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NIHON BRAZIL YOU-I NET
日本ブラジルゆーあいネット (略称NIBRA:ニブラ)

Ibirapuera_2

 

 (写真) サン・パウロ州 イビラプエラ公園

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2011年3月25日 (金)

東北地方太平洋沖地震関連情報ポルトガル語サイト

東北地方太平洋沖地震に関連したポルトガル語情報を別ページで立ち上げています。ご覧ください。

http://japan20110311.cocolog-nifty.com/blog/

2009年3月 7日 (土)

しが外国籍住民支援ネットワーク

参加団体となりました。活動を応援していきます。

http://gaikokuseki.shiga-saku.net/

2008年9月21日 (日)

ブラジルを知るための日本語サイト

Brasil Criança (領事館)

2008年9月15日 (月)

05年2月号 時間三〇〇円で働く外国籍労働者

時間三〇〇円で働く外国籍労働者

「内職を探している人がいるのだけれど……」知り合いの人から、ある中国人が仕事を探しているという話を聞きました。職場で毎日フルタイムで働いているそうですが、収入が少なく、少しでもお金をつくりたいというのです。

「内職をして毎日数時間働いても一ヶ月で一万円ぐらいの収入にしかならないし、普段の仕事を持っているのなら体を壊すよ」と答えたところ、その人は研修生として働きに来ているということで、正社員同様に働いても一ヶ月の収入はわずか八万円、さらに、そのうち三万円は会社によって強制的に貯金させられているというのです。週あたり四〇時間働いても受け取りはたったの五万円。これでは一時間の労働の対価は三〇〇円にも届きません。しかし驚いたことに、これは違法ではないのです。

研修生として来日する彼らには「研修」という在留資格(ビザ)が与えられ、一年間という期限付き(更新なし)で企業内研修を行うことが許されています。研修といっても他の労働者とさほど変わりない仕事を行うことが多いのですが、その名が語るように就業を目的としたものではないため、最低賃金法の適用対象外となっているのです。

外国人研修制度は外国人技能実習制度とならび、国際協力や国際貢献の一翼を担う国の制度として一九九三年から実施されています。この制度を推進、指導しているのは国際研修協力機構(http://www.jitco.or.jp/)という外郭団体ですが、そこでの制度説明によりますと一年以内と定められた研修期間中、研修生の受入れ機関は「生活実費としての研修手当」を支払うこととなっています。けれどもその金額について明確な規定がないため、結果的に受入れ企業が給与と比べて相当低い手当額しか払わない傾向が強いのです。

制度の本来の目的は「諸外国の青壮年労働者を日本に受け入れ、1年以内の期間に、我が国の産業・職業上の技術・技能・知識の修得を支援すること」にあるのですが、安価な労働力を確保する目的で同制度を利用する企業が多いこともあり、研修生の数はここ数年で急増しています。

法務省が発表している外国人登録者統計(http://www.moj. go.jp/PRESS/040611-1/ 040611-1.html)によりますと、「研修」の在留資格を持った外国人登録者数は平成一一年末に二六、六三〇人だったのが平成一五年末には四四、四六四人と、ここ四年だけでも約一・七倍に膨れ上がっています(研修生の内訳は約九八%がアジア人で、その約七割が中国人)。

「派遣会社が南米人を解雇して中国人などにシフトしてきている」という話を私は何年も前から聞いていました。実際、私の友人が「自分の住んでいる(愛知県の)県営住宅では、今はブラジル人よりも中国人の数の方が多くなっている」と言っていたとおり、その場へ出かけてみて中国人の多さにびっくりしたこともあります。また、派遣会社の人が「ブラジル人では儲からないから、これからは中国人だ」と言っているのを聞いたこともありました。

企業がより安い人件費に価値を置けば置くほど、そこでの倫理観の低下も見られるようになってきています。

今年一〇月一九日付の毎日新聞は、国の研修・技能実習制度に基づき、外国人研修生が企業で働くための受け入れ責任を担う事業協同組合「栃木情報センター」が、公式ホームページ(http://www.toic.net/)上で「安価な労働力」を強調して企業に活用を呼びかけていた、と報じました。同組合のホームページでは「安価な労働力コスト、安定した若手労働力と身分保障された人材確保が可能」「月々一二万円からという低コスト」「国家間の賃金格差の分、比較的低コストの労働力を確保することができます」などと掲載されていたといいます。

ほとんどの企業では支出に占める人件費の割合が高く、経費削減の一環として人件費を見直さざるをえない状況になることもあるかもしれません。しかしながら実際に職務にあたるのは生身の人間です。安ければ安いほど良いという価値観は、人権を無視することにもつながりかねません。たとえ外国籍労働者であろうとも、最低限の生活保障を考えることは企業責任でもあるといえますが、その責任を果たさない事業所は後を絶ちません。

二〇〇三年五月二六日付けの毎日新聞は次のように報じました。

「造船大手の川崎造船(神戸市)の関連会社など二社が、国の外国人研修・技能実習制度で受け入れ、香川県坂出市の工場などで働くフィリピン人実習生に対し、雇用契約書で示した給与の半額以下しか支払っていなかったことが二五日、分かった。両者合わせたこれまでの未払い額は、少なくとも総額二億円程度とみられる。」

フィリピン都市部での平均月収は約一万円。実習生だったフィリピン人男性は、「家族を養わないといけない。娘も学校に通わさないといけないし、彼女の病気を治すお金が必要だった」として来日を決意したといいます。「日本は世界でも有名な工業国で、日本人も平和的で友好的。仕事も頑張ろうと思った」。ところが、その想いは日本への失望へと変わります。

「研修の一年が終わり、実習生になる二年目に入る前に、男性ら実習生は一堂に集められ、ある書類にサインさせられた。会社の担当者は『(書類を)読んではいけない。質問してはいけない。こちらから説明はしない』と話し、サインを要求。書類はすべて日本語。彼らはサインをするしかなかった。その書類は基本給を十五万円とする雇用契約書だった。しかし彼らの給与明細に実際に記載されている数字は時給三〇〇円、残業手当時給五五〇円、深夜手当六〇〇円。明らかに契約書とは違う賃金体系で、時給額は香川県の最低賃金時給(約七六〇円)の半分以下だった。」

最低賃金を遵守しない行為や、逃亡を防止する目的で給与の一部を会社が強制的に貯金させるといった行為が常態化しているという指摘すらあるにも関わらず、現在の制度が抜本的に改善されないのはなぜでしょうか。

坂出市の事件に関連し、六月一三日付の記事は次のように報じています。

「同制度は発展途上国の経済発展を担う『人づくり』に協力するという目的の下、九三年から本格的に運用された。しかし、関係者によると、中小企業団体などから『安い外国人労働力で人手不足を解消させたい』との強い要請があったという。バブル期から日本の三K職場では若者離れが進み、その穴を埋めていたのは不法就労者。『不法就労者は排除したいが、代わりをどうすべきか』。国が頭を痛めながら、企業とともに編み出した“妥協の産物”だったという。……中略……

こうした不正の背景には、同制度の不備がある。まず研修・実習生の待遇の問題だ・来日1年目は研修生として扱われ、『非労働者扱い』。実習生となる二年目からは、雇用契約を結んだ『労働者』扱いとなり、労働基準法などで一応守られる。しかし研修生には給与の規定はなく、企業側が判断した生活実費が支払われるだけ。不当に安い手当が支給されても罰則もない。

また企業側の違法行為が発覚した場合、通常は、入国管理局が「受け入れ不適切」と判断すると、非のない彼らは帰国させられることとなる。

坂出市のケースでは森山真弓法相が一一日に実習継続を検討する旨の異例の国会答弁をしたが、その前の六日には、高松入国管理局の帰国指導が出されていた。実習生らが安易に内部告発できないのも、『表面化すれば結局、帰国しなければならない』という恐怖感が根強いためだ。彼らは技能習得半ばで帰国しても、働き口はほとんどない。」

記事は「入管(法務省)が帰国指導をしても、厚労省は口出しできない。問題が起きた際、実習生らを『保護する』という視点は完全に抜け落ちている」と結んでいます。

日本の国際化はこれまで産業界の要請に基づいてすすめられてきたように思えます。 かつてのバブル景気の時期一九九〇年には「出入国管理及び難民認定法」が改正され、南米などの日系人が「定住者」という在留資格などを有して製造業等の担い手として、とりわけ三K(きつい、きたない、きけん)と呼ばれる職場で合法的に働くことが可能となりました。この時も、産業界から国に対して強い働きかけがあったと言われています。企業にとってみれば、固定給や賞与・社会保険料を負担する必要もなく、忙しい時は何時間でも残業をし、休日でも出勤してくれる日系人の存在は好都合のものだったに違いありません。

日本社会が不景気に突入し「リストラ」という言葉が巷で頻繁に聞かれるようになると、真っ先に解雇対象となったのも南米人などの外国籍労働者でした。大半の事業所では日系人との間に雇用期間を定めた雇用契約書を作成しておらず、会社都合での解雇を簡単に行えたためです。ほとんどの人は退職金もなく、雇用保険未加入なために失業手当も受けられず身一つで放り出されました。また景気の悪化につれて年々時間給の相場も下がっていきました。

一九九九年四月に男女雇用機会均等法の改正と同時に労働基準法が改められ、女性労働者に対する時間外・休日・深夜労働の規制が廃止されると、雇用の分野における男女の均等取扱いと女性の職域の拡大という名のもと、それまで深夜勤務にあたっていた男性外国籍労働者は、より人件費の安い女性外国籍労働者に切り替えられていきました。

そういった流れの延長線上で外国人研修・技能実習制度も国によって創設され、今やニューカマーの主な層は南米系からアジア系へと移ってきています。

 国際化の度合いが国策によって左右されることは、現在の国家間の格差を考えればある程度仕方がないとしても、日本の現在の政策は余りにも経済効果という側面に偏りすぎ、人権への配慮ということがおろそかになっているのではないかと思います。例えば被害者救済という視点。「表面化すれば結局、帰国しなければならない」、その恐怖心をとり内部告発をすすめるためにも、被害者には「特定活動」の在留資格(特別滞在許可)を与え、合法的に日本で滞在できるよう身分を保障すべきだと思いますが、それができないところに現在の施策の限界があります。これは現在の政策の方針を大きく転換させない限り根本的には解決できないことだからです。

 国立社会保障・人口問題研究所(http://www.ipss.go.jp/)が発表した「日本の将来推計人口(平成一四年一月推計)」低位推計によりますと二〇五〇年には現在の人口よりも約三千五百万人程度少ない約九千二百万人にまで減少します。日本人の少子化がこのまま進行し、現在の人口を維持するためにその分をすべて外国籍者に頼るとすれば、毎年約七七万人(この数字は滋賀県の総人口の半数以上にものぼります)もの新たな外国籍住民を必要とします。ところが制度の上でも住民意識の上でも私たちの国際化への対応は遅々としてすすんでいません。

 在日外国籍住民への医療・教育・社会保障などの整備、難民を含め外国人の積極的な受け入れや国内の非正規滞在者への人道的措置、食糧危機・経済格差・環境破壊問題など世界的視野で物事を考えられるような教育への転換など、いずれにおいても日本が開かれた国になっているとは言い難い状況です。

 また研修制度・技能実習制度の問題点もつきつめれば私たちの「内と外」の思想、内には優しく外には冷たいといった考え方にも行きつくかもしれません。「外国人やし仕方ないわな」とか単に「外国人てかわいそうやなあ」と同情するだけで終わっていないでしょうか。この原稿を書いている今、インドネシアのスマトラ沖大地震による津波により死者数は一四万五千人に達しています(一月三日現在)。外での出来事をいつも自分自身の問題として考えられる、そういう人間になりたいものです。

07年10月号 不就学をなくすために

不就学をなくすために

 

外国籍の子どもの不就学、すなわち日本国籍を有しないために教育の義務規定が適用されず、小中学校の就学年齢にありながらいずれの学校へも通っていない状況については、これまで『じんけん(二〇〇七年二月号)』などで述べてきました。

 不就学の状況については、近年まで一部の自治体を除き、その実態がほとんど把握されてきませんでした。そこで文部科学省は「不就学外国人児童生徒支援事業」を創設、平成一七年度から一八年度にかけて一二自治体へ「外国人の子どもの不就学の実態調査を委嘱」し、昨年度には滋賀県も同事業を受託することとなりました。私たちNPOは教育委員会などと連携をとりながら企画立案、調査票や翻訳資料の作成、湖南市における年末年始の戸別訪問調査などに関わってきたわけですが、それらの調査結果が文部科学省からようやく公表されました。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/003/001/012.htm

 その結果、一二自治体の不就学者数合計一一二人のうち滋賀県が過半数以上(五七人)を占め、滋賀県内における状況が特に深刻であることが浮き彫りとなりました。

私たちNPOは県内のネットワークを広げる中で、就学年齢にある子どもたちが工場で働いていたり、家事手伝いや、きょうだいの世話をしたりしている状況について以前から断片的に把握し、そのことを関係機関に訴えてきたのですが、この状況は現在も何ら変わっていません。

 そこで今号では、どのような経過で不就学が生じるのかについて触れながら、状況改善に向けた具体的方策について述べてみます。

(1)初来日以降、不就学となるケース

 日本で暮らす外国籍住民は居住地の役場で外国人登録を行うこととなっています。就学年齢の子どもがいる場合、外国人登録の後すぐに教育委員会へ行ってもらうよう案内することを原則としている自治体が多いようですが、外国人登録窓口の担当者がそのことを伝え忘れたり、登録者がすぐに教育委員会を訪ねなかったり、登録窓口から教育委員会へ就学年齢の子どものデータが送付されなかったり、教育委員会へデータが送付されてもその後しかるべきフォローがされず、子どもの学習環境が把握されないまま放置されたりということが起きています。

就学状況を把握するために、外国人登録証に就学先の記載を求めてはどうかという意見も外国人集住都市会議などで出されていますが、入国管理は必要最低限に、行政サービスは最大限に、という観点からすると、この提言は必ずしも歓迎すべきものではないと私自身は考えています。むしろ、外国人登録窓口と教育委員会との情報伝達にもれがないような工夫、例えば就学年齢の子どもの場合には外国人登録を行う前に教育委員会の受付を済ませてくるなどの方法を行えばいいのではないかと思います。さらに言えば、子どもが転入(入学)を行う際には、外国人登録は必ずしも必要ではないのです。

 

(2)再来日以降、不就学となるケース

 外国籍の人たちが一時帰国する場合、通常、入国管理局で再入国許可の申請を行います。ところが、再入国許可によって帰国した場合、居住実態がなくても外国人登録は役場でそのままとなっているため、再来日したことを関係機関が知ることは難しく、再来日後、不就学が生じてもそのことを把握することが困難だという問題があります。入国管理局は一人ひとりの出入国事実を把握できる立場にあるのですが、先に述べたように、出入国管理と地域行政とは切り離すことが望ましいため、一時帰国に伴う出入国事実について役場が把握できるような工夫をすることが必要だと思います。例えば、帰国前・帰国後に役場で所定の手続きを行えば税の減免を受けられるようにするといったことです。一時帰国であっても外国人登録は役場にそのまま残っているため、長期間に渡って帰国していた場合、再来日の際に過去に遡って税徴収がなされます。そのため、一~二年間も帰国していれば、再来日後に数十万円の国民健康保険税の請求がされるような場合があります。そこで現在でも役場によって、あるいはケースバイケースで一時帰国の間の税の減免措置が講じられています。一時帰国者にとって、税の減免措置によるメリットは非常に大きいため、ルール化さえできれば一時帰国・再入国の状況を役場が把握し、再入国後の子どもへの対応もとりやすくなるのではないでしょうか。

  

(3)日本国内での転居以降、不就学となるケース

 基本的には、(1)や(2)で述べたと同様、転居先の役場がしかるべき対応をとれば子どもの就学状況についての把握が可能です。しかし、転出したことを役場に届け出ていない場合も少なからずあります。その場合、子どもの外国人登録は旧住所のままとなるので、子どもの就学状況について転出先の関係機関が把握することは非常に困難です。この問題を軽減するためには、保護者の勤め先の協力が不可欠です。外国籍者を雇用する場合は本人やその家族が外国人登録を先に済ませるよう、企業が責任を持って行うこと。このことを徹底することで外国人登録の住所地と実際の居住地とのずれを減らすことができます。なぜなら、新しい勤め先が見つからないうちに転居をすることはあまり考えられないためです。

 また、転居に際しては別の問題点もあります。それは、旧住所地で通っていた地域の小中学校や外国人学校に対して本人や家族がネガティブな印象を持っていた場合、転居をきっかけに不就学となることも考えられるからです。このことについては、(4)や(5)の項目で述べます。

(4)日本で地域の小中学校へ通った後、同じ居住地でありながら不就学となるケース

 これは不登校の状態と似通っています。異なるのは、不登校の場合、学籍はそのまま残り続けるのですが、不就学の場合、学籍そのものがなくなってしまうことです。そのような状態に至るには様々な要因があります。

一つには、授業内容がほとんど理解できないために、本人が学習へのモチベーションを失ってしまうこと。この問題を軽減するには、地域の学校へ入る前の基礎的な日本語学習、転入(入学)後のカリキュラムにおける日本語学習や母語(母国語)を介しての学習サポート、放課後や休暇中の学習サポート、学校と本人やその家族とのコミュニケーション促進などを効果的に行っていけるよう取り組みを行う必要があります。

 もう一つは、いじめにあったり、対人関係がうまくいかなかったりすることで、子ども自身が学校の中での居場所を失ってしまうこと。外国籍の子どもへの支援と言うと本人への学習支援が真っ先に頭に浮かびそうですが、子どもにとって学校の中での孤独感、居場所のなさほどつらいものはありません。これまで教育相談を行ってきた私自身の経験から言っても、対人関係のもつれが不登校や不就学の直接のきっかけとなるケースが多いと言えます。人権教育や国際理解教育の充実、子ども同士のコミュニケーションが促進できるようなカリキュラムづくりも必要ではないでしょうか。

 さらに、中学二~三年生ぐらいの年齢の子どもの場合は、就労がきっかけで不登校や不就学へと至ってしまうこと。中学年齢の子どもを就労させる会社の摘発強化や、その年齢での就労が違法であることの啓発を外国籍住民へ行っていくことも必要ですが、それと同時に、子ども自身の居場所づくりが不可欠です。学校を欠席がちとなっている外国籍の子どもに対するサポートがあまりにも不足しているように思えます。

 また、「ブラジル人学校へ転入する」などと言って学籍を外した後、実際にはそこへ通わず不就学となってしまうケースも見受けられます。そもそも、外国人学校は「各種学校」を除けば、日本の法律で「学校」として認められていません。さらに本国の政府からも認可されていなければ、たとえそこを卒業しても、本国ですら学校を卒業したこととして認められません。そのため、地域の小中学校によっては、学籍をその学校に置きつつ、外国人学校への通学を認めているところもあります。そうすることにより、日本でも本国でも正式に学歴・卒業資格として通用し、進学も容易となるからです。また、地域の小中学校へ学籍を置くことによって、学校を通じての家庭訪問なども可能となり、その後の子どもの教育環境の把握も容易となります。

 

(5)日本で外国人学校へ通った後、不就学となるケース

 これについても、内容については(4)と同様のことが起こっています。日本での生活が長期化している子どもたちにとっては、母国語の理解も難しくなりつつあるでしょうし、必ずしも対人関係がうまくいくとは限りません。しかし外国人学校の場合、子ども同士、子どもと教員、保護者同士、保護者と学校などのコミュニケーションがとりやすいため、自助努力で問題を解決できる環境にあると言えます。むしろ、学校をやめてしまう主たる原因は、経済的理由によるものです。外国人学校は現行法では(各種学校を除けば)私塾扱いなので、公的援助は一切ありません。ゆえに保護者の学費負担は重く、月謝は子ども一人につき四~五万円前後となっています。そのため、親が解雇されることなどをきっかけに学費を支払うことが難しくなり、そのまま不就学となってしまうケースも想定されます。

子どもの教育環境を把握するためには、外国人学校へ通っている子どもの状況について、公的機関が定期的に情報を得る必要があります。外国人学校の関係者の中には、自分たちが子どもの個人情報を公開することに抵抗感を持つ人もいますが、すべての子どもに学習機会を保障するためには、関係機関の情報交換は不可欠です。守られるべきことは子どもの最善の利益なのですから。

 

07年8月号 外国籍住民への行政サービスについて

外国籍住民への行政サービスについて

 私は現在、草津市、栗東市、守山市でポルトガル語による行政相談を行っています。行政相談と言っても、主たる仕事はポルトガル語の通訳や翻訳なので、私自身は専門相談員ではありません。しかし私に限らず、このような行政相談を行う人たちには、何をすべきか、自ら考えて行動しなければならないことが多くあります。

 例えば、「生活が苦しいので税金を減額してもらうことはできませんか?」という相談があったとします。単に通訳だと割り切って税務課で言葉通りに伝えると、「税金は前年度の所得に基づいて課税されるので、減額することはできません」という回答になります。けれども、税務課へ向かう前に「役に立てないかもしれませんが、どうして経済的に困っているのか話していただけませんか?」と話を切り出してみると、相談者の生活の様子が分かり、その人のニーズに即した対応ができることもあります。

 例えば、「最近会社から解雇されてしまった。妻は働いているが、小学生の子どもと就学前の子どもを養わないといけないし、本国の家族への仕送りや、高い家賃も払わないといけないので税金を払うだけの余裕がない」という話を聞いたとしましょう。

 まず、住民税の減額は原則的にできないのですが、住民税が何に基づいて決まるかと言えば、前年度の所得(国民健康保険税の場合は「給与所得控除後の給与の額」)です。そのため、相談者が年末調整や確定申告の際に正しい申告をしたかどうかを確認することが必要となります。外国籍の人たちの場合、税金のシステムについての知識も乏しいため、扶養や社会保険料(国民健康保険税など)などの申告漏れが多いのです。本国へ仕送りをしているという話から、本国で暮らしている家族が被扶養者となっているかを確認する必要があります。また、仕送り先の同居家族しか被扶養者に入れることができないと考えている人もいますが、仕送りの受取人が別居している親戚などの生計を支えているような場合(例えば、本国の父に仕送りし、父が別居している収入のない叔父・叔母のために送金をしている場合)、叔父・叔母も被扶養者として申告することが可能です。確定(修正)申告のためには、必要な書類を本国から取り寄せたり若干の手間はかかりますが、被扶養者を正しく申告することで、月々の給与から控除される所得税が減額となったり、所得税の還付を(五年前までさかのぼって)受けられたり、住民税や保育料が減額となったり、家計を助ける上でのメリットは非常に大きいと言えます。

 子育ての費用に関しては、児童手当の申請ができているかどうか確認する必要があります。と言うのも、児童手当の受給年齢が小学六年生の三月まで延期されていることを知らない人もいるためです。こういった情報は広報に掲載されたり、郵送で通知されたりするのですが、日本語で書かれた文書では何が書かれているか分からず、未申請のままとなっていることもあるのです。さらに、低所得世帯(住民税非課税世帯など)に限定はされますが、就学援助費を受けることもできます。

 失業時の税金の減額ということは余程のことがないと難しいですが、再就職するまでの間の税金の支払いを猶予や、月々の支払額を減額して支払いを順送りにするという方法はあります。というのも、現在失業しているのであればその年の収入が減り、次年度に税額が減額されるという見通しも持てるからです。また、再就職先については、ハローワークで外国人向けの相談(通訳)日を設けているので、参考までに連絡先を渡した方が良いかもしれません。

 また、家賃の負担が重たいということであれば、県営住宅と市(町)営の住宅についても情報提供する必要がありそうです。現状は狭き門となっていますが、家庭の状況と運(?)次第では入居できる可能性もないとは言えないからです。

 その他、一時的な借り入れについては少額ですが、社会福祉協議会などで(無利子での)小口貸付制度などもありますし、歳末助け合い募金による年末一時金などが受け取れる場合もあります。

 そのように、行政通訳といえども施策などについての様々な知識が要求されるのですが、一人の相談員だけでこれらの相談の応対をしている場合、その相談員が交代した途端に相談機能が低下してしまう恐れがあります。また、相談員に知恵を貸してくれる担当職員が仮にいたとしても、人事異動で担当職員が次々と変わってしまい、相談窓口としてのノウハウが蓄積されないという問題があるのです。

 それを解決するためには、役場内に総合相談窓口を創設することが必要だと私自身は思っています。大きな病院の中には、何科を受診したらいいか分からない人のために総合的な診療を初めに行い、そこでの診療をもとに必要な診療科へ案内するという流れを作っておられるところもありますが、役場内においても総合相談から個別窓口の相談へという流れを備えておくべきだと感じています。この仕事を始めるまで私自身もよく知らなかったのですが、役場内には実は数多くの専門相談員が関わっています。嘱託としてどこかの部署に配属されている場合もありますし、社会福祉協議会など半公半民のような団体が専門職の人(弁護士や税理士など)を招いて相談日を設けているような場合もあります。

 けれども、外国籍の人に限らず、日本人でも自分の求める部署や相談機関へなかなかたどりつけないことがあるのです。役場は住民へのサービスを提供する最大機関の一つです。だとすれば、相談者の視点に立った組織作りは急務ではないでしょうか。

 

問題解決を図ろうとする姿勢

 市役所へ相談に来るということは時としてとても勇気のいることだと思います。簡単に解決できることであれば、平日わざわざ市役所へ足を運ぶことはないでしょう。けれども、同じ相談を受けながら、いつまでも問題が未解決のままになっているということもよくあります。

 例えば早朝保育について考えてみましょう。

 「七時一五分から保育園で子どもを見ていただくことはできませんか?」

 南米の方たちのほとんどは工場で働いているのですが、工場の就業時間は早く、日勤の場合、通常午前八時までにはそれぞれの持ち場についていなければなりません。職場で服を着替える必要があったり、外国籍の人たちの多く(特に女性)は自家用車を持っていないので移動手段は自転車や送迎バスなどになったりしてしまいます。自宅や職場の近くに保育園があるとも限りません。逆算すれば、七時一五分頃でないと仕事に間に合わないということになるのですが、この一五分がどうにもならないことが多いのです。

「七時半からしか受け入れができないことになっています。」

「では、どうしたらいいのですか?」

「でも、他の皆さんでも七時半からということになっていますから。」

 そんなやりとりが毎年毎年繰り返されます。就労する両親を支援するのが保育園の役割であるにもかかわらず、この一五分のために就労を断念せざるをえないことも起こるのです。近年、夕方から夜にかけての保育時間は延長されてきているようですが、両親ともに工場労働者という日本人家庭は少ないのか、早朝保育だけは時間の繰り上げがなかなかすすまないようです。同じ質問を受けて、いつまでも「それはできません」と繰り返し言い続ける私たちもつらい気持ちになります。

 また、実態よりも書面優先ということも実務レベルではよく起こっています。

 例えば、「夫と別居しているし、離婚もしたいのだけれど、離婚する費用もないし、子どもが小さいのであまり働くこともできない」というような相談の場合です。

 役場の中では母子家庭に対する支援はかなり手厚くなっています(児童扶養手当、医療費扶助、公営住宅への優先入居など)。ところが、生活の困窮状況が分かる場合であっても、書面上では離婚していないために、いずれの制度も利用できないということが起こっています。日本人同士であれば役場へ離婚届を提出するだけで離婚が成立しますが、ブラジルなど原則的に離婚を認めていない国では、弁護士を介してしか離婚手続きは行えないようになっています。日本で離婚手続きを行おうとすれば、多額の費用をブラジル人弁護士へ支払わなくてはならず、手付けだけでも三十万円以上は必要と言われています。そもそも多額の離婚費用の支払いに快く応じてくれるような夫であれば、離婚することもないかもしれません。

 役場の窓口の人は「正式に離婚しないと母子家庭にはならないので、母子の福祉制度を利用することはできません」と言います。けれども、残された妻や子どもへの救済措置がないというのはあまりにも不条理です。いつまでも同じ相談を受け、いつまでも同じ回答を繰り返すよりも、相談者のニーズに応えられるように、制度を見直すことはできないものだろうか、と考えてしまいます。

多様化する住民ニーズへの対応

 

 「子どもが高熱を出していて病院へ連れて行きたい。通訳をお願いできませんか?」

 我が家にはこんな電話が時々かかってきます。役場の相談窓口では、医療に関する相談はほとんどありません。けれども、それはニーズが少ないということを表しているわけではありません。外国籍の人たちにとって、病院は間違いなくコミュニケーションが最も難しい場所の一つです。日本人ですらお医者さんが言っていることが分かりにくいぐらいですから、外国籍の人たちにとってはなおさらです。

 ところが、滋賀県在住の外国籍者の半数は南米の人であるにもかかわらず、その主要言語であるポルトガル語やスペイン語での医療現場の応対は一向にすすんでいません。誰でも、いつでも、どこでも安心できる医療システムの確立が目指されているにもかかわらず、病院での通訳配置、医療電話相談、医療通訳の派遣制度、救急時の外国語マニュアル、薬剤についての翻訳など、他府県で取り組まれている事業のいずれも滋賀県では行われていません。医療は時として命にも関わる大きな問題で、何らかの行政施策がなければ課題解決は難しいことです。にもかかわらず、ほとんどの役場にはそれに対応する部署すらありません。

行政相談を行っていると、そういった問題も時として持ち込まれます。「それは、こちらの相談業務で扱っている内容ではありません」と言うことは簡単です。けれども、相談者からすれば「では、どこに相談すればいいのでしょうか?」ということになってしまいます。

 幅広い住民ニーズに耳を傾け、必要な情報を収集・提供したり、課題解決に向けた新たな措置を図ったりする行政サービスを期待したいものです。

終わりに

  相談事業を通じて思っていること、感じていることなどを述べてきましたが、組織を作るのが人である以上、最終的には私自身も含めて、そこで働く一人ひとりの姿勢が問われているのだと思っています。

 「できません」「分かりません」と言うことは簡単です。けれども、身勝手な相談でもない限り、相談者の人と一緒になって課題解決の方法を探ろうという気持ちだけは持ち続けたいものです。

外国籍の人たちへの行政サービスを考える際には、日本人と同様のサービス提供を行えているか、日本人と同様にサービスへアクセスできるよう配慮がなされているか、という二つのポイントが重要となります。けれでも、難しいことを学ぶまでもなく、大切なことはひと言で表すことができます。

それは「思いやり」です。

自分が同じような立場だったらどう思うだろうか、どう感じるだろうか、想像力を働かすことで一人ひとりがすべき行動は見えてくるのではないでしょうか。

2008年9月 3日 (水)

ポルトガル語講座

   ポルトガル語で遊ぼう!

 ポルトガル語をゼロから始める大人のための入門講座です。基礎的な会話練習や覚えておくと便利な表現の他、アルファベチザサウン(ブラジルで就学前の子どもたち向けに行われている学習)や書き取り練習、ブラジルの遊びの紹介、ブラジルや在日ブラジル人に関するニュースなどにも触れながら、一緒に楽しく勉強しましょう!

日時 (毎週金曜日午後7時半~9時) ※当面の予定   
9/19 9/26 10/3 10/10 10/17 10/24 10/31 (日程途中からの参加も可)

場所  おうみ多文化共生支援センターSHIPS

講師 LEA H.C.F. MATSUI

費用 1回につき1,500円  ※その他資料代等として初回のみ1,000円

連絡先 E-mail takashi-lea@hotmail.co.jp または FAX 077-554-9884 (松井)

2008年8月31日 (日)

リンク集(滋賀県内)

草津市コミュニティ事業団  

おうみ多文化共生支援センター「SHIPS」

2008年3月18日 (火)

07年6月号 ブラジルのインディオ

ブラジルのインディオ

インディオの起源は今から約四万年前に遡ります。氷河期だった当時、世界の大陸の大部分は雪と氷で覆われていました。アジアで生活をしていた人類は食べ物を求めての大移動を余儀なくされ、東シベリアへ、さらには氷で覆われて陸続きとなっていたベーリング海峡をアラスカへと渡り、北米や南米の温かな気候の地に適合していったと考えられています。
ジャングルの密林の中では同じ種族であっても部族間の接触がほとんどなかったために、長い年月とともに各々の言語や文化は独自性をさらに強め、ポルトガル人がブラジルを「発見」した西暦一五〇〇年には、ブラジル全土で約一〇〇〇部族、三〇〇万から五〇〇万もの先住民が暮らしていたと思われます。
インディオという言葉は、インドの人という意味です。探検者たちがブラジルを
インドと勘違いし、インドの人を表すインディオという名称を勝手につけてしまったのであって、彼らにとっては迷惑な言葉に違いありません。そのため、この言
葉を使うのは好ましいことではないのですが、すでにブラジル社会でも定着した言葉となっているので、ここではインディオとはヨーロッパ人にアメリカ大陸が「見」される以前に、その地に住んでいた先住民及びその子孫のことだということにしておきましょう。

 様変わりするインディオ社会

 平和に暮らしていたインディオの生活はポルトガル人の侵略によって様変わりします。ある者たちは虐殺され、ある者たちは強制的に労働に従事させられ、また白人(インディオは非インディオの人たちを白人と呼んでいます)との混血もすすんでいきました。概して言えば、沿岸部や開拓地域ほど白人との関係は濃厚なものとなり、人口密度の低い地域や奥地ほど白人社会からの影響を回避してきたと言えます。
 その結果、インディオ社会は、白人との接触がいまだにないインディオ(集落の跡などから現在少なくとも約五四部族が確認されている)、白人と断続的にしか接触を持っていないインディオ、白人との接触が比較的多く、自分たちの生活様式を守りつつも、都市部などで生産される品々を生活の中に取り入れているインディオ、白人との接触が日常的で、都市部などで生活基盤を持つインディオの四つに類別されるようになりました。
 ブラジルで暮らすインディオの総数は現在約七五万人ですが、半数以上のインディオはすでにインディオ集落から離れて暮らしており、旧来の生活様式を保っているのは残りの約三五万人のみです。サン・パウロ州などを含め、今でもブラジル全土でインディオが生活していますが、大半の部族はアマゾン地域に集中しています。いまだにアマゾン地域のことはよく分かっておらず、私たちが知らない部族がさらに多くあると言われています。

 インディオの文化

 さて、インディオというと、皆が似たり寄ったりの生活をしていると思われがちですが、実際はその部族によって、宗教、言語、定住性、住居、食べ物、農業、衣服、踊り、祭り、儀式、婚姻など、その文化や価値観は多様性に富んでいます。例えば言語に関しては、二〇〇年程前までトゥピ語がブラジル全土で最も多く使われていた(ポルトガル人がトゥピ語の使用を禁じる法律を作ったため、その後はポルトガル語の普及がすすんだ)ものであるため有名ですが、それ以外にも約一七〇もの異なる言語が現在も存在しています。そのため、幾つかの言語を知っていないと部族間のコミュニケーンをとることすら難しいという状況が起こってきます。居住場所についても、定住性の強いインディオ部族もあれば頻繁に集落を移動する部族もありますし、中には馬を主たる移動手段に使っている部族もあります。住居についても、一家族ごとに一つの家を作る部族もあれば、大きな家を一つだけ作り、そこで六五~八五人もの人たちが共同生活している部族もあります。婚姻についても一夫多妻制の部族もあればその逆もあり、女性が男性に求婚するのが常となっている部族もあります。
 しかし、インディオすべてに共通して言える特徴もあります。それは自然との調和を何よりも大切にし、そこで得られたものは皆で平等に分配し、富の蓄えを目的に自然のものを浪費することは決してないということです。インディオは自然に対する豊かな知識を有し、畏敬の念を持ちながら暮らしています。
 住居、カヌー、弓、矢、陶器、かご、ハンモック、飾りなど生活に必要なものはすべて自然の中にあるものから作り出します。これは子どもも同様で、遊びに使われるものはすべて自然の中にあるものばかりです。ゴムの木やツタからボールを作り、大きめの葉っぱから折り紙を作り、楽器や人形、コマ、ペテッカ、編み物などあらゆるものが自然から作り出されます。
 インディオの生活は子どもたちにとって最高の遊び環境で、遊ぶ材料には事欠きません。木の枝などに何かをぶら下げてはジャンプ遊びをし、石をわらと羽根でくるんだペテッカ(トゥピ語で「叩く」という意味)を手のひらで叩いて遊び、ツタを使ってあやとりをし、かくれんぼ、鬼ごっこ、竹馬、こままわし、なわとび、綱引き、川での水遊びなどをしながら日々を過ごします。
 そして、遊ぶときはいつも他の子どもたちと一緒です。すべての子どもが同じ遊びを知っていて、誰かが新しい遊びを始めると、すぐに他の子どもたちに伝えていきます。おもちゃについても同様で、誰かが新しいおもちゃを手にすると、他の子たちも同じものを手にし始めます。けれども、おもちゃを作るのは大抵、両親です。刃物を使って丁寧におもちゃを作ってくれる大人の姿を見ているので、子どもたちはおもちゃを大切に扱い、少々壊れることがあってもそれを修理していつまでも使い続けます。
 また、子どもたちは遊びながら学び、学びながら遊びます。例えば、子どもたちの大好きなものに狩り遊びというものがあります。子どもたちが二チームに分かれて、一チームは狩人に、別のチームは獲物になります。最初に獲物のチームが林の中に入って隠れ、しばらくたってから狩人のチームが獲物を探しに出かけます。獲物が全員見つかったらチームの役割交代です。また、一人がひょうたんを引っ張り走り回ると、他の子たちは小さな弓の矢でひょうたんの的あてを始めます。子どもたちは川遊びが大好きですが、水遊びは筋力を鍛えるのに最適です。さらにこんな遊びもあります。
 二人一組でチームを作り、一人がパートナーを肩車します。対戦するチームも同様に肩車し、水の中で相手チームの肩車されている子どもをつき落とした方が勝ちという遊びです。これは日本でもおなじみの遊びですね。
 大人の仕事に子どもたちが一緒についていくこともよくあります。男の子は小さな弓と矢を持って父親と一緒に狩りに出かけます。女の子は小さな器を頭にのせて母親と一緒に水汲みへ出かけます。子どもたちは途中で退屈になって遊び出すこともありますが、そのことが大人から咎められることはありません。インディオ社会では高齢者は語り手、若者は家族の養い手、子どもは世界の中心と言われています。ある探険家の話によると、村の火事を引き起こした子どもですら叱られることはなかったといいます。大人は辛抱強く、良いことと悪いことを子どもたちへ教えていき、子どもたちは集会など大人たちのどんな活動にも一緒に参加でき、大人のすることを見て、真似ることで社会性を身につけていきます。
 大人もまた、仕事以外の時間は子どもと一緒に過ごし、友だちとおしゃべりをし、飾り物を作ったり、踊ったり歌ったりしながら過ごします。白人にとっては、働くことはお金を得るための手段です。けれどもインディオにとっての財産は富を蓄えることではなく、豊かな人間性を磨くことです。うそをつかず、けんかをせず、言い争いをせず、周りとの調和を何よりも大切にする心がインディオ社会では尊ばれています。

 インディオの祭りに丸太かつぎ競争というものがあります。幾つかのチームに分かれてリレーを行うのですが、インディオは勝ち負けにはこだわりません。そのため、いつも相手チームと同じペースで走り、全員が同時にゴールします。インディオ社会ではお互いの協力、調和こそが何よりも大切にされるのです。

 インディオ社会の危機

 インディオにとって大地は誰の所有物でもありません。大地は偉大なる母であり、インディオは大地の子だといいます。母である大地が彼らに食物を与え、命を与え、生活に必要なものすべてを与えてくれる、また、大地は死者のすみかであり、すべての魂が宿る所だといいます。大地は生きとし生けるものすべてにとっての場だというインディオの考え方と、富を築くために土地を自分たちの所有物にしようとする白人との間には、今まで絶えず闘いが起こってきました。
 しかしながら、インディオは年の経過とともに、より狭い土地での生活を余儀なくされ、一五〇〇年当初にブラジル全土で約三〇〇万人から五〇〇万人いたインディオは現在約三五万人、同じく約一〇〇〇あった部族は現在約二〇〇部族へと落ち込み、ほとんどの部族が消滅することとなってしまいました。
 インディオの生活は現在も様々な要因によって脅かされています。主なものとしては森林伐採、鉱山採掘、砂金採集、道路建設、水力発電所建設、異常気象による影響、白人によってもたらされる(自然界には存在しない)病気などです。森林が伐採され大型の道路建設が進み、採掘によって川は汚され、そこに生息していた動植物が姿を消し、かつての楽園が破壊され、また今も破壊されつつあります。苦しくなる生活の中で、中には(騙された)インディオ自らがお金のために環境を破壊する行為に加担してしまうこともあるそうです。土地が荒廃し、狩りの獲物が森から姿を消し、自然の中に豊かにあった食物が減り、最近では飢えに苦しむインディオ部族すら出てきています。
 そのような中、人権意識の高まりとともに、インディオ社会も次第に政治への参加の度合いを強めてきました。その願いが明文化されたものの一つが一九八八年に制定されたブラジル憲法です。同憲法は「インディオのすべての土地は五年以内に境界確定すること」と謳いました。インディオの居住地は一九六一年のシングー国立公園以降「インディオ保護区」として境界確定されるようになりました。インディオの生活の場が脅かされないよう措置が図られ、医師、学者、調査員、報道記者など一部の人に対してしか同区への立ち入りが許可されないようになっています。
 しかし、憲法制定から二〇年近くたった今も、インディオ保護区として指定された場所は限られています。インディオの暮らす土地への不法な森林伐採や密猟などが相次ぐだけではなく、鉱脈の調査、道路建設、新たな水力発電所の建設などが連邦政府によって許可され、人権を擁護すべき機関そのものが人権の侵害に加担しているようなこともあるようです。
 かつてはお互いにほとんど接触がなかったインディオ部族同士も最近は連携を強めて協会などを立ち上げ、インディオ社会から国会議員が輩出するに至っています。けれども、道のりはまだまだこれからです。
 そしてまた、経済的観点においても、あるいは環境的観点においても、私たち日本人もインディオの生活と無縁ではありません。私たちの生活私たちがどう暮らすかによって、インディオの生活が豊かになるのか貧しくなるかが決まってくるのです。

(参考文献)
Daniel Munduruku. Histórias de Índio. São Paulo,
Companhia das Letrinhas, 1996

Daniel Munduruku. Coisas de Índio. São Paulo, Callis, 2003

Maurício de Sousa. Manual do Índio do Papa-Capim. São Paulo, Globo, 2002

2008年3月17日 (月)

07年4月号 「多文化共生」について考える

「多文化共生」について考える  

 滋賀県内にはブラジル人学校が少なくとも六つあります。少なくともと言うのは小規模校が自然発生的に生まれているため、私たちが把握していない学校もあるように思えるからなのですが、これらは一般の私塾と同様に何らの財政支援もないため、どこも満足な設備を持っているとは言えません。
 そんな中、あるブラジル人学校の先生が次のようなことを話されました。「学校の中では体を動かすようなスペースがないので学校外の場所でそういった活動をすることになるが、近くの公園は使ったらダメと言われる」「近くにある自動販売機で飲み物を買うのもダメと言われる」。理由は分からないけれども、近隣の人からそんなことを言われるというのです。

  「多文化共生」という言葉

 最近よく「多文化共生」という言葉を耳にするようになりました。この言葉は一九九五年の阪神淡路大震災の際の外国籍者への支援活動の中から生まれた言葉のようですが、今では役所や人権教育機関などでも使われるようになり、社会的に認知される言葉となりつつあります。 この言葉はしばしば「社会」という言葉と結びつき、「多文化共生社会を築きましょう」などと使われますが、これはどのような社会を意味するのでしょうか?
 「共生」とは単に、同じ地域に暮らすという意味ではありません。そうだとすれば、日本ではすでに多様な文化的背景を持った人たちが暮らしているわけですし、「共生社会」はすでに実現していることとなってしまいます。また、「共生」を「共に生きる」というように解釈しても、その意味は、いまひとつよく分かりません。
 そもそも「多文化共生」は造語であって辞書に載っている言葉ではありません。「多文化共生」に似た言葉で多文化主義というのはありますが、これに関しては広辞苑に次のように書かれています。「一つの国・社会に複数の民族・人種などが存在するとき、それらの異なった文化の共存を積極的に認めようとする立場」。だとすると、「多文化共生」についても、むしろ私たちの暮らしの中での関係のあり方を問う言葉だと言えそうです。
 「共生」という単語を調べてみると、実はこれは生物学で使われている言葉だということが分かります。広辞苑には「異種の生物が行動的・生理的な結びつきをもち、一所に生活している状態」とあります。その例としてよく引き合いに出されるのが、ヤドカリとイソギンチャクの関係です。また、「ヤドカリとイソギンチャク」の関係は小学四年生の教科書(東京書籍)でも題材として取り上げられているということを最近知りました。教科書では「共生」という言葉は使われていませんが、「共生」の意味について非常によく分かると思うので少し引用させていただきます。
 「ヤドカリのなかまで、さんご礁に多いソメンヤドカリは、貝がらにイソギンチャクを付けて歩き回っています。観察してみると、ソメンヤドカリは、たいてい二つから四つのベニヒモイソギンチャクを、貝がらの上に付けています。」……「イソギンチャクのしょく手は、何かがふれるとはりがとび出す仕組みになっています。そのはりで、魚やエビをしびれさせて、えさにするのです。タコや魚はこのことをよく知っていて、イソギンチャクに近づこうとはしません。それで、ヤドカリは、イソギンチャクを自分の貝がらにつけることで、敵から身を守ることができるのです。」……「ヤドカリに付いていないベニヒモイソギンチャクは、ほとんど動きません。ですから、えさになる魚やエビが近くにやってくるのを待つしかありません。しかし、ヤドカリに付いていれば、いろいろな場所に移動することができるので、その結果、えさをとる機会が増えます。また、ヤドカリに付いていると、ヤドカリの食べ残しをもらうこともできるのです。」……「ヤドカリとイソギンチャクは、このように、たがいに助け合って生きているのです。」
 つまり、様々な文化的背景を持った人たちがお互いに尊重し合い、助け合っていく、そのような関係を「多文化共生」といい、その考え方に基づいた社会が「多文化共生社会」だと言えそうです。 「日本人」「外国人」という見方  「皆が仲良く暮らせられればいいのに。」そんな簡単なことであっても、なぜか私たちには難しいことのようです。その原因となるのが「偏見」や「先入観」といったものだからです。
 例えば、ちょうど今から一年程前、長浜で幼稚園児が殺害される事件がありましたが、加害者はたまたま中国籍の人でした。その事件直後、いつものように私が息子を保育園へ迎えに行ったときのことです。同じクラスの女の子が突然、「たけしくん(私の息子の名まえ)のお母さん、外国人なん?」と尋ねてきました。こんな幼い年齢の子どもから「外国人」という言葉を聞いたのは初めてでした。【加害者は中国人】→【中国人は外国人】→【たけしくんのお母さんも外国人】という流れの話がその女の子の家であり、それを聞いていた女の子が言葉の意味もよく分からずに使ったのでしょうが、「日本人」と「外国人」という二者択一的なイメージを植えつけている大人社会が悲しく思えました。
 上の子が保育園に通っていたときも、同じようなことがありました。ある時、うちの子どもが「パパ、ぼくは外国人なん?」と突然尋ねてきたのです。
 「何で?」と尋ねると、「(実習に来ていた中学生の子が)おまえ、外国人やな」と言ってきたそうです。うちの子はそれまで「外国人」という言葉を聞いたことがなかったので「なんでぼくが外国人なん?」と聞き返したところ、「髪の毛の色が違うから外国人や」と言われたというのです。
 けれどもこういった体験は、国際結婚をした家庭ではよくあることのようです。ある家族の人からこんな話を聞いたこともあります。「公園で子どもを遊ばせていたら、その公園に来ていた別の子どもと、うちの子との間にけんかが起こった。でも、相手の子がうちの子を見た途端『なんや、外国人なんか?』と言ってけんかをやめてしまった」。
 人権学習の中では、「外人」という呼び方は差別的な意味があるから「外国人」と呼びましょう、ということが言われています。けれども、私には「外人」も「外国人」も大差がないように思えます。「外国人」という言い方であっても、当事者あるいは当事者家族は時と場合によって、自分たちだけ疎外されているように感じるものだからです。
 保育園で上の子が「外国人」と呼ばれたことがあった時には、私と妻はすぐに保育園へ行き、「今後もし同じようなことを見かけたら、『外国人ではなしに、この子の名まえは〔たけし〕くんだよ』と言ってほしい」と先生にお願いしました。うちの子どもが「自分は周りの子どもたちとは違うんだ」という疎外感を持つことのないようにというだけではなく、「日本人」と「外国人」と人を二つに分けて考えること自体が周りの子どもたちにとっても良くないと思ったためです。
 「日本人」「外国人」という見方ではなしに、一人ひとりが違った名まえや性格を持っているようにすべての人をみてほしい、そんな風に私たちは願っているのです。
 しかし、「日本人」と「外国人」という画一的な見方は教育現場でも広がっているように思います。 ある学校の先生が「うちの学校には外国人の子どもがいないから国際理解教育が難しい」と言っていたのを聞いたことがあります。
 クラスの中に外国籍の子どもがいると、その子の国のことや文化などをその子に発表してもらう授業を行ったりすることもあるようですが、こういった授業はややもすると「日本人」と「外国人」という二者択一的な見方を助長しかねません。

ちがいが尊重される社会へ  

 共生の例として先にあげたヤドカリとイソギンチャクの話を「日本人」と「外国人」とに置き換えてみて、「日本人と外国人がお互いに助け合っていきましょうね」などというと非常に理解しやすいかもしれませんが、「ヤドカリとイソギンチャク」と「日本人と外国人」の関係とは根本的に違います。
 例えば、国際結婚をして生まれた子どもは「日本人」か「外国人」かどちらでしょうか?また、両親が「外国人」であったとしても、生まれてきた子どもが日本で育ち成人になるとすれば、その子は「外国人」として生きるべきなのか、帰化をして「日本人」として生きるべきなのか?
 こうして、多くの子どもたちが自分のアイデンティティについて思い悩むこととなります。  うちの子どもは日本とブラジルとの二重国籍者です。父である私が日本人であるために日本の法律によって子どもが日本の国籍を取得し、母である私の妻がブラジル人であるためにブラジルの法律によって子どもがブラジルの国籍を取得したため、好むと好まざるに関わらず結果的に二重国籍となったのです。まさに「ヤドカリ」であると同時に「イソギンチャク」でもあるような存在です。
 そのため、例えば日本からブラジルへ行く際には、子どもは日本を出国する際には日本のパスポートを持って「日本人」として、ブラジルへ入国する際にはブラジルのパスポートを持って「ブラジル人」としてその地を踏むというおかしな現象も出てきています。
 つまり、はっきりと両者が異質なものである「ヤドカリ」「イソギンチャク」との関係と、「日本人」「外国人」との関係とは同一に語られるべきものではなく、「多文化共生社会」という考え方の中でも「日本人」と「外国人」とが対比的に捉えられるべきものではありません。 考えてみると、「多文化共生」という表現を用いる時、Aという文化とBという文化は異質なものだということが前提としてあります。けれども、私たちの文化は複雑に織り成され、同じ国や同じ民族であってもそこでの価値観は多岐に渡っています。十人十色という言葉がありますが、「あゆみちゃん」、「パウロくん」、「ただしくん」、「ローザちゃん」、それぞれが固有の名まえを持っているのと同様、私たちは六五億人六五億色です。その一人ひとりが違った個性を持っているし、それをわざわざ「Aという文化を持っている人」「Bという文化を持っている人」というように分けて考える必要もないと思うのです。
 むしろ問題なのは、今の社会が多様なちがいを受け入れているかどうかです。一方が他方に考え方を押し付けているようなことは起こっていないでしょうか? 
 「ここではこうしないとダメ」といった考えは、結局、私たちの暮らしを息苦しくさせるだけのものです。心の面でも制度の面でも、多様なちがいに対応できる社会になってほしいものです。

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