ブラジルのインディオ
インディオの起源は今から約四万年前に遡ります。氷河期だった当時、世界の大陸の大部分は雪と氷で覆われていました。アジアで生活をしていた人類は食べ物を求めての大移動を余儀なくされ、東シベリアへ、さらには氷で覆われて陸続きとなっていたベーリング海峡をアラスカへと渡り、北米や南米の温かな気候の地に適合していったと考えられています。
ジャングルの密林の中では同じ種族であっても部族間の接触がほとんどなかったために、長い年月とともに各々の言語や文化は独自性をさらに強め、ポルトガル人がブラジルを「発見」した西暦一五〇〇年には、ブラジル全土で約一〇〇〇部族、三〇〇万から五〇〇万もの先住民が暮らしていたと思われます。
“インディオ”という言葉は、インドの人という意味です。探検者たちがブラジルを
インドと勘違いし、インドの人を表す“インディオ”という名称を勝手につけてしまったのであって、彼らにとっては迷惑な言葉に違いありません。そのため、この言
葉を使うのは好ましいことではないのですが、すでにブラジル社会でも定着した言葉となっているので、ここでは“インディオ”とはヨーロッパ人にアメリカ大陸が「発見」される以前に、その地に住んでいた先住民及びその子孫のことだということにしておきましょう。
様変わりするインディオ社会
平和に暮らしていたインディオの生活はポルトガル人の侵略によって様変わりします。ある者たちは虐殺され、ある者たちは強制的に労働に従事させられ、また白人(インディオは非インディオの人たちを“白人”と呼んでいます)との混血もすすんでいきました。概して言えば、沿岸部や開拓地域ほど白人との関係は濃厚なものとなり、人口密度の低い地域や奥地ほど白人社会からの影響を回避してきたと言えます。
その結果、インディオ社会は、①白人との接触がいまだにないインディオ(集落の跡などから現在少なくとも約五四部族が確認されている)、②白人と断続的にしか接触を持っていないインディオ、③白人との接触が比較的多く、自分たちの生活様式を守りつつも、都市部などで生産される品々を生活の中に取り入れているインディオ、④白人との接触が日常的で、都市部などで生活基盤を持つインディオの四つに類別されるようになりました。
ブラジルで暮らすインディオの総数は現在約七五万人ですが、半数以上のインディオはすでにインディオ集落から離れて暮らしており、旧来の生活様式を保っているのは残りの約三五万人のみです。サン・パウロ州などを含め、今でもブラジル全土でインディオが生活していますが、大半の部族はアマゾン地域に集中しています。いまだにアマゾン地域のことはよく分かっておらず、私たちが知らない部族がさらに多くあると言われています。
インディオの文化
さて、インディオというと、皆が似たり寄ったりの生活をしていると思われがちですが、実際はその部族によって、宗教、言語、定住性、住居、食べ物、農業、衣服、踊り、祭り、儀式、婚姻など、その文化や価値観は多様性に富んでいます。例えば言語に関しては、二〇〇年程前までトゥピ語がブラジル全土で最も多く使われていた(ポルトガル人がトゥピ語の使用を禁じる法律を作ったため、その後はポルトガル語の普及がすすんだ)ものであるため有名ですが、それ以外にも約一七〇もの異なる言語が現在も存在しています。そのため、幾つかの言語を知っていないと部族間のコミュニケーンをとることすら難しいという状況が起こってきます。居住場所についても、定住性の強いインディオ部族もあれば頻繁に集落を移動する部族もありますし、中には馬を主たる移動手段に使っている部族もあります。住居についても、一家族ごとに一つの家を作る部族もあれば、大きな家を一つだけ作り、そこで六五~八五人もの人たちが共同生活している部族もあります。婚姻についても一夫多妻制の部族もあればその逆もあり、女性が男性に求婚するのが常となっている部族もあります。
しかし、インディオすべてに共通して言える特徴もあります。それは自然との調和を何よりも大切にし、そこで得られたものは皆で平等に分配し、富の蓄えを目的に自然のものを浪費することは決してないということです。インディオは自然に対する豊かな知識を有し、畏敬の念を持ちながら暮らしています。
住居、カヌー、弓、矢、陶器、かご、ハンモック、飾りなど生活に必要なものはすべて自然の中にあるものから作り出します。これは子どもも同様で、遊びに使われるものはすべて自然の中にあるものばかりです。ゴムの木やツタからボールを作り、大きめの葉っぱから折り紙を作り、楽器や人形、コマ、ペテッカ、編み物などあらゆるものが自然から作り出されます。
インディオの生活は子どもたちにとって最高の遊び環境で、遊ぶ材料には事欠きません。木の枝などに何かをぶら下げてはジャンプ遊びをし、石をわらと羽根でくるんだペテッカ(トゥピ語で「叩く」という意味)を手のひらで叩いて遊び、ツタを使ってあやとりをし、かくれんぼ、鬼ごっこ、竹馬、こままわし、なわとび、綱引き、川での水遊びなどをしながら日々を過ごします。
そして、遊ぶときはいつも他の子どもたちと一緒です。すべての子どもが同じ遊びを知っていて、誰かが新しい遊びを始めると、すぐに他の子どもたちに伝えていきます。おもちゃについても同様で、誰かが新しいおもちゃを手にすると、他の子たちも同じものを手にし始めます。けれども、おもちゃを作るのは大抵、両親です。刃物を使って丁寧におもちゃを作ってくれる大人の姿を見ているので、子どもたちはおもちゃを大切に扱い、少々壊れることがあってもそれを修理していつまでも使い続けます。
また、子どもたちは遊びながら学び、学びながら遊びます。例えば、子どもたちの大好きなものに狩り遊びというものがあります。子どもたちが二チームに分かれて、一チームは狩人に、別のチームは獲物になります。最初に獲物のチームが林の中に入って隠れ、しばらくたってから狩人のチームが獲物を探しに出かけます。獲物が全員見つかったらチームの役割交代です。また、一人がひょうたんを引っ張り走り回ると、他の子たちは小さな弓の矢でひょうたんの的あてを始めます。子どもたちは川遊びが大好きですが、水遊びは筋力を鍛えるのに最適です。さらにこんな遊びもあります。
二人一組でチームを作り、一人がパートナーを肩車します。対戦するチームも同様に肩車し、水の中で相手チームの肩車されている子どもをつき落とした方が勝ちという遊びです。これは日本でもおなじみの遊びですね。
大人の仕事に子どもたちが一緒についていくこともよくあります。男の子は小さな弓と矢を持って父親と一緒に狩りに出かけます。女の子は小さな器を頭にのせて母親と一緒に水汲みへ出かけます。子どもたちは途中で退屈になって遊び出すこともありますが、そのことが大人から咎められることはありません。インディオ社会では高齢者は語り手、若者は家族の養い手、子どもは世界の中心と言われています。ある探険家の話によると、村の火事を引き起こした子どもですら叱られることはなかったといいます。大人は辛抱強く、良いことと悪いことを子どもたちへ教えていき、子どもたちは集会など大人たちのどんな活動にも一緒に参加でき、大人のすることを見て、真似ることで社会性を身につけていきます。
大人もまた、仕事以外の時間は子どもと一緒に過ごし、友だちとおしゃべりをし、飾り物を作ったり、踊ったり歌ったりしながら過ごします。白人にとっては、働くことはお金を得るための手段です。けれどもインディオにとっての財産は富を蓄えることではなく、豊かな人間性を磨くことです。うそをつかず、けんかをせず、言い争いをせず、周りとの調和を何よりも大切にする心がインディオ社会では尊ばれています。
インディオの祭りに丸太かつぎ競争というものがあります。幾つかのチームに分かれてリレーを行うのですが、インディオは勝ち負けにはこだわりません。そのため、いつも相手チームと同じペースで走り、全員が同時にゴールします。インディオ社会ではお互いの協力、調和こそが何よりも大切にされるのです。
インディオ社会の危機
インディオにとって大地は誰の所有物でもありません。大地は偉大なる母であり、インディオは大地の子だといいます。母である大地が彼らに食物を与え、命を与え、生活に必要なものすべてを与えてくれる、また、大地は死者のすみかであり、すべての魂が宿る所だといいます。大地は生きとし生けるものすべてにとっての場だというインディオの考え方と、富を築くために土地を自分たちの所有物にしようとする白人との間には、今まで絶えず闘いが起こってきました。
しかしながら、インディオは年の経過とともに、より狭い土地での生活を余儀なくされ、一五〇〇年当初にブラジル全土で約三〇〇万人から五〇〇万人いたインディオは現在約三五万人、同じく約一〇〇〇あった部族は現在約二〇〇部族へと落ち込み、ほとんどの部族が消滅することとなってしまいました。
インディオの生活は現在も様々な要因によって脅かされています。主なものとしては森林伐採、鉱山採掘、砂金採集、道路建設、水力発電所建設、異常気象による影響、白人によってもたらされる(自然界には存在しない)病気などです。森林が伐採され大型の道路建設が進み、採掘によって川は汚され、そこに生息していた動植物が姿を消し、かつての楽園が破壊され、また今も破壊されつつあります。苦しくなる生活の中で、中には(騙された)インディオ自らがお金のために環境を破壊する行為に加担してしまうこともあるそうです。土地が荒廃し、狩りの獲物が森から姿を消し、自然の中に豊かにあった食物が減り、最近では飢えに苦しむインディオ部族すら出てきています。
そのような中、人権意識の高まりとともに、インディオ社会も次第に政治への参加の度合いを強めてきました。その願いが明文化されたものの一つが一九八八年に制定されたブラジル憲法です。同憲法は「インディオのすべての土地は五年以内に境界確定すること」と謳いました。インディオの居住地は一九六一年のシングー国立公園以降「インディオ保護区」として境界確定されるようになりました。インディオの生活の場が脅かされないよう措置が図られ、医師、学者、調査員、報道記者など一部の人に対してしか同区への立ち入りが許可されないようになっています。
しかし、憲法制定から二〇年近くたった今も、インディオ保護区として指定された場所は限られています。インディオの暮らす土地への不法な森林伐採や密猟などが相次ぐだけではなく、鉱脈の調査、道路建設、新たな水力発電所の建設などが連邦政府によって許可され、人権を擁護すべき機関そのものが人権の侵害に加担しているようなこともあるようです。
かつてはお互いにほとんど接触がなかったインディオ部族同士も最近は連携を強めて協会などを立ち上げ、インディオ社会から国会議員が輩出するに至っています。けれども、道のりはまだまだこれからです。
そしてまた、経済的観点においても、あるいは環境的観点においても、私たち日本人もインディオの生活と無縁ではありません。私たちの生活私たちがどう暮らすかによって、インディオの生活が豊かになるのか貧しくなるかが決まってくるのです。
(参考文献)
Daniel Munduruku. Histórias de Índio. São Paulo,
Companhia das Letrinhas, 1996
Daniel Munduruku. Coisas de Índio. São Paulo, Callis, 2003
Maurício de Sousa. Manual do Índio do Papa-Capim. São Paulo, Globo, 2002
「多文化共生」について考える
滋賀県内にはブラジル人学校が少なくとも六つあります。少なくともと言うのは小規模校が自然発生的に生まれているため、私たちが把握していない学校もあるように思えるからなのですが、これらは一般の私塾と同様に何らの財政支援もないため、どこも満足な設備を持っているとは言えません。
そんな中、あるブラジル人学校の先生が次のようなことを話されました。「学校の中では体を動かすようなスペースがないので学校外の場所でそういった活動をすることになるが、近くの公園は使ったらダメと言われる」「近くにある自動販売機で飲み物を買うのもダメと言われる」。理由は分からないけれども、近隣の人からそんなことを言われるというのです。
「多文化共生」という言葉
最近よく「多文化共生」という言葉を耳にするようになりました。この言葉は一九九五年の阪神淡路大震災の際の外国籍者への支援活動の中から生まれた言葉のようですが、今では役所や人権教育機関などでも使われるようになり、社会的に認知される言葉となりつつあります。 この言葉はしばしば「社会」という言葉と結びつき、「多文化共生社会を築きましょう」などと使われますが、これはどのような社会を意味するのでしょうか?
「共生」とは単に、同じ地域に暮らすという意味ではありません。そうだとすれば、日本ではすでに多様な文化的背景を持った人たちが暮らしているわけですし、「共生社会」はすでに実現していることとなってしまいます。また、「共生」を「共に生きる」というように解釈しても、その意味は、いまひとつよく分かりません。
そもそも「多文化共生」は造語であって辞書に載っている言葉ではありません。「多文化共生」に似た言葉で多文化主義というのはありますが、これに関しては広辞苑に次のように書かれています。「一つの国・社会に複数の民族・人種などが存在するとき、それらの異なった文化の共存を積極的に認めようとする立場」。だとすると、「多文化共生」についても、むしろ私たちの暮らしの中での関係のあり方を問う言葉だと言えそうです。
「共生」という単語を調べてみると、実はこれは生物学で使われている言葉だということが分かります。広辞苑には「異種の生物が行動的・生理的な結びつきをもち、一所に生活している状態」とあります。その例としてよく引き合いに出されるのが、ヤドカリとイソギンチャクの関係です。また、「ヤドカリとイソギンチャク」の関係は小学四年生の教科書(東京書籍)でも題材として取り上げられているということを最近知りました。教科書では「共生」という言葉は使われていませんが、「共生」の意味について非常によく分かると思うので少し引用させていただきます。
「ヤドカリのなかまで、さんご礁に多いソメンヤドカリは、貝がらにイソギンチャクを付けて歩き回っています。観察してみると、ソメンヤドカリは、たいてい二つから四つのベニヒモイソギンチャクを、貝がらの上に付けています。」……「イソギンチャクのしょく手は、何かがふれるとはりがとび出す仕組みになっています。そのはりで、魚やエビをしびれさせて、えさにするのです。タコや魚はこのことをよく知っていて、イソギンチャクに近づこうとはしません。それで、ヤドカリは、イソギンチャクを自分の貝がらにつけることで、敵から身を守ることができるのです。」……「ヤドカリに付いていないベニヒモイソギンチャクは、ほとんど動きません。ですから、えさになる魚やエビが近くにやってくるのを待つしかありません。しかし、ヤドカリに付いていれば、いろいろな場所に移動することができるので、その結果、えさをとる機会が増えます。また、ヤドカリに付いていると、ヤドカリの食べ残しをもらうこともできるのです。」……「ヤドカリとイソギンチャクは、このように、たがいに助け合って生きているのです。」
つまり、様々な文化的背景を持った人たちがお互いに尊重し合い、助け合っていく、そのような関係を「多文化共生」といい、その考え方に基づいた社会が「多文化共生社会」だと言えそうです。 「日本人」「外国人」という見方 「皆が仲良く暮らせられればいいのに。」そんな簡単なことであっても、なぜか私たちには難しいことのようです。その原因となるのが「偏見」や「先入観」といったものだからです。
例えば、ちょうど今から一年程前、長浜で幼稚園児が殺害される事件がありましたが、加害者はたまたま中国籍の人でした。その事件直後、いつものように私が息子を保育園へ迎えに行ったときのことです。同じクラスの女の子が突然、「たけしくん(私の息子の名まえ)のお母さん、外国人なん?」と尋ねてきました。こんな幼い年齢の子どもから「外国人」という言葉を聞いたのは初めてでした。【加害者は中国人】→【中国人は外国人】→【たけしくんのお母さんも外国人】という流れの話がその女の子の家であり、それを聞いていた女の子が言葉の意味もよく分からずに使ったのでしょうが、「日本人」と「外国人」という二者択一的なイメージを植えつけている大人社会が悲しく思えました。
上の子が保育園に通っていたときも、同じようなことがありました。ある時、うちの子どもが「パパ、ぼくは外国人なん?」と突然尋ねてきたのです。
「何で?」と尋ねると、「(実習に来ていた中学生の子が)おまえ、外国人やな」と言ってきたそうです。うちの子はそれまで「外国人」という言葉を聞いたことがなかったので「なんでぼくが外国人なん?」と聞き返したところ、「髪の毛の色が違うから外国人や」と言われたというのです。
けれどもこういった体験は、国際結婚をした家庭ではよくあることのようです。ある家族の人からこんな話を聞いたこともあります。「公園で子どもを遊ばせていたら、その公園に来ていた別の子どもと、うちの子との間にけんかが起こった。でも、相手の子がうちの子を見た途端『なんや、外国人なんか?』と言ってけんかをやめてしまった」。
人権学習の中では、「外人」という呼び方は差別的な意味があるから「外国人」と呼びましょう、ということが言われています。けれども、私には「外人」も「外国人」も大差がないように思えます。「外国人」という言い方であっても、当事者あるいは当事者家族は時と場合によって、自分たちだけ疎外されているように感じるものだからです。
保育園で上の子が「外国人」と呼ばれたことがあった時には、私と妻はすぐに保育園へ行き、「今後もし同じようなことを見かけたら、『外国人ではなしに、この子の名まえは〔たけし〕くんだよ』と言ってほしい」と先生にお願いしました。うちの子どもが「自分は周りの子どもたちとは違うんだ」という疎外感を持つことのないようにというだけではなく、「日本人」と「外国人」と人を二つに分けて考えること自体が周りの子どもたちにとっても良くないと思ったためです。
「日本人」「外国人」という見方ではなしに、一人ひとりが違った名まえや性格を持っているようにすべての人をみてほしい、そんな風に私たちは願っているのです。
しかし、「日本人」と「外国人」という画一的な見方は教育現場でも広がっているように思います。 ある学校の先生が「うちの学校には外国人の子どもがいないから国際理解教育が難しい」と言っていたのを聞いたことがあります。
クラスの中に外国籍の子どもがいると、その子の国のことや文化などをその子に発表してもらう授業を行ったりすることもあるようですが、こういった授業はややもすると「日本人」と「外国人」という二者択一的な見方を助長しかねません。
ちがいが尊重される社会へ
共生の例として先にあげたヤドカリとイソギンチャクの話を「日本人」と「外国人」とに置き換えてみて、「日本人と外国人がお互いに助け合っていきましょうね」などというと非常に理解しやすいかもしれませんが、「ヤドカリとイソギンチャク」と「日本人と外国人」の関係とは根本的に違います。
例えば、国際結婚をして生まれた子どもは「日本人」か「外国人」かどちらでしょうか?また、両親が「外国人」であったとしても、生まれてきた子どもが日本で育ち成人になるとすれば、その子は「外国人」として生きるべきなのか、帰化をして「日本人」として生きるべきなのか?
こうして、多くの子どもたちが自分のアイデンティティについて思い悩むこととなります。 うちの子どもは日本とブラジルとの二重国籍者です。父である私が日本人であるために日本の法律によって子どもが日本の国籍を取得し、母である私の妻がブラジル人であるためにブラジルの法律によって子どもがブラジルの国籍を取得したため、好むと好まざるに関わらず結果的に二重国籍となったのです。まさに「ヤドカリ」であると同時に「イソギンチャク」でもあるような存在です。
そのため、例えば日本からブラジルへ行く際には、子どもは日本を出国する際には日本のパスポートを持って「日本人」として、ブラジルへ入国する際にはブラジルのパスポートを持って「ブラジル人」としてその地を踏むというおかしな現象も出てきています。
つまり、はっきりと両者が異質なものである「ヤドカリ」「イソギンチャク」との関係と、「日本人」「外国人」との関係とは同一に語られるべきものではなく、「多文化共生社会」という考え方の中でも「日本人」と「外国人」とが対比的に捉えられるべきものではありません。 考えてみると、「多文化共生」という表現を用いる時、Aという文化とBという文化は異質なものだということが前提としてあります。けれども、私たちの文化は複雑に織り成され、同じ国や同じ民族であってもそこでの価値観は多岐に渡っています。十人十色という言葉がありますが、「あゆみちゃん」、「パウロくん」、「ただしくん」、「ローザちゃん」、それぞれが固有の名まえを持っているのと同様、私たちは六五億人六五億色です。その一人ひとりが違った個性を持っているし、それをわざわざ「Aという文化を持っている人」「Bという文化を持っている人」というように分けて考える必要もないと思うのです。
むしろ問題なのは、今の社会が多様なちがいを受け入れているかどうかです。一方が他方に考え方を押し付けているようなことは起こっていないでしょうか?
「ここではこうしないとダメ」といった考えは、結局、私たちの暮らしを息苦しくさせるだけのものです。心の面でも制度の面でも、多様なちがいに対応できる社会になってほしいものです。
(教育関連) Yahoo Educação / Guia Infantil
(医療関連) 保健省
Clinária (Mais Você)
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この原稿を書いている年末年始(一二月二九日~三一日・一月四日~七日)、私たちインターナショナル滋賀は湖南市で「不就学外国人児童生徒(子ども)実態調査」を行っています。
訪問する子どもの総数は七四人(対象宅は六六戸)。電話番号などは事前にほとんど分からないため、何度訪問しても留守だったり、戸別訪問が深夜まで及んだりと、活動はなかなか思うようにはかどっていませんが、今回はこの調査をすることとなったいきさつについて述べたいと思います。
不就学に関する現状
外国籍の子どもたちの不就学に関しては、二〇〇五年六月号と二〇〇五年八月号の『じんけん』でも触れていますので詳細はそちらをご覧いただくとして、ここでは現状について簡単に触れるだけとします。
日本国憲法第二六条には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」とあります。しかし、日本国民ではない外国籍の子どもたちの場合、この義務規定は適用されず、日本政府も「我が国に在住する外国籍又は無国籍の児童には就学義務はないが希望すれば、同様の機会が与えられている」という見解を示しているのみです。
その結果、本人や家族が希望しなければ小中学校就学年齢にありながら学習機会を失ってしまう事態、すなわち「不就学」が生じているのです。
これに対して私たちは、国籍に関係なくすべての子どもたちに学習機会を提供すべきだという立場をとっています。
二〇〇六年一二月三〇日付の中日新聞は、岐阜県内の人材派遣会社二社が、一三~一五歳の日系ブラジル人男女一二人を工場で働かせていたとして、労働基準監督署から労働基準法違反として是正勧告を受けたと報じました。子どもたちは「学校の日本語の授業が理解できなくてつまらない。家計を助けたかった」と言っていたといいます。
児童労働は遠い海外での出来事ではなくて、まさに私たちの身の周りで起こっていることなのです。滋賀県においても不就学の状況に関しては、二〇〇五年四月六日付の毎日新聞・滋賀版(『日系三世のブラジル人少女、中学中退-工場で働き家計を援助』)や二〇〇五年一一月一四日付の京都新聞・滋賀版(『見えない進路 生活費助ける中学生 授業ほとんど分からず』)が記事を報じています。
「学校全体が嫌い。外国人に『アホ、ボケ』とか言うねん。」「目の色や髪の毛をからかう生徒の声に心を痛めた」「中学校に、心を許せる日本人の友達はいない」「『外国人は帰れ』と言われることもある」、そんな状況の中、子どもたちは時に仕事でくたびれて帰ってくる両親に代わって掃除や洗濯、夕食の支度を行い、「お金が必要。お母さんを助けなくちゃいけないの」などと、家計を助けるために働き始めるようになると記事は述べています。
保護者が悪いとか学校が悪いとかいうことではなく、子どもたちが今の社会の犠牲になっている現実があり、だからこそ私たちは、不就学の状況を放置しておくことは子どもたちに対する重大な人権侵害だと考えているのです。
事業受託にいたるまで
不就学の状況は中学年齢の子どもだけに限ったことではありません。「たとえ日本政府がどのような見解を持とうとも、子どもたちの現実をしっかり見て、しかるべき対策を一刻も早く講じてほしい」、不就学実態調査を滋賀県で行ってほしいという私たちの願いはそのようなところからきています。
しかし「予算がない」といった理由や、県へ話にいけば「それは市町で取り組むべき課題」、市町へ行けば「それは県で取り組むべき課題」などといった理由で、私たちの願いはこれまで叶えられることはありませんでした。
そのような中、外国籍の人たちの労働、医療、教育などの生活課題の改善に向け、私たちは県内のネットワークづくりの必要性を痛感し、二〇〇二年一二月にインターナショナル滋賀の準備委員会を発足、二〇〇四年四月に任意団体として正式にスタートしました。
不就学に関する現状についても当初から県内各地での情報交換を行い、二〇〇五年五月には長浜市で大学の研究協力という形で調査に参加。ブラジル人が集住しているアパートなどを一戸ずつ訪問し、一四歳でありながら平日はずっと家で家事を行っているという子どもの保護者から、「日本の学校に入れるのが怖い。周囲のブラジル人から、日本の学校に行くとひどい目にあうと聞いている。だから娘を学校には通わせていない」などといった声を聞いていました(詳細は『じんけん』二〇〇五年八月号)。
これらの情報交換や独自調査などを踏まえ、二〇〇五年六月には近江八幡市で、「外国籍の子どもの教育環境」と題して人権研修会を開催。「外国人の子どもの教育環境に関する実態調査」として本格的な戸別訪問調査を行われた岐阜県可児市から講師の方をお招きし、戸別訪問調査の必要性や調査を通じて見えてきた子どもたちの現状などについて、さらに認識を深めることができました。
一方、文部科学省は平成一七年(二〇〇五年)度に「不就学外国人児童生徒支援事業」を新規創設。「①就学実態の把握及び不就学の要因分析、②就学を支援するための取組を実施する」ことを目的とした施策を開始し、初年度には、群馬県太田市、長野県飯田市、静岡県掛川市、静岡県浜松市、静岡県富士市、岐阜県美濃加茂市、愛知県岡崎市、三重県四日市市、大阪市、神戸市、大阪府豊中市、兵庫県姫路市の一二自治体が選定されました。
この時滋賀県では残念ながら受託自治体がありませんでしたが、同年八月五日に行われた私たちインターナショナル滋賀と県教育委員会との話し合いの場の中で、次年度は事業を受託できるよう県として前向きに取り組む方向性が示されました。
私たちNPOは不就学に関する情報交換を進めるとともに、教育に関する新たなネットワーク組織「外国にルーツを持つ子どもの教育と人権ネットワーク滋賀(以下、略して「がるきょんネット」という)」を二〇〇六年二月一六日に結成(※現在の構成団体はインターナショナル滋賀、近江八幡外国籍市民ネットワーク、クルーベ・クルミン、GRUPO IPE、子どもくらぶ「たんぽポ」、NIBRA、在日外国人教育を考える会滋賀、ハムケモイジャ、ワールド・アミーゴ・クラブ)。教育課題に対して協同して取り組むことや、外国籍の子どもの就学状況等について各市町教育委員会への聞き取り調査を行うことなどを決定しました。
二〇〇六年三月二八日には、がるきょんネットとして初めて滋賀県教育委員会と会合。外国にルーツをもつ子どもの教育状況改善へ向けた抜本的な取り組みについての意見交換の一つとして、不就学状況の調査について協働で取り組むことの重要性を認識しあうことができました。
事業受託から戸別訪問調査まで
六月には不就学外国人児童生徒支援事業を滋賀県が新規受託(同年、その他の新規受託自治体は愛知県豊田市のみ)。文部科学省の同事業の要綱では実施主体は市町村教育委員会となっていましたが、「外国籍住民が集住している地域に限定せず県全体として問題への取り組みを行ってほしい」という私たちの願いに応える形で、県教育委員会が文科省と折衝され、滋賀県に関しては唯一、県レベルでの事業受託が認められることとなりました。
またそれに先駆け、五月二六日の私たちと県教育委員会との話し合いの中で、不就学調査や小中学校へ入る前の初期的な日本語学習などを行っておられる「ばら教室KANI」など先駆的な取り組みをしておられる岐阜県可児市への視察の話が持ち上がり、六月二六日には県教育委員会、県国際課、県国際協会、そして私たち合同で可児市へ出かけ、研修機会を持つことができました。
八月四日に行った県教育委員会とがるきょんネットとの会議では、今回の調査は就学支援に向けた取り組みの一環として行うものだという共通認識を再確認した後、①何らかの学校に在籍しているかどうか、②在籍しているとすればどこの市町の学校に在籍しているか、③それはどのような種類の学校か(例:日本の公立学校、外国人学校など)の三つの質問に絞った調査票を多言語で作成し、県内全域の各市町教育委員会を通じて予備調査を行うことが決まりました。
八月の第二週には各市町教育委員会へ同調査票の配布が終了し、九月の第二週には各市町教育委員会から県教育委員会への報告をしていただくこととなっていましたが、各市町での予備調査が思うように進まなかったため、次に県教育委員会と私たちとの間で話し合いの場を設けられたのは一〇月二〇日と、大幅に当初予定よりずれ込んでしまいました。
その会議開催への準備に平行して、文部科学省から送付された「不就学外国人児童生徒(子ども)実態調査項目」に基づき、①外国人登録から子どもの氏名、国籍、生年月日、住所などを拾い出すための「個人登録票(1枚目)」、②個人登録票(1枚目)に基づいて戸別訪問調査を行い、訪問日時、居住実態などを記入する「個人登録票(2枚目)」、③戸別訪問によって聞き取りを行い、その内容を記入する「質問票(全部で4頁)」の三種類の記入用紙を作成しました。
この時点では、各市町から寄せられた報告をベースに県内全域での戸別訪問調査の可能性も検討していました。しかし、九月一日時点での小中学校就学年齢の外国人登録者数一五八五人(在日韓国・朝鮮人児童生徒を除く)のうち「学区内に住所があるが公立学校に在籍していない人数」はその約四割にあたる六三〇人、また、再調査が必要な子どもの総数は二一八人、調査区域は一三市町にまたがるという結果が出たため、県内全域での調査を断念し、地域を絞って戸別訪問調査を行うこととなりました。
いざ戸別訪問調査を行おうとなると、個人の情報公開や、事前の資料作成、調査の趣旨理解と協力体制の確保など、地元教育委員会の全面的なバックアップなしには行えません。これに関しては県教育委員会が市町教育委員会と個別に交渉され、最終的に湖南市で集中的に戸別訪問調査を行うことが決まりました。
また実際の戸別訪問に関しては、インターナショナル滋賀が窓口となってスタッフの取りまとめを行うこととなり、一二月六日には県教育委員会、湖南市教育委員会との打ち合わせ会議を行いました。
その会議を受けてタイムスケジュールなどを検討していましたが、調査の対象宅の大半である南米国籍の人たちに関しては、残業時間が長いために毎日の帰宅時間が遅かったり勤務形態も不規則だったりという傾向があることを考え、年末年始を中心に戸別訪問調査を行うことを県・湖南市教育委員会に打診することとしました。
年末でお互いに忙しい中で急遽このような計画を考えましたが、年末年始の調査時の拠点確保(湖南市役所庁舎内の会議室開放)、同期間内における職員の出勤、迅速な決裁など多くの便宜を図っていただくことができ、一二月二七日には最終の打ち合わせを三者(県・市教育委員会と私たち)で持つことができました。
現在行っている調査の中では、中学校就学年齢に限らず、小学校就学年齢であっても全く就学していない子どものいることが分かりました。また、調査を通じて、保護者の方々の就労状況や、ブラジル人学校(※法的には「学校」とはみなされていません)が果たしている役割の重要性についても再認識させられました。調査結果については、機会があればここでもいつか書かせていただきますが、子どもたちの教育状況の改善が一刻も早く、全県的に行われることを望んでやみません。
松井 高
この原稿を書いている年末年始(一二月二九日~三一日・一月四日~七日)、私たちインターナショナル滋賀は湖南市で「不就学外国人児童生徒(子ども)実態調査」を行っています。
訪問する子どもの総数は七四人(対象宅は六六戸)。電話番号などは事前にほとんど分からないため、何度訪問しても留守だったり、戸別訪問が深夜まで及んだりと、活動はなかなか思うようにはかどっていませんが、今回はこの調査をすることとなったいきさつについて述べたいと思います。
不就学に関する現状
外国籍の子どもたちの不就学に関しては、二〇〇五年六月号と二〇〇五年八月号の『じんけん』でも触れていますので詳細はそちらをご覧いただくとして、ここでは現状について簡単に触れるだけとします。
日本国憲法第二六条には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」とあります。しかし、日本国民ではない外国籍の子どもたちの場合、この義務規定は適用されず、日本政府も「我が国に在住する外国籍又は無国籍の児童には就学義務はないが希望すれば、同様の機会が与えられている」という見解を示しているのみです。
その結果、本人や家族が希望しなければ小中学校就学年齢にありながら学習機会を失ってしまう事態、すなわち「不就学」が生じているのです。
これに対して私たちは、国籍に関係なくすべての子どもたちに学習機会を提供すべきだという立場をとっています。
二〇〇六年一二月三〇日付の中日新聞は、岐阜県内の人材派遣会社二社が、一三~一五歳の日系ブラジル人男女一二人を工場で働かせていたとして、労働基準監督署から労働基準法違反として是正勧告を受けたと報じました。子どもたちは「学校の日本語の授業が理解できなくてつまらない。家計を助けたかった」と言っていたといいます。
児童労働は遠い海外での出来事ではなくて、まさに私たちの身の周りで起こっていることなのです。滋賀県においても不就学の状況に関しては、二〇〇五年四月六日付の毎日新聞・滋賀版(『日系三世のブラジル人少女、中学中退-工場で働き家計を援助』)や二〇〇五年一一月一四日付の京都新聞・滋賀版(『見えない進路 生活費助ける中学生 授業ほとんど分からず』)が記事を報じています。
「学校全体が嫌い。外国人に『アホ、ボケ』とか言うねん。」「目の色や髪の毛をからかう生徒の声に心を痛めた」「中学校に、心を許せる日本人の友達はいない」「『外国人は帰れ』と言われることもある」、そんな状況の中、子どもたちは時に仕事でくたびれて帰ってくる両親に代わって掃除や洗濯、夕食の支度を行い、「お金が必要。お母さんを助けなくちゃいけないの」などと、家計を助けるために働き始めるようになると記事は述べています。
保護者が悪いとか学校が悪いとかいうことではなく、子どもたちが今の社会の犠牲になっている現実があり、だからこそ私たちは、不就学の状況を放置しておくことは子どもたちに対する重大な人権侵害だと考えているのです。
事業受託にいたるまで
不就学の状況は中学年齢の子どもだけに限ったことではありません。「たとえ日本政府がどのような見解を持とうとも、子どもたちの現実をしっかり見て、しかるべき対策を一刻も早く講じてほしい」、不就学実態調査を滋賀県で行ってほしいという私たちの願いはそのようなところからきています。
しかし「予算がない」といった理由や、県へ話にいけば「それは市町で取り組むべき課題」、市町へ行けば「それは県で取り組むべき課題」などといった理由で、私たちの願いはこれまで叶えられることはありませんでした。
そのような中、外国籍の人たちの労働、医療、教育などの生活課題の改善に向け、私たちは県内のネットワークづくりの必要性を痛感し、二〇〇二年一二月にインターナショナル滋賀の準備委員会を発足、二〇〇四年四月に任意団体として正式にスタートしました。
不就学に関する現状についても当初から県内各地での情報交換を行い、二〇〇五年五月には長浜市で大学の研究協力という形で調査に参加。ブラジル人が集住しているアパートなどを一戸ずつ訪問し、一四歳でありながら平日はずっと家で家事を行っているという子どもの保護者から、「日本の学校に入れるのが怖い。周囲のブラジル人から、日本の学校に行くとひどい目にあうと聞いている。だから娘を学校には通わせていない」などといった声を聞いていました(詳細は『じんけん』二〇〇五年八月号)。
これらの情報交換や独自調査などを踏まえ、二〇〇五年六月には近江八幡市で、「外国籍の子どもの教育環境」と題して人権研修会を開催。「外国人の子どもの教育環境に関する実態調査」として本格的な戸別訪問調査を行われた岐阜県可児市から講師の方をお招きし、戸別訪問調査の必要性や調査を通じて見えてきた子どもたちの現状などについて、さらに認識を深めることができました。
一方、文部科学省は平成一七年(二〇〇五年)度に「不就学外国人児童生徒支援事業」を新規創設。「①就学実態の把握及び不就学の要因分析、②就学を支援するための取組を実施する」ことを目的とした施策を開始し、初年度には、群馬県太田市、長野県飯田市、静岡県掛川市、静岡県浜松市、静岡県富士市、岐阜県美濃加茂市、愛知県岡崎市、三重県四日市市、大阪市、神戸市、大阪府豊中市、兵庫県姫路市の一二自治体が選定されました。
この時滋賀県では残念ながら受託自治体がありませんでしたが、同年八月五日に行われた私たちインターナショナル滋賀と県教育委員会との話し合いの場の中で、次年度は事業を受託できるよう県として前向きに取り組む方向性が示されました。
私たちNPOは不就学に関する情報交換を進めるとともに、教育に関する新たなネットワーク組織「外国にルーツを持つ子どもの教育と人権ネットワーク滋賀(以下、略して「がるきょんネット」という)」を二〇〇六年二月一六日に結成(※現在の構成団体はインターナショナル滋賀、近江八幡外国籍市民ネットワーク、クルーベ・クルミン、GRUPO IPE、子どもくらぶ「たんぽポ」、NIBRA、在日外国人教育を考える会滋賀、ハムケモイジャ、ワールド・アミーゴ・クラブ)。教育課題に対して協同して取り組むことや、外国籍の子どもの就学状況等について各市町教育委員会への聞き取り調査を行うことなどを決定しました。
二〇〇六年三月二八日には、がるきょんネットとして初めて滋賀県教育委員会と会合。外国にルーツをもつ子どもの教育状況改善へ向けた抜本的な取り組みについての意見交換の一つとして、不就学状況の調査について協働で取り組むことの重要性を認識しあうことができました。
事業受託から戸別訪問調査まで
六月には不就学外国人児童生徒支援事業を滋賀県が新規受託(同年、その他の新規受託自治体は愛知県豊田市のみ)。文部科学省の同事業の要綱では実施主体は市町村教育委員会となっていましたが、「外国籍住民が集住している地域に限定せず県全体として問題への取り組みを行ってほしい」という私たちの願いに応える形で、県教育委員会が文科省と折衝され、滋賀県に関しては唯一、県レベルでの事業受託が認められることとなりました。
またそれに先駆け、五月二六日の私たちと県教育委員会との話し合いの中で、不就学調査や小中学校へ入る前の初期的な日本語学習などを行っておられる「ばら教室KANI」など先駆的な取り組みをしておられる岐阜県可児市への視察の話が持ち上がり、六月二六日には県教育委員会、県国際課、県国際協会、そして私たち合同で可児市へ出かけ、研修機会を持つことができました。
八月四日に行った県教育委員会とがるきょんネットとの会議では、今回の調査は就学支援に向けた取り組みの一環として行うものだという共通認識を再確認した後、①何らかの学校に在籍しているかどうか、②在籍しているとすればどこの市町の学校に在籍しているか、③それはどのような種類の学校か(例:日本の公立学校、外国人学校など)の三つの質問に絞った調査票を多言語で作成し、県内全域の各市町教育委員会を通じて予備調査を行うことが決まりました。
八月の第二週には各市町教育委員会へ同調査票の配布が終了し、九月の第二週には各市町教育委員会から県教育委員会への報告をしていただくこととなっていましたが、各市町での予備調査が思うように進まなかったため、次に県教育委員会と私たちとの間で話し合いの場を設けられたのは一〇月二〇日と、大幅に当初予定よりずれ込んでしまいました。
その会議開催への準備に平行して、文部科学省から送付された「不就学外国人児童生徒(子ども)実態調査項目」に基づき、①外国人登録から子どもの氏名、国籍、生年月日、住所などを拾い出すための「個人登録票(1枚目)」、②個人登録票(1枚目)に基づいて戸別訪問調査を行い、訪問日時、居住実態などを記入する「個人登録票(2枚目)」、③戸別訪問によって聞き取りを行い、その内容を記入する「質問票(全部で4頁)」の三種類の記入用紙を作成しました。
この時点では、各市町から寄せられた報告をベースに県内全域での戸別訪問調査の可能性も検討していました。しかし、九月一日時点での小中学校就学年齢の外国人登録者数一五八五人(在日韓国・朝鮮人児童生徒を除く)のうち「学区内に住所があるが公立学校に在籍していない人数」はその約四割にあたる六三〇人、また、再調査が必要な子どもの総数は二一八人、調査区域は一三市町にまたがるという結果が出たため、県内全域での調査を断念し、地域を絞って戸別訪問調査を行うこととなりました。
いざ戸別訪問調査を行おうとなると、個人の情報公開や、事前の資料作成、調査の趣旨理解と協力体制の確保など、地元教育委員会の全面的なバックアップなしには行えません。これに関しては県教育委員会が市町教育委員会と個別に交渉され、最終的に湖南市で集中的に戸別訪問調査を行うことが決まりました。
また実際の戸別訪問に関しては、インターナショナル滋賀が窓口となってスタッフの取りまとめを行うこととなり、一二月六日には県教育委員会、湖南市教育委員会との打ち合わせ会議を行いました。
その会議を受けてタイムスケジュールなどを検討していましたが、調査の対象宅の大半である南米国籍の人たちに関しては、残業時間が長いために毎日の帰宅時間が遅かったり勤務形態も不規則だったりという傾向があることを考え、年末年始を中心に戸別訪問調査を行うことを県・湖南市教育委員会に打診することとしました。
年末でお互いに忙しい中で急遽このような計画を考えましたが、年末年始の調査時の拠点確保(湖南市役所庁舎内の会議室開放)、同期間内における職員の出勤、迅速な決裁など多くの便宜を図っていただくことができ、一二月二七日には最終の打ち合わせを三者(県・市教育委員会と私たち)で持つことができました。
現在行っている調査の中では、中学校就学年齢に限らず、小学校就学年齢であっても全く就学していない子どものいることが分かりました。また、調査を通じて、保護者の方々の就労状況や、ブラジル人学校(※法的には「学校」とはみなされていません)が果たしている役割の重要性についても再認識させられました。調査結果については、機会があればここでもいつか書かせていただきますが、子どもたちの教育状況の改善が一刻も早く、全県的に行われることを望んでやみません。
松井 高
日本政府は平成一八年四月二八日に教育基本法の全部改正案を閣議決定し、国会に提出しました。
時代とともに教育の果たす役割が少しずつ変化し、それに即した形で法律を改正する必要があるのは言うまでもありません。しかしながら、今回の改正案では現行法よりもさらに国家至上主義が強められ、国際的視野に立てる人材の育成や、国内で増大している外国籍や重国籍の人たちなどへの配慮もほとんど感じられず、国際化という観点からは時代に逆行したものとなっています。
私たちが今こうしている間にも、世界では様々なことが起こっています。世界で起こっている問題を自分自身の問題として捉え、一人ひとりにできることを考える、そのような姿勢こそが今私たちには必要とされています。
そこで今号では、ブラジルの子どもたちの教育を取り巻く状況について取り上げたいと思います。
三つの社会階層とストリート・チルドレン
今回で私の連載は一五回目になりますが、私は初回(『じんけん』二〇〇四年六月号)、『イラクでの日本人人質事件と命の重み』というタイトルでブラジルでのストリート・チルドレンについて触れました。
ストリート・チルドレンが生み出される背景には、ブラジル社会の貧困問題があります。貧困は時として家族関係をも崩壊させてしまいます。家庭内暴力、性的虐待、離婚、両親の不在、就学の機会にも恵まれない状況が、子どもを路上生活へと向かわせるのです。
ブラジルは差別のない国だと言われることがあります。ブラジルはインディオを除けば世界のありとあらゆる国から移住してきた人たちによって成り立っているため、多数派対少数派というような構造からくる外国人差別はほとんどないと思います。けれども、富裕層、中流層、貧困層という社会階層がはっきりと分かれており、街の中では富める者と貧しい者との棲み分けが自然とできてしまっています。
例えば、お金持ちの人たちのほとんどはショッピングセンターで買い物をします。リオ・デ・ジャネイロのショッピングセンターでは、すべての出入口に警備員や警察官などを配置し、身なりの貧しい人がセンター内に入らないようにガードをしていました。
ブラジルの商品流通ルートも明らかに二つ存在します。一つはメーカーにより標準化された品質を持つ商品で、それらはショッピングセンターや代理店などで販売されます。もう一つは手工業により生産された製品で、メルカードと呼ばれる商業エリアに持ち込まれて売買されるのですが、価格が非常に安いとはいえ、粗悪品も多く品質が安定していません。そして、ここへ買い物に来る人の客層は、ショッピングセンターとは明らかに違います。ショッピングセンターには白人が多く、メルカードには黒人が多いのも一つの特徴です。
バスについても、エアコンのない安い運賃のものと、エアコン付で快適な座席となっている高い運賃のものとがあり、所得階層による棲み分けが自然となされています。また富裕層の人が住む地域の中には、その地域全体が高い壁に囲まれ、地域の人専用のゲートで警備員の許可を通じてしか出入りできないようになっている所もあります。
そのような社会の中で、ストリート・チルドレンは治安を脅かす存在のように思われているところもあるのですが、彼らは社会の犠牲者だとも言えます。時には人身売買、売買春、臓器売買の犠牲となり、ドラッグが蔓延する環境の中で麻薬の運び屋として利用されたり、銃器によって命を落としたりすることもあります。特にファベーラと呼ばれるスラム街の中には、常に生と死が隣り合わせとなっている地域もあります。
IBGE(ブラジル地理統計院)の統計によれば、殺人の発生率は一九八〇年から二〇〇〇年までの間に一〇万人当たり一一・七人から二七人へと二倍以上の伸びを示しました。中でも、青少年による殺人の割合が非常に高く、一五歳から二四歳までの年齢の男性に限れば、二〇〇〇年で同年齢層の男性による殺人発生率は一〇万人あたり九五・六人となっています。またその内、銃器による殺害は七一・七人と約七五%を占め、青少年の銃器犯罪が氾濫している現状がうかがえます。
銃器などによる殺害が若年男性で多いことは、ブラジルの男女構成比率をいびつなものにしています。二〇〇四年に行われた国勢調査(Pesquisa Nacional por Amostra de Domicílios)によれば、〇歳から四歳までの男女比は五一・〇対四九・〇ですが、二〇~二四歳では男女比率が逆転し、四九・三対五〇・七という割合にまで達しています(表1)
家計を助ける子どもたちと所得格差
就学機会のない子どもたちの中には、家計を助けるために就労しているケースも多くあります。私がブラジルへ行った時にも、街中で小中学生位の年齢の子どもたちが重たい荷物を背負って物売りをしたり、新聞を売ったり、信号などで車が止まるたびに走っていって窓をふいたりしている姿を見かけました。こういった子どもたちの家族の収入は極端に少ない場合がほとんどで、IBGEの発表によれば、働く子どもたちの家計の一五・五%は、そういった子どもたちの収入によってまかなわれているという結果が出ています。
これからの世界経済の牽引力となる諸国は、ブラジル、ロシア、インド及び中国の頭文字をとってBRICs(ブリックス)と呼ばれています。二〇〇五年のブラジルのGDPは、ついに韓国やメキシコを超え、世界ランキングで一一位となりました。(財)国際貿易投資研究所(http://www.iti.or.jp)が発表した国際比較統計に基づきますと、ブラジルにおけるGDPの伸び率は二〇〇三年から二〇〇四年にかけては一九・四%、二〇〇四年から二〇〇五年にかけては三一・八%と世界各国の中でも群を抜いています。
堅調な鉱工業生産や小売販売額、輸出入の拡大、インフレ抑制の成功、対外債務の減少など、ブラジルのファンダメンタルズ(一国の経済状態を示す基礎的指標)は特にここ数年で劇的に改善してきました。
しかし急速に経済的発展を遂げる国、鉱物資源や農産物に恵まれた豊かな国というイメージとは裏腹に、大多数の国民は困窮生活を余儀なくされています。それらの富がごく一部の人たちに集中し、著しい社会的不平等をもたらしているためです。
二〇〇二年から二〇〇三年に行われた家計調査(POF)によりますと、一世帯あたりの収入の全国平均は約一七九〇レアル(約九万八千円)となっています。しかし、全国平均の約四分の一以下、四〇〇レアル(約二万二千円)以下が全人口の約一五%を占め、平均よりはるかに低い一〇〇〇レアル(約五万五千円)以下ですらすでに全人口の過半数を占めいています(表二)。一方、富裕層である六〇〇〇レアル(約三三万円)超の所得を有する人口も全人口の五%と、決して少ない数とは言えません。また貧困層と富裕層の平均所得を見るとさらに驚かされます。月四〇〇レアル以下の世帯の平均収入二六〇レアル(約一万四千円)に対し、月六〇〇〇レアル超の世帯の平均収入は一〇、八七九レアル(約五九万八千円)と、その差は実に四二倍です。
さらに地域間格差も非常に大きく、市街地域と農村地域との所得格差は二倍以上、またブラジルは北部、北東部、南東部、南部、中西部の五地域に大別されていますが、特に北東部の農村地域と南東部の市街地域との平均所得は四倍以上にもなっています(表三)。そのため、生活の糧を求める農村地域の人たちが市街地域へ流入し、ファベーラと呼ばれるスラム街が増え続けています。けれども、流入人口を吸収するだけの労働力は都市部といえども生み出されておらず、六大都市の失業率は二〇〇六年に入った現在も依然一〇%以上で推移しています。
これらの状況の中で、新たな貧困が生み出され、社会の中に厳然として存在する社会階層が、次の子どもの世代へと受け継がれてしまうという悪循環もあります。
例えば、月あたり収入が四〇〇レアル以下の世帯における消費額を見ると、住居関連費三七・一五%と食費三二・六八%とをあわせただけで総額の七〇%を占め、それに交通費と衣類、保健医療、衛生費を加えると家計支出の九〇%にも達します。これに諸費を加えると余裕資金など全く残らず、月あたりの教育費の平均はわずか〇・七八レアル(約四三円)という状況になるのです。これでは仮に学校へ通えても学用品すら買うお金はありません。
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