだという立場をとっています。

 二〇〇六年一二月三〇日付の中日新聞は、岐阜県内の人材派遣会社二社が、一三~一五歳の日系ブラジル人男女一二人を工場で働かせていたとして、労働基準監督署から労働基準法違反として是正勧告を受けたと報じました。子どもたちは「学校の日本語の授業が理解できなくてつまらない。家計を助けたかった」と言っていたといいます。

 児童労働は遠い海外での出来事ではなくて、まさに私たちの身の周りで起こっていることなのです。滋賀県においても不就学の状況に関しては、二〇〇五年四月六日付の毎日新聞・滋賀版(『日系三世のブラジル人少女、中学中退-工場で働き家計を援助』)や二〇〇五年一一月一四日付の京都新聞・滋賀版(『見えない進路 生活費助ける中学生 授業ほとんど分からず』)が記事を報じています。

 「学校全体が嫌い。外国人に『アホ、ボケ』とか言うねん。」「目の色や髪の毛をからかう生徒の声に心を痛めた」「中学校に、心を許せる日本人の友達はいない」「『外国人は帰れ』と言われることもある」、そんな状況の中、子どもたちは時に仕事でくたびれて帰ってくる両親に代わって掃除や洗濯、夕食の支度を行い、「お金が必要。お母さんを助けなくちゃいけないの」などと、家計を助けるために働き始めるようになると記事は述べています。

 保護者が悪いとか学校が悪いとかいうことではなく、子どもたちが今の社会の犠牲になっている現実があり、だからこそ私たちは、不就学の状況を放置しておくことは子どもたちに対する重大な人権侵害だと考えているのです。

 

事業受託にいたるまで

 不就学の状況は中学年齢の子どもだけに限ったことではありません。「たとえ日本政府がどのような見解を持とうとも、子どもたちの現実をしっかり見て、しかるべき対策を一刻も早く講じてほしい」、不就学実態調査を滋賀県で行ってほしいという私たちの願いはそのようなところからきています。

 しかし「予算がない」といった理由や、県へ話にいけば「それは市町で取り組むべき課題」、市町へ行けば「それは県で取り組むべき課題」などといった理由で、私たちの願いはこれまで叶えられることはありませんでした。

 そのような中、外国籍の人たちの労働、医療、教育などの生活課題の改善に向け、私たちは県内のネットワークづくりの必要性を痛感し、二〇〇二年一二月にインターナショナル滋賀の準備委員会を発足、二〇〇四年四月に任意団体として正式にスタートしました。

 不就学に関する現状についても当初から県内各地での情報交換を行い、二〇〇五年五月には長浜市で大学の研究協力という形で調査に参加。ブラジル人が集住しているアパートなどを一戸ずつ訪問し、一四歳でありながら平日はずっと家で家事を行っているという子どもの保護者から、「日本の学校に入れるのが怖い。周囲のブラジル人から、日本の学校に行くとひどい目にあうと聞いている。だから娘を学校には通わせていない」などといった声を聞いていました(詳細は『じんけん』二〇〇五年八月号)。

 これらの情報交換や独自調査などを踏まえ、二〇〇五年六月には近江八幡市で、「外国籍の子どもの教育環境」と題して人権研修会を開催。「外国人の子どもの教育環境に関する実態調査」として本格的な戸別訪問調査を行われた岐阜県可児市から講師の方をお招きし、戸別訪問調査の必要性や調査を通じて見えてきた子どもたちの現状などについて、さらに認識を深めることができました。

一方、文部科学省は平成一七年(二〇〇五年)度に「不就学外国人児童生徒支援事業」を新規創設。「①就学実態の把握及び不就学の要因分析、②就学を支援するための取組を実施する」ことを目的とした施策を開始し、初年度には、群馬県太田市、長野県飯田市、静岡県掛川市、静岡県浜松市、静岡県富士市、岐阜県美濃加茂市、愛知県岡崎市、三重県四日市市、大阪市、神戸市、大阪府豊中市、兵庫県姫路市の一二自治体が選定されました。

この時滋賀県では残念ながら受託自治体がありませんでしたが、同年八月五日に行われた私たちインターナショナル滋賀と県教育委員会との話し合いの場の中で、次年度は事業を受託できるよう県として前向きに取り組む方向性が示されました。

 私たちNPOは不就学に関する情報交換を進めるとともに、教育に関する新たなネットワーク組織「外国にルーツを持つ子どもの教育と人権ネットワーク滋賀(以下、略して「がるきょんネット」という)」を二〇〇六年二月一六日に結成(※現在の構成団体はインターナショナル滋賀、近江八幡外国籍市民ネットワーク、クルーベ・クルミン、GRUPO IPE、子どもくらぶ「たんぽポ」、NIBRA在日外国人教育を考える会滋賀、ハムケモイジャ、ワールド・アミーゴ・クラブ)。教育課題に対して協同して取り組むことや、外国籍の子どもの就学状況等について各市町教育委員会への聞き取り調査を行うことなどを決定しました。

 二〇〇六年三月二八日には、がるきょんネットとして初めて滋賀県教育委員会と会合。外国にルーツをもつ子どもの教育状況改善へ向けた抜本的な取り組みについての意見交換の一つとして、不就学状況の調査について協働で取り組むことの重要性を認識しあうことができました。

事業受託から戸別訪問調査まで

 六月には不就学外国人児童生徒支援事業を滋賀県が新規受託(同年、その他の新規受託自治体は愛知県豊田市のみ)。文部科学省の同事業の要綱では実施主体は市町村教育委員会となっていましたが、「外国籍住民が集住している地域に限定せず県全体として問題への取り組みを行ってほしい」という私たちの願いに応える形で、県教育委員会が文科省と折衝され、滋賀県に関しては唯一、県レベルでの事業受託が認められることとなりました。

 またそれに先駆け、五月二六日の私たちと県教育委員会との話し合いの中で、不就学調査や小中学校へ入る前の初期的な日本語学習などを行っておられる「ばら教室KANI」など先駆的な取り組みをしておられる岐阜県可児市への視察の話が持ち上がり、六月二六日には県教育委員会、県国際課、県国際協会、そして私たち合同で可児市へ出かけ、研修機会を持つことができました。

 八月四日に行った県教育委員会とがるきょんネットとの会議では、今回の調査は就学支援に向けた取り組みの一環として行うものだという共通認識を再確認した後、①何らかの学校に在籍しているかどうか、②在籍しているとすればどこの市町の学校に在籍しているか、③それはどのような種類の学校か(例:日本の公立学校、外国人学校など)の三つの質問に絞った調査票を多言語で作成し、県内全域の各市町教育委員会を通じて予備調査を行うことが決まりました。

 八月の第二週には各市町教育委員会へ同調査票の配布が終了し、九月の第二週には各市町教育委員会から県教育委員会への報告をしていただくこととなっていましたが、各市町での予備調査が思うように進まなかったため、次に県教育委員会と私たちとの間で話し合いの場を設けられたのは一〇月二〇日と、大幅に当初予定よりずれ込んでしまいました。

 その会議開催への準備に平行して、文部科学省から送付された「不就学外国人児童生徒(子ども)実態調査項目」に基づき、①外国人登録から子どもの氏名、国籍、生年月日、住所などを拾い出すための「個人登録票(1枚目)」、②個人登録票(1枚目)に基づいて戸別訪問調査を行い、訪問日時、居住実態などを記入する「個人登録票(2枚目)」、③戸別訪問によって聞き取りを行い、その内容を記入する「質問票(全部で4頁)」の三種類の記入用紙を作成しました。

 この時点では、各市町から寄せられた報告をベースに県内全域での戸別訪問調査の可能性も検討していました。しかし、九月一日時点での小中学校就学年齢の外国人登録者数一五八五人(在日韓国・朝鮮人児童生徒を除く)のうち「学区内に住所があるが公立学校に在籍していない人数」はその約四割にあたる六三〇人、また、再調査が必要な子どもの総数は二一八人、調査区域は一三市町にまたがるという結果が出たため、県内全域での調査を断念し、地域を絞って戸別訪問調査を行うこととなりました。

 いざ戸別訪問調査を行おうとなると、個人の情報公開や、事前の資料作成、調査の趣旨理解と協力体制の確保など、地元教育委員会の全面的なバックアップなしには行えません。これに関しては県教育委員会が市町教育委員会と個別に交渉され、最終的に湖南市で集中的に戸別訪問調査を行うことが決まりました。

 また実際の戸別訪問に関しては、インターナショナル滋賀が窓口となってスタッフの取りまとめを行うこととなり、一二月六日には県教育委員会、湖南市教育委員会との打ち合わせ会議を行いました。

その会議を受けてタイムスケジュールなどを検討していましたが、調査の対象宅の大半である南米国籍の人たちに関しては、残業時間が長いために毎日の帰宅時間が遅かったり勤務形態も不規則だったりという傾向があることを考え、年末年始を中心に戸別訪問調査を行うことを県・湖南市教育委員会に打診することとしました。

年末でお互いに忙しい中で急遽このような計画を考えましたが、年末年始の調査時の拠点確保(湖南市役所庁舎内の会議室開放)、同期間内における職員の出勤、迅速な決裁など多くの便宜を図っていただくことができ、一二月二七日には最終の打ち合わせを三者(県・市教育委員会と私たち)で持つことができました。

現在行っている調査の中では、中学校就学年齢に限らず、小学校就学年齢であっても全く就学していない子どものいることが分かりました。また、調査を通じて、保護者の方々の就労状況や、ブラジル人学校(※法的には「学校」とはみなされていません)が果たしている役割の重要性についても再認識させられました。調査結果については、機会があればここでもいつか書かせていただきますが、子どもたちの教育状況の改善が一刻も早く、全県的に行われることを望んでやみません。
 
  松井 高
 

06年12月号 ブラジルの子どもたちは今

ブラジルの子どもたちは今

 日本政府は平成一八年四月二八日に教育基本法の全部改正案を閣議決定し、国会に提出しました。

 時代とともに教育の果たす役割が少しずつ変化し、それに即した形で法律を改正する必要があるのは言うまでもありません。しかしながら、今回の改正案では現行法よりもさらに国家至上主義が強められ、国際的視野に立てる人材の育成や、国内で増大している外国籍や重国籍の人たちなどへの配慮もほとんど感じられず、国際化という観点からは時代に逆行したものとなっています。

 私たちが今こうしている間にも、世界では様々なことが起こっています。世界で起こっている問題を自分自身の問題として捉え、一人ひとりにできることを考える、そのような姿勢こそが今私たちには必要とされています。

 そこで今号では、ブラジルの子どもたちの教育を取り巻く状況について取り上げたいと思います。

 

三つの社会階層とストリート・チルドレン

 今回で私の連載は一五回目になりますが、私は初回(『じんけん』二〇〇四年六月号)、『イラクでの日本人人質事件と命の重み』というタイトルでブラジルでのストリート・チルドレンについて触れました。

 ストリート・チルドレンが生み出される背景には、ブラジル社会の貧困問題があります。貧困は時として家族関係をも崩壊させてしまいます。家庭内暴力、性的虐待、離婚、両親の不在、就学の機会にも恵まれない状況が、子どもを路上生活へと向かわせるのです。

 ブラジルは差別のない国だと言われることがあります。ブラジルはインディオを除けば世界のありとあらゆる国から移住してきた人たちによって成り立っているため、多数派対少数派というような構造からくる外国人差別はほとんどないと思います。けれども、富裕層、中流層、貧困層という社会階層がはっきりと分かれており、街の中では富める者と貧しい者との棲み分けが自然とできてしまっています。

 例えば、お金持ちの人たちのほとんどはショッピングセンターで買い物をします。リオ・デ・ジャネイロのショッピングセンターでは、すべての出入口に警備員や警察官などを配置し、身なりの貧しい人がセンター内に入らないようにガードをしていました。

 ブラジルの商品流通ルートも明らかに二つ存在します。一つはメーカーにより標準化された品質を持つ商品で、それらはショッピングセンターや代理店などで販売されます。もう一つは手工業により生産された製品で、メルカードと呼ばれる商業エリアに持ち込まれて売買されるのですが、価格が非常に安いとはいえ、粗悪品も多く品質が安定していません。そして、ここへ買い物に来る人の客層は、ショッピングセンターとは明らかに違います。ショッピングセンターには白人が多く、メルカードには黒人が多いのも一つの特徴です。

 バスについても、エアコンのない安い運賃のものと、エアコン付で快適な座席となっている高い運賃のものとがあり、所得階層による棲み分けが自然となされています。また富裕層の人が住む地域の中には、その地域全体が高い壁に囲まれ、地域の人専用のゲートで警備員の許可を通じてしか出入りできないようになっている所もあります。

 そのような社会の中で、ストリート・チルドレンは治安を脅かす存在のように思われているところもあるのですが、彼らは社会の犠牲者だとも言えます。時には人身売買、売買春、臓器売買の犠牲となり、ドラッグが蔓延する環境の中で麻薬の運び屋として利用されたり、銃器によって命を落としたりすることもあります。特にファベーラと呼ばれるスラム街の中には、常に生と死が隣り合わせとなっている地域もあります。

IBGE(ブラジル地理統計院)の統計によれば、殺人の発生率は一九八〇年から二〇〇〇年までの間に一〇万人当たり一一・七人から二七人へと二倍以上の伸びを示しました。中でも、青少年による殺人の割合が非常に高く、一五歳から二四歳までの年齢の男性に限れば、二〇〇〇年で同年齢層の男性による殺人発生率は一〇万人あたり九五・六人となっています。またその内、銃器による殺害は七一・七人と約七五%を占め、青少年の銃器犯罪が氾濫している現状がうかがえます。

 銃器などによる殺害が若年男性で多いことは、ブラジルの男女構成比率をいびつなものにしています。二〇〇四年に行われた国勢調査(Pesquisa Nacional por Amostra de Domicílios)によれば、〇歳から四歳までの男女比は五一・〇対四九・〇ですが、二〇~二四歳では男女比率が逆転し、四九・三対五〇・七という割合にまで達しています(表1)

家計を助ける子どもたちと所得格差

 就学機会のない子どもたちの中には、家計を助けるために就労しているケースも多くあります。私がブラジルへ行った時にも、街中で小中学生位の年齢の子どもたちが重たい荷物を背負って物売りをしたり、新聞を売ったり、信号などで車が止まるたびに走っていって窓をふいたりしている姿を見かけました。こういった子どもたちの家族の収入は極端に少ない場合がほとんどで、IBGEの発表によれば、働く子どもたちの家計の一五・五%は、そういった子どもたちの収入によってまかなわれているという結果が出ています。

 これからの世界経済の牽引力となる諸国は、ブラジル、ロシア、インド及び中国の頭文字をとってBRICs(ブリックス)と呼ばれています。二〇〇五年のブラジルのGDPは、ついに韓国やメキシコを超え、世界ランキングで一一位となりました。(財)国際貿易投資研究所(http://www.iti.or.jp)が発表した国際比較統計に基づきますと、ブラジルにおけるGDPの伸び率は二〇〇三年から二〇〇四年にかけては一九・四%、二〇〇四年から二〇〇五年にかけては三一・八%と世界各国の中でも群を抜いています。

 堅調な鉱工業生産や小売販売額、輸出入の拡大、インフレ抑制の成功、対外債務の減少など、ブラジルのファンダメンタルズ(一国の経済状態を示す基礎的指標)は特にここ数年で劇的に改善してきました。

 しかし急速に経済的発展を遂げる国、鉱物資源や農産物に恵まれた豊かな国というイメージとは裏腹に、大多数の国民は困窮生活を余儀なくされています。それらの富がごく一部の人たちに集中し、著しい社会的不平等をもたらしているためです。

 二〇〇二年から二〇〇三年に行われた家計調査(POF)によりますと、一世帯あたりの収入の全国平均は約一七九〇レアル(約九万八千円)となっています。しかし、全国平均の約四分の一以下、四〇〇レアル(約二万二千円)以下が全人口の約一五%を占め、平均よりはるかに低い一〇〇〇レアル(約五万五千円)以下ですらすでに全人口の過半数を占めいています(表二)。一方、富裕層である六〇〇〇レアル(約三三万円)超の所得を有する人口も全人口の五%と、決して少ない数とは言えません。また貧困層と富裕層の平均所得を見るとさらに驚かされます。月四〇〇レアル以下の世帯の平均収入二六〇レアル(約一万四千円)に対し、月六〇〇〇レアル超の世帯の平均収入は一〇、八七九レアル(約五九万八千円)と、その差は実に四二倍です。

さらに地域間格差も非常に大きく、市街地域と農村地域との所得格差は二倍以上、またブラジルは北部、北東部、南東部、南部、中西部の五地域に大別されていますが、特に北東部の農村地域と南東部の市街地域との平均所得は四倍以上にもなっています(表三)。そのため、生活の糧を求める農村地域の人たちが市街地域へ流入し、ファベーラと呼ばれるスラム街が増え続けています。けれども、流入人口を吸収するだけの労働力は都市部といえども生み出されておらず、六大都市の失業率は二〇〇六年に入った現在も依然一〇%以上で推移しています。

 これらの状況の中で、新たな貧困が生み出され、社会の中に厳然として存在する社会階層が、次の子どもの世代へと受け継がれてしまうという悪循環もあります。

 例えば、月あたり収入が四〇〇レアル以下の世帯における消費額を見ると、住居関連費三七・一五%と食費三二・六八%とをあわせただけで総額の七〇%を占め、それに交通費と衣類、保健医療、衛生費を加えると家計支出の九〇%にも達します。これに諸費を加えると余裕資金など全く残らず、月あたりの教育費の平均はわずか〇・七八レアル(約四三円)という状況になるのです。これでは仮に学校へ通えても学用品すら買うお金はありません。

現政権と所得移転プログラム

 固定化しつつある貧困階層に一筋の光をあてた政策は、今年一〇月二九日に六〇・八二%もの得票率を得て再選を決めたルーラ大統領でした。

ルーラ大統領は、飢餓状態にある国民に必要とされる食料を得る権利を保障することを目指し、就任後すぐにフォーミ・ゼロ(Fome Zero)と呼ばれる飢餓ゼロ対策に着手しました。その一環として二〇〇四年一月に創設された家計支援プログラムはボウサ・ファミーリア(Bolsa Família)制度と呼ばれ、貧困世帯へ政府からの収入保障を行うことによって、貧困の軽減、保健・教育分野における基本的社会的権利の擁護、貧困の連鎖の断ち切りを行おうという取り組みを始めました。この対象となるのは約一一一〇万世帯。非常に大規模な所得移転プログラムです。

 各家庭への手当額は、家族一人あたりの収入や子どもの数によって原則として一五レアルから九五レアル(約八二五円~五、二二五円)となっています。そして、この手当の給付にあたっては、保護者が子どもを就学させること、予防接種を受けさせることなどを条件に盛り込みました。この制度により、これまで経済的理由などから働かざるを得なかった子どもたちに就学の道が開けました。また、一定の収入保障を行ったことによって、貧困層の家計の消費が拡大していることも報告されています。

 しかしながら、二〇〇四年の調査では五歳から九歳の子どもたち二五万人以上が、一〇歳から一五歳までの二五二万人以上が就労をしていると報告されています(表四)。今もなお数え切れないほど多くの子どもたちが厳しい状況に置かれており、さらなる取り組みが必要とされています。

ブラジルでは大規模な所得移転プログラムによって格差を減少させる方向での取り組みが始まりました。それは格差社会の中では、貧しい者は貧困の連鎖から抜け出せなくなるという反省から生じたものでした。

教育の自由化は時として学校の差別化も進めることとなります。ブラジルでは貧しい子どもたちは公立学校へ通わざるを得ないのですが、公立学校への教育予算が少ないために、教員の質や教材内容に私立学校との格差が生じ、両者の教育レベルを異なったものにしているという問題があります。そして、どの学校を卒業したかによって、社会に出た際の待遇は異なります。格差社会の恐ろしさは、結果的にチャンスが平等でなくなってしまうことです。

私たちが世界の現状や、これまでの歴史から学ぶことは数多くあります。けれどもそれらは自国の発展という狭い枠ではなく、世界の平和という普遍的な目的にこそ役立てられるべきものです。私たちの目には見えませんが、こうしている間にも世界は同時に回っているのです。

      松井高 

2008年2月 7日 (木)

06年10月号 外国籍の子どもたちの教育状況をどのように改善するか?

外国籍の子どもたちの教育状況をどのように改善するか?

日本国憲法第二六条には「教育を受ける権利」と「普通教育を受けさせる義務」が謳われています。しかしながら「外国籍又は無国籍の児童には就学義務がない」(政府見解)ため、小中学校就学年齢にありながら学籍を有さない「不就学」の子どもたちの問題は、ごく最近までほとんど何の対策もとられてきませんでした。日本人には「不登校」はあっても「不就学」はありません。そのため、外国籍の子どもたちに特有のこの現象は、重大な人権侵害にあたるのではないかという認識を私たちは持っています。

また、公立の小中学校へ在籍している外国籍の子ども(以下、無国籍の子どもたちを含むものとする)の状況についてもほとんど何も分からないままです。外国籍の子どもたちがはたして毎日学校へ通えているのか、欠席がちとなっているのか、長期欠席となっているのか、その理由は何なのか、さらに中学校卒業後の進学者数やその進路先、就職者数等についても全国的に何も把握されていないのです。

 滋賀県においても外国籍の子どもたちの現状はほとんど分からないままですが、断片的に公表されている数値もあります。

「不就学」の子どもの状況については、二〇〇三年九月と二〇〇五年一二月の県議会答弁からその問題の一端を推し測ることができます。

小学校就学年齢相当者数

小学校在籍者数

中学校就学年齢相当者数

中学校在籍者数

2003

984

727

516

350

2005

1,304

827

548

306

 「不就学」という言葉は全国的にもはっきりした定義がありませんが、小中学校就学年齢にありながら学校へ在籍していない状況を仮に不就学と呼ぶならば、滋賀県での不就学者数は小学校就学年齢で二〇〇三年の二五七人から二〇〇五年には四七七人へと八六%増加、中学校就学年齢で同一六六人から二四二人へと四六%も増加し、二〇〇五年時点では小学校年齢で三人に一人以上が不就学、中学校年齢ではほぼ二人に一人が不就学という驚くべき結果です。

滋賀県の小学校年齢における不就学率  
 
全体1304

不就学者477

200512月県議会答弁による)

滋賀県の中学年齢における不就学率      
  
全体548

不就学者242

200512月県議会答弁による)

 もちろん、この数値は学習機会を持たない子どもたちの現状をそのまま反映したものではありません。楽観的にみればほとんどの子どもたちはどこかで何らかの学習機会を持っているのかもしれません。しかしながら、これらの子どもたちが今どうしているのか全く把握されていないことは大きな問題です。

 その他、学籍を有している外国籍の子どもたちに関する通学状況(長期欠席者の数など)、進学者数や就職者数については、滋賀県では数値として公表されたものはありませんが、日本語指導が必要な外国籍の生徒のうち今年二〇〇六年三月に中学校を卒業した者は四六人、高校へ進学したのは一八人という数字だけは発表されています。

平成17年度・滋賀県の小中学校における在籍人数

小学校

中学校

児童数

学校数

生徒数

学校数

505

79

171

41

 

平成17年度・滋賀県における母語別児童生徒数の内訳

(日本語指導の必要な児童生徒数:人)

ポルトガル語

中国語

スペイン語

その他

438

32

187

39

696

 

 

 学校基本調査によりますと、中学校卒業者のうち「高等学校等進学者」の割合は約九八%ですから、「日本語指導が必要な外国籍の生徒」の進学率三九%との格差は歴然としています。来日間もない子どもたちにとって、あるいは小中学校在籍期間に学習支援が十分でなかった子どもたちにとってはきわめて厳しい現実です。

 また、中学校年齢で学習機会を失う外国籍の子どもたちも多くいると思われます。小学校就学年齢と中学校就学年齢での不就学率の違い(中学校年齢での不就学率が、小学校年齢の不就学率よりも七%多い)や、日本語指導が必要な外国籍の生徒の数(生徒数一七一人を単純に三学年で割ると一学年あたり五七人)と実際の今年の卒業者数四六人との違いなどから、滋賀県では進路選択以前に中学校卒業すらも難しくなっているのではないか、という状況も推測できます。

 いずれにしても外国籍の子どもたちの教育環境を抜本的に改善するためには、子どもたちの就学状況、登校頻度、進路状況などの実態を正しく把握し、問題点があればその原因を探り、課題を整理し、課題解決のための道筋を考えるという基本に立ち返ることが不可欠です。

 

今できることは何か?

 しかしながら、子どもたちの貴重な時間は着実に過ぎ去っていきます。実態把握などと並行し、今できることをすすめていくことが重要なのは言うまでもありません。

 外国籍の子どもたちへの公的な学習支援に関しては、これまで幾つかの試みが行われてきました。滋賀県では加配教員の配置と非常勤講師の派遣(平成五年度~)や、『架け橋(学校連絡文書の翻訳集)』の発行(平成九年)、平成一七年度からは「地域が抱える教育課題に対応した指導者養成推進事業」として、日本語指導にあたる加配教員や講師へのポルトガル語・スペイン語入門講座、非常勤講師の指導補助を行う学生指導助手の派遣、外国人児童生徒教育実践交流会が行われ、今年度からは「外国人児童生徒ほっとサポート事業」(母語を介したコミュニケーションや学習、学校生活への支援)や、「不就学外国人児童生徒支援事業」として、就学実態の調査が始められています。

また、各市町では小学校入学時における就学案内が行われ、市町単独で教育相談員や日本語指導員などを配置したり、休暇期間中に学習支援を行ったりしている場合もあります。

しかしながら、これらの施策がどれほどの効果を上げてきたのかということは必ずしも検証されてはいません。例えば、日本語指導にあたる非常勤講師については言葉の問題から子どもや保護者とコミュニケーションをとることが難しい、一方、日系人等が通訳をしながら学習支援を行う場合では、教科書に書いていることが自分自身にも難しくて教えにくい、などといった声が聞かれます。

また外国籍の子どもたちにとって、週数時間の日本語指導以外の時間が学校生活の大半を占めているのですが、授業内容が分からない、宿題を出されても質問の意味が分からない、といった深刻な問題があります。例えばHe plays tennis.”の意味は理解できても、プリントに「上記の文を否定文にして書き改めよ」などと書かれていると質問内容が分からず回答できなくなってしまうのです。辞書を使って自分で文章の意味を調べようとしても、漢字が読めない、漢字の読みをどのように調べればいいのか分からない、ポルトガル語やスペイン語の辞書に載っていない単語(「平行四辺形」「寒冷地」「めしべ」などの学習用語)があまりにも多いといった問題もあります。これらの問題を軽減するためには、教科内容の理解を促進するための自主学習用教材や副教材の整備が必要不可欠なのですが、全国的にもこの作業はほとんどすすんでいません。

さらに、日本語基礎の力がないままに学校へ入る制度上の問題もあります。例えば、日本人の社員が海外転勤となった場合、ほとんどの企業では日本国内及び現地で短期集中的に社員への語学研修を行っていることと思います。現地の人とのコミュニケーションを円滑に行うためには当然のことです。しかしながら、外国籍の子どもが日本の学校へ入る場合には、まったく日本語が分からない状態でも、(原則として)その年齢に応じた当該学年クラスへ何の予備学習もなしに入ることとなります。

このことは受け入れ側である学校を困惑させるだけでなく、外国籍の子どもにとっても非常に大きな精神的負担となっています。それは、授業の理解が困難というだけではなく、クラスメートなどとのコミュニケーションがうまくとれないことによって、外国籍の子どもの孤立感、コンプレックスを高めることともなるためです。

そこで私たちは、外国籍の子どもたちの学習支援を目的としたセンター(以下、学習支援センター)づくりを提唱してきました。

学習支援センターの目的は、①学校生活を円滑に過ごすために必要とされる基本的な日本語習得の支援を行うこと【日本語初期指導】、②地域の人たちなどとも積極的に交流する中で子ども自身の孤独感をなくし、精神的に安定した状態で学習意欲を高めること【学習モチベーションの高揚】、③不就学状態をなくし、小中学校就学年齢にあるすべての子どもが学習機会を失うことのないようにすること【学習機会の提供】、④日本語学習・教科学習を手助けするノウハウに関する情報収集と必要とされる教材の開発【リソースセンター機能】、

⑤放課後や長期休暇期間中(夏休みなどの学習支援【放課後支援】です。

 本来は外国籍の子どもたちの生活圏内にこういったセンターが一つはあれば良いと思うのですが、とりあえずはモデル的に学習支援センターを一箇所でも創設し、(A)実態やニーズの調査、(B)事業企画案づくり、(C)事業の実施企画、(D)費用対効果の検証、(E)実施事業の再修正という一連の流れを経る必要性も感じています。

 もちろん、このような取り組みは学習支援センターだけで完結できるものではありません。学校や教育委員会、外国人登録などの行政窓口、保護者が勤める会社、NPOや地域住民など、様々な人たちや関係機関との連携が必要となってきます。また、学習支援センターの常設が求められることから、人件費や施設管理費等も必要となり、その財源をどのように確保するかという問題もあります。けれども、人づくりへの投資は必ず実を結ぶものです。この投資を怠れば、私たちの社会に大きな禍根を残すこととなるのではないでしょうか。

松井高 

06年8月号 国際結婚ってどんなもの?

国際結婚ってどんなもの?

人権研修などで講演を依頼されることが時々あるのですが、講演を終えた後によく尋ねられることが「奥さんとどこで知り合われたのですか?」という質問です。そこで今回は、少しプライベートな内容になりますが、国際結婚について我が家の様子をお話したいと思います。

少し前のことですが、上の子どもが小学校に入る前、私と上の子と二人、公園で遊んでいると、同じように小さい子どもさんを公園へ連れてきていた女性の方が私に声をかけてこられました。うちの子の容姿を見て「日本人」とちょっと違うと思われたからでしょうが、「国際結婚ですよね」と尋ねてこられました。「そうですけど」と答えると、「いいなあ、私も国際結婚したら良かった」と。一瞬にして私の目は点になってしまいました。

巷ではまだまだ、国際結婚を特別なこととして見る傾向があるようです。冒頭の質問に関しても、国の違う人が一緒になる、ということにドラマチックな出会いを期待しておられる方が多いのかもしれませんが、ほとんどの場合はごくありふれた出会いなのではないでしょうか。たまたま相手の人が外国籍の人だったというだけで。

コミュニケーションが難しかった頃

私と妻が出会ったのは、以前、一緒の職場で働いていた時期があったというだけのことです。ブラジルではポルトガル語を使うということすら知らなかった時期に好意を持ったのですから、その点は不思議な気もしますが、人を好きになるという感情はコミュニケーション以前のものなのでしょうね。

ところが、当時は妻も日本語がほとんど話せなかったのでうまく会話ができません。「誰と一緒に日本に来たの?」と尋ねたら、「おじいさん」と言うので、すごい、三世代に渡って来日したんだと思っていたら、実は「おじさん」だったということがずいぶん後になって分かりました。

「ようかいちに引越しする」と言うので、「うちの家から近くなるね」と言っていたら、実は「よっかいち」だったということが後で分かりました。こんな風に会話では誤解が誤解を呼ぶといった感じでした。

それと、うまく言葉で伝えられないもどかしさ。日本の文化に興味を持ってもらえるかと、最初のデートに選んだ場所は「京都国立博物館」だったのですが、これが大失敗。「これは何?」と聞かれて説明してもどうも伝わらない。土器を指差されて「これは、灰皿?」と尋ねられても、「まあ、そんなところ」と適当な返答しかできなくなったのを今でも覚えています。

辞書を引きもってしか会話ができないのですから、喫茶店などでの会話にも長時間を要しました。小さな喫茶店だと「ここは勉強をするところじゃない」などと怒られることもあり、嫌な思いをしたことも幾度かありました。

でもまあ、今から思えばそれもラッキーだったのかもしれません。お互いに日本語とポルトガル語を勉強しなければならない必然性があったわけですから。もし出会った頃に妻が日本語に長けていたり、私がポルトガル語に長けていたりしたら、一つの言語だけでの会話になっていたかもしれません。話しやすい言葉で話す方が時間も短縮できて合理的ですから。

さて、私の妻は日系三世のブラジル人であると同時に、フランス系三世のブラジル人でもあります。いろんな国の人たちの血が混ざるということはブラジルでは普通のことなのです。白人の血が流れているため、赤道にやや近いフォルタレーザという常夏の地域で生まれ育ったにも関わらず肌の色は白いままです。名まえはレア・ハナコ・カルダス・フジタと言います。レア・ハナコが名まえで、カルダス・フジタが姓です。ブラジルでは日本のように名まえ一つ、姓一つと決まっていませんから、このように長いフルネームは当たり前です。カルダスは母方の姓、フジタは父方の姓。日本では結婚すればどちらか一つの姓を選択しなくてはなりませんが、ブラジルではどちらか一つの姓を選んでも、夫婦別姓でも、二つの姓をくっつけて名乗ってもいいことになっていますから、その点は非常に自由度が高いわけです。

ちなみに、フジタのスペルは正しくはFujitaとなるべきなのですが、公証役場でFugitaと誤って登録されてしまったので、それ以来Fugitaのままです。こういうスペルミスは、ブラジルではしょっちゅうです。でもブラジルはラテン気質の国ですから、そんなことで怒る人は少ないのでしょう。

 

来日した当初のカルチャーショック

そんな妻が来日したのは一六歳の時。最初に住んだのは愛知県一宮市でした。ハイテクノロジーの先進国日本というイメージとは異なる暮らしに最初はとまどったといいます。

一番驚いたのは当時暮らしていたアパートのくみとり式トイレ。ブラジルでは見たことがなかったそうです。

それと食文化の違い。ブラジルでは料理を作る時、デザート以外に砂糖を使うことはありません。ブラジル料理の定番とも言える豆料理も、ブラジルでは塩で味付けするのに対し、日本では砂糖で甘く味付けします。お父さんとスーパーに出かけた時も、照り焼きの鶏を指差され「これはおいしそうに見えるけれど絶対買ったらあかんよ。甘くて気持ち悪い味だから」と教えられたといいます。

高野豆腐にもびっくりしたと言います。「日本人はスポンジを食べるのか?」と。

それからスライスされたお肉。「この向こう側が透き通って見えそうなお肉は何? 何のためにこんなお肉があるの?」なんて思ったそうです。

ブラジルにはスライスされたお肉はありません。お肉屋さんへ行っても、ステーキ用の肉を厚めに切るかやや薄めに切るか程度の違いです。私の知り合いに海外転勤でブラジルへ行った人がいますが、今一番ほしいものはお肉を薄くスライスできる機械だと言います。お肉屋さんでスライスするよう頼んでも「これ以上薄く切れない」と言われるので、すきやきに分厚いお肉を入れるしかないためだそうです。  

妻はイカだけはいまだに苦手ですが、生魚がダメというブラジル人も多くいます。以前私がブラジルで入ったお寿司屋さんでは、ネタの魚にすべて火が通してありました。これではお寿司じゃなくて、ご飯にのった焼き魚ですね。でも、生魚を食べる習慣がない国では無理もないのです。

調味料一つにしてもブラジルでは塩かコンソメ風のものぐらいしか使いませんから、味付けもずいぶん違います。

 

結婚後の家庭生活

 妻と付き合いだしてから約五年の歳月が流れ、結婚の日取りも決まりました。結婚前に突然妻がブラジルへ帰国し、再び日本に帰ってきたのはそれから一ヶ月もたった結婚式の数日前でしたが、それでも無事に結婚式を終えることができました。結婚の場所はカトリック教会です。ブラジルではカトリックの人はカトリックの人としか結婚できないそうですが、日本ではカトリックの人が少ないためでしょうか、カトリックでもない私との結婚も神父さんは受け入れてくださいました。

 婚姻届を市役所に出しましたが、妻は「外国人」なので戸籍に入るわけでもなく、役所でも「外国人登録原票」に記載されたままなので、日本人の「住民基本台帳」とは別扱いです。つまり、妻の名まえは独身時と何も変わりませんし、世帯全員の住民票を取ろうと思っても妻の名は出てこないのです(申請すれば備考欄には記載してもらえますが)。楽観的に考えれば、私たちは図らずとも夫婦別姓になったわけですが、何ともおかしな話です。

結婚後の家庭生活はいたって普通です。周りの人からは「奥さんが外国人だと文化の違いがあって大変じゃない?」などと尋ねられることもありますが、逆に「そちらではお連れ合いの方と大変なことはないんですか?」と尋ねると笑ってごまかされる方が多いところをみると、国際結婚だから大変とか、日本人同士だから理解し合えるとかそういうものではなさそうです。

むしろ、夫婦のつきあいは国際結婚の方が楽かもしれません。例えばけんかをした時に日本人同士であれば「ここまで言っているのに何で理解できないの?」といつまでも気持ちが収まらないかもしれませんが、私たちの場合は「文化が違うから仕方がない」と、お互いが自分自身に言い聞かせて心をなだめることができます。

食事については時々ブラジル料理を食べますが、だからと言ってそれが特別なことではなく、皆さんが時々酢豚やスパゲティーなどの外国料理を食べるのと同じような感じだと思います。それでも、今まで知らなかった食べ物に触れられるということはおもしろいことです。地域にあるブラジルショップなどで買った料理雑誌を見たり、料理を紹介するホームページのサイトを見たりすると世界が広がるような気がします。料理を作る時に多用するのは、圧力鍋とミキサー。半分程度の種類の料理は圧力鍋で調理しています。我が家には炊飯器がないので、ご飯を作る時も圧力鍋。シチューやスパゲティーなどでも圧力鍋を使えば短時間でできるので便利です。ミキサーはジュースを作ったり、食材を細かくしたりするのに使います。朝一番に生ジュースというのは、トロピカルな気分です。

結婚してから少し面倒だったのは妻の各種手続き関係でしょうか? 婚姻のために役所へ提出する書類を揃えたり、その後領事館へ婚姻を届けたり、またビザ(在留資格)更新の手続きも。妻は「短期滞在」で来日し、その後「定住者」資格へ切り替え、結婚後は「日本人の配偶者等」、現在は「永住者」へと変わりました。「永住者」になった今はビザの更新が不要となりましたが、それでも海外へ出かける時は事前に「再入国許可」を入国管理局で申請する必要がありますし、渡航国の観光ビザが必要かどうかということを旅行会社から情報を得られないので不便です(その都度、渡航国の在日領事館で問い合わせる必要があります)。

 

一つしか選べない国籍

私たちには二人の子どもがいますが、ブラジルの法律では父か母がブラジル国籍の場合は海外で生まれた場合でも、その子はブラジル国籍を得ることとなります。海外へ出る際には日本人のパスポートとブラジル人のパスポートと両方を持っていかなくてはならない場合もあるので少し注意が必要です。

ちなみに、日本の法律では二〇歳になるまでに国籍を一つ選ばなくてはならないことになっています。その意味では私たちの子どもも将来どちらかの国籍を選ばなくてはならないことになっているのですが、国籍を一つ選択しないといけないというのは問題があります。お父さんの国の国籍かお母さんの国の国籍かを選択しなさいというのは非常に酷な話です。ブラジルの法律では重国籍を認めているので、二〇歳の時に国籍を選択しなさいというのは(日本の法律だけで一方的に裁けるはずもなく)有名無実化しているのですが、法の建て前はいまだに残ったままです。これだけ国際結婚も増えているのだし、制度も国際化に即したものにしてほしいものです。

松井 高 

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